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ハイデッガーが存在に問いを発するにあたって、人間に優先性をあたえたのは、人間がすでに存在の会得をもち、彼のありかた existentia によって、それが何であるか essentia を把握することができるゆえである。
人間においては Was-Sein は Wie-Sein にほかならない。
いかに生きるかということによって、それが何であるかということをあらわにする。ハイネマンは現代哲学のゆくえを、Geist より Leben に、Leben より Existenz への推移をもって説明して、「おのれみずから整えられ型づくられるところの、この生命 Leben がみずからの上にその形式と型態の原理を保持し、しかもみずからそれを意識するとき、われわれはこれを実存在 Existenz と名づける」という。
存在の会得は、みずから現存在の一つの存在規定である。Seinsverstndnis ist selbst eine Seinsbestimmtheit des Daseins. しかもその現存在は、常にみずからを彼の実存在より会得するのである。その実存在とはすなわち、みずからに即し、あるいは即せざる可能をもつところのおのれみずからの一つの可能性を意味する。Das Dasein versteht sich selbst immer aus seiner Existenz, einer Mglichkeit seiner selbst, es selbst oder nicht es selbst zu sein.
かかる実存在の意味において、人間は存在への通路 Zugang をもつのである。
こうしたみずからがみずからに向って、身をもってする理解 Beurteilung は、哲学もがその一部であるところの最も広い存在の問、あるいは学に従属しなければならない。
美の現象もまた、かかる理解の一つに属しうる。