Chapter 1 of 4

秋草

これはもうひと昔もまえの秋のひと夜の思い出である。さっさっと風がたって星が燈し火のように瞬く夜であった。身も世もないほど力を落して帰ろうとするのを美しい人が呼びとめて

「花をきってさしあげましょう」

といいながら花鋏と手燭をもっておりてきた。そして泳ぐような手つきで繁りあった秋草をかきわけ、しろじろとみえる頸筋や手くびのあたりに蝗みたいに飛びつく夜露、またほかげにきろきろと光る蜘蛛の巣をよけて右に左に身を靡かせつつひと足ぬきに植込みのなかへはいってゆくのを、かわってもった手燭をさしだして足もとを照しながらかたみに繁みのなかへ溶けてゆく白い踵の跡をふんでゆけば、虫の音ははたと鳴きやみ、草の茎ははねかえってきてちかと人を打つ。咲きみだれた秋草の波になかば沈んだ丈高い姿ははるかな星の光とほのめくともし火の影に照されて竜女のごとくにみえる。おりおり空から風が吹きおちて火をけそうとすると

「あら」

と大きな目がふりかえってひとしきり鋏の音がやむ。驚かされた蛾は手燭のまわりをきりきりとまわって長い眉をひそめさせる。そんなにして無言のままに紫苑や、虎の尾や、女道花や、みだれさいた秋草の花から花へと歩みをうつしてゆくのを、私は胸いっぱいになって、すべての星宿が天の東からでて西にめぐるよりも貴いことに眺めていた。ここにあるいくすじの細いリボンの、白と、黄と、淡紅と、ところどころに青いしみのあるのはそのおりおりにきって束ねてもらった草の汁である。さりながら私はこのうちのどれがその夜のものであったかをおぼえていない。

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