Chapter 1 of 11

便室(老中が、城内で、親しい者と話をする小部屋)の襖を開けると

「急用で御座りますかな」

と、口早にいって、越前守は、松平伊豆守信祝(信綱の曾孫)の前へ坐った。

「急用と申すほどで無いが――天一坊と申す者の噂を聞いたか?」

と、信祝は、唇で微笑しながら、じっと越前守の眼をみた。越前守は、頷くと

「何か、所司代より申越して参りましたか」

奥坊主が、廊下で

「お茶をもって参りました」

と、大声を出した。越前守が、手を叩くと、襖を開けて

「お寒う御座ります」

と、御叩頭をして、二人の前へ、茶を置くと、淑かに出て行った。茶室好みの小部屋へは、もう夜が、隅々へ入っていて、沁々と冷たさが沁んだ。

「御落胤と称して、確かな証拠品も所持致す由、今、御上へ、御覚が御座りますか、と聞くと――」

信祝は、高声に、笑うと

「お上もあれで、若い時分には、中々御たっ者だったのだのう。まだ、もう二人いるはずだが、と、そう現われて来られては堪らぬ。そこで、――もし、正真の御落胤であった場合には、何う処置してよいか」

信祝は、ここで言葉を切ると、じっと、唇を曲げながら、越前を見た。越前守は、黙っていた。信祝は、茶碗の蓋を置くと、熱い茶を口許までもって行って

「偽者と明かになれば、申し分は無い。万一御落胤ときまった折には――何と申すか」

一口茶を啜ると

「大義親を滅すとでもいうか、徳川家のために、仮令、本物であろうとも、贋者として処置しなければならぬ」

信祝は、茶を下へ置いて、朱塗火鉢を撫でながら

「その訳は――下世話にいう、氏より育ち、二十を越すまで、素性卑しく育った者を、この城中へ入れることは、いろいろと弊がある。二つには、この周囲には、浪人者の不逞な徒輩がいるらしい。この者の処分に万一口出しでもあって、そのままに附けておくと成ると、患いの種を蒔くことになる。御当家万代のためには、忠直、忠長、忠輝と、いろいろの例もあり、この事は、お上も、よろしく取計らうようとの御言葉もあり、よし、本物であろうとも、贋者として、越前――処分してもらいたい、何うじゃな」

越前守は、俯いたままであった。

「不和、不穏の基に相成るから、不憫であっても、厳重に処置する方策をもって臨んでもらい度い――と、いう相談じゃ」

「よく判りました」

と、越前守は、顔を上げた。

「とくと、勘考仕りますが、府内へ到着するまでには、未だ未だ余日もあること。到着の上にて――」

「それはそうじゃが、今申した事を忘れぬように――到着致したなら、すぐ召捕っての」

「とくと勘考致しまする」

越前守が

(とくと、勘考致しまする)

と、いったなら、その上、誰が、何うそれ以上の奥をいわせようとしても、いうものではなかった。越前守は、一人の勘定方を撰択する時に

「百を二つに割ると、いくらだ」

と、聞いた。五十――明かすぎる五十であるが、その人は、算盤をもってきて、百と置き、二と置いて、一々弾いてから

「五十で御座ります」

と、答えた。越前、微笑して

「よろしい、勘定方は、そこまで、念を入れなければいけない。よろしい」

と、称めたが、その念入りの越前守が

「とくと、勘考致します」

と、二度までいったから、信祝は

「頼む」

と、いって、余談に移った。

Chapter 1 of 11