一
わたくしはその頃身辺に起つた一小事件のために、小説の述作に絶望して暫くは机に向ふ気にもなり得なかつたことがある。
小説は主として描写するに人物を以てするものである。人物を描写するにはまづ其人物の性格と、それに基いた人物の生活とを観察しなければならない。観察とは人を見る眼力である。然るにわたくしは身辺に起つた一瑣事によつて、全然人を見る眼力のないことを知り、これでは、到底人物を活躍させるやうな小説戯曲の作者にはなれまいと、喟然として歎息せざるを得なかつた次第である。その頃頻々としてわたくしを訪問する二人の青年文士があつた。
平生わたくしは文学を以て交る友人を持つてゐない。たま/\相見て西窓に燭を剪る娯しみを得ることもあつたが、然し其人々は皆白頭にして、わたくしとは職業を異にしてゐた。然るに新に交を訂したかの二客は殆ど三日を出でず、時には相携へて、時には各自単独に来訪し、昭和文壇の消息やら、出版界の景況やらを聞かせてくれる。わたくしが平生知りたいと思ひながら、知ることを得ない話ばかりである。即ち某新聞社の小説潤筆料は一回分何十円、某々先生の一ヶ月の収入は何千円といふやうな話である。
二客はその年齢いづれも三十四五歳、そして亦いづれも東京繁華な下町に人となつた江戸ツ子である。一人はその名を木場貞、一人は白井巍と云ふ。木場は多年下谷三味線堀辺で傭書と印刻とを業としてゐた人の家に生れたので、明治初年に流行した漢文の雑著に精通してゐる。白井は箱崎町の商家に成長し早稲田大学に学び、多く現代の英文小説を読んでゐる。
わたくしは其時年はもう六十に達し老眼鏡をかけ替へても、古書肆の店頭に高く並べられてある古本の表題を見るのに苦しんでゐたので、折々二子を伴つて散歩に出で、わたくしに代つて架上の書を見てもらふ便を得た。
団々珍聞や有喜世新聞の綴込を持つて来てくれたのは下谷生れの木場で、ハーデーのテス、モーヂヱーのトリルビーなどを捜して来てくれたのは箱崎で成長した白井である。二人はわたくしと対談の際、わたくしを呼ぶに必先生の敬語を以てするので、懇意になるに従つて、どうやら先輩と門生といふやうな間柄になつて来たが、然し二人が日常の生活については、其住所を知るの外、わたくしの方からは一度も尋ねに行つたことがないので、余程後になるまで、妻子の有る無しも知らずにゐた。
木場は或日蜀山人の狂歌で、画賛や書幅等に見られるものの中、其集には却て収載せられてゐないものが鮮くないので、これを編輯したいと言ひ、白井は三代目種彦になつた高畠転々堂主人の伝をつくりたいと言つて、わたくしを驚喜させた。わたくしは老の迫るにつれて、考證の文学に従ふ気魄に乏しく、後進の俊才に待つこと日に日に切なるを覚えて止まなかつたので、曾て蒐集した資料の中役に立つものがあつたら喜んで提供しようと言つた。然し二人とも唯その計画を語つたのみで、細目に渉つた話はその後したことがなかつた。
一年あまりの月日が過ぎた。木場は北千住に住んでゐたのであるが、真間の手児奈堂の境内に転居し、表口に添ふ出窓を改作して店となし、玩具人形の外に文壇諸名家の墨蹟を陳列し、これを売つて生計のたしにしたい。屋号を鴻麓堂としたから額を揮毫して下さいと言つた。四五日たつて、白井が一人で尋ねて来たので、わたくしは
「木場が人形屋を始めたと云ふはなしだが、景気はいゝかね、素人商ひで損をしなければいゝが。」
「細君の小遣くらゐになればいゝのでせう。」
と言ふ白井の返答で、わたくしは、初て木場の妻帯してゐることを知つたのである。
「細君はきれいかね。」
「なか/\きれいです。」
「さうか。震災前のはなしだから君達は知らないだらうが、画家竹久夢二の細君が頗つきの美人で、呉服橋外に絵葉書屋の店を出してゐたことがあつた。繁昌したよ。鴻麓堂も店つきのいゝ美人が坐つてゐれば大丈夫だらう。」
「愛嬌には少し乏しいやうですが、色が白くて痩形で兎に角わるくありません。」
「素人かね。」
「高嶋屋デパートの売子でした。」
「さうか、それでは僕も市川まで人形を買ひに行くかな。いづれ訳があつたのだらうな。」
「坂本町のアパートにゐた時分部屋が向合せだつたさうです。」
「さうか、寒い晩に帰つて来て鍵をなくしたのが縁のはじめだつたら、まるでプツチニのボヱームだね。」
「木場は初め妹の方に思召があつたんださうです。姉さんが売子、妹は上野のPPといふ喫茶店の女給で、姉さんよりはずつとモダーンでした。わたしも時々木場と一緒で、随分通つたもんです。木場は或晩時期はもう熟した頃だと思つて、夜なかに其室へ忍び込んで、間違へて姉の方の寝床へ這入込んだんださうです。木場はそのつもりで、そつと自分の部屋に帰つて来た、ところが明る日になつて姉の様子が急に変つてゐるんで、木場は初て其門違ひを知つたんださうですが、もうどうする事もできず、結婚と云ふ事になつたのです。」
白井は猶わたくしの問に応じて、木場の経歴を語つた。木場は父が死んでから母と共に静岡の実家に行き幾年かを送つた後、一人東京に帰つて来て、一しきり××先生の家に書生となつてゐた。白井はそこで初て木場を知つたのだと云ふ事を話してくれたが、白井は自分の経歴については何も言はない。
わたくしは白井ほど自分の事を語らない人には、今まで一度も逢つたことがない。その親類が新川で酒問屋をしてゐる事、その細君は白井より一ツ年上で、その家は隣りあつてゐた。女は女学校、白井はまだ中学を出ないのに、いつか子供をこしらへ、其儘結婚したのだと云ふ事などは白井が木場の事を語つたやうに、わたくしは木場の口から悉くこれを聞知つたのである。
わたくしは白井の生活については、此等の事よりも、まだその他に是非とも知りたいと思つてゐる事があつた。それは白井が現時文壇の消息に精通してゐながら、今日まで一度もその著作を新聞にも雑誌にも発表したことがないらしい。強ひて発表しようともせぬらしく頗悠々然としてゐる。この悠々然として居られる理由が知りたいのであつた。
わたくしは白井が英文学のみならず、江戸文学も相応に理解して居るが上に、殊に筆札を能くする事に於いては、現代の文士には絶えて見ることを得ないところでありながら、それにも係らず其名の世に顕れない事について、更に悲しむ様子も憤る様子もないのを見て、わたくしは心窃に驚歎してゐたのであつた。わたくしは白井の恬淡な態度を以て、震災前に病死したわたくしの畏友深川夜烏子に酷似してゐると思はねばならなかつた。
夜烏子は明治三十年代に、今日昭和年代の文壇とは全然その風潮を異にしてゐた頃の文壇に、其名を限られた一部の人に知られてゐた文筆の士である。然るに白井は売名営利の風が一世を蔽うた現代に在つて、猶且明治時代の文士の如き清廉の風を失はずに超然としてゐる。夜烏子に対するよりも、わたくしは更に一層の敬意を払はなくてはなるまい。
わたくしはこゝに至つて、少しくこの前後の時代に於ける文壇の風潮について思ふところ、観るところを述べねばならない。明治三十年代も日露戦争の頃まで、文壇の風潮、文士の気風は明治十年、或は溯つて江戸時代のそれと多く異るところがなかつた。江戸文壇の風潮を承継したとも言へる。又前代の風潮が次第に変遷しながらも、まだ全く滅びてしまはなかつたとも言へる。その頃には小説戯曲は一種の遊戯であつて、これに従事するものは、俳優落語家の輩と同一に視られてゐた。学海、桜癡、逍遙、鴎外の諸家が文学を弄びながら、世間から蔑視されなかつたのは文壇以外に厳然たる社会上の地位があつた故である。譬へば柳亭種彦が小説をつくり、細井栄之が浮世絵を描きながら両者ともに旗本の殿様であつたと同様である。当時われ/\は小説家が遊惰の民として世人より歯せられず、父兄より擯斥せられてゐたが故に、反抗的に却てこれを景仰し自分達も亦その後塵を追ふことを欲した。されば成功して文名を博し得ても、その名誉は同好の人の間にのみ限られて、世間一般とは何の関係もない事は初めから承知してゐた。われ/\は豪然として富貴栄達を白眼に視る気概を喜んでゐたのである。
わたくしは喋々の辯を費すよりも、当時我国に於いて、学士会員及び博士の称号が学者にのみ許されて、小説戯曲の作家には許されてゐなかつた事を見ても思半に過るものがあるであらう。森槐南先生が病歿するに際し、文部省が博士の称号を贈つたのは、詩人としてではなく、生前帝国大学に於いて杜甫の詩を講じた事があつたからである。
明治三十三四年の頃だと記憶してゐる。石橋思案が文藝倶楽部の主筆であつた時、富豪大倉喜八郎が同誌に好小説を掲げた作家に、賞金五百円を贈ることを謀つた。然るに当時の操觚者は文士を侮辱するものとして筆を揃へてこの事を罵つた。かくの如き文壇の気風は日露戦争後に至り漸次に変化し、大正の初には文士は憚るところなく原稿料の多少を口にするやうになり、震災の頃になつては、文学は現代社会の一職業と見られ、之によつて産を成すものさへあるやうになつた。
わたくしは日露戦争の後、実業家の重立つたものが爵位を授けられた事、政党政治の確実に成立せられた事、帝国劇場と三越百貨店との建設せられた事等を以て、一新時代の出現と見る。文士小説家が社会の一員として認識せられた事もこの新現象の中に加へべきものであらう。政党政治は震災前後の時代より腐敗の醜状を世人の前に暴露するやうになり、文壇もこの時代より漸次に沈滞し腐敗して来た。文士も亦政治家の顰に傚ひ集団をつくり、之に依つて名を成さんことを務め、其主義理想の如何を問はなくなつた。後進の文士は集団運動に参加せざるかぎり其文を公にする道がないやうになつた。大正時代の文士中社会主義を奉ずるものの多かつたのは、これを今日より回顧すれば全く売名の方便となしたに過ぎなかつたのである。かくの如く文学が商業と化した如く教育も亦商業と化し、学校の経営者は一人でも多く生徒を吸集せんがために野球の勝負を催すの傍、文学部の教授に流行小説の作者を招聘して広告の代用品たらしめた。
世を挙げて営利に奔馳する時代に在つて、わたくしは偶然この時代の風潮に同化せざる木場白井の二青年に邂逅したのである。わたくしは喜びのあまり、二生がいかなる理由、いかなる閲歴によつて、現代営利の風潮に化せられなかつたかを深く考究する遑がなかつた。草木には偶然変り種が出るやうに、いかなる世にも畸人の出ない事はない。曲学阿世の風が盛であつた宝暦の時代にも馬文耕といひ志道軒といふが如き畸人が現れた。木場白井の二生が昭和の世に存在するのも亦怪しむには及ぶまい。わたくしは先そんな風に考へてゐた。
木場も白井も身長は普通であるが痩立の体質は二人ともあまり強健ではないらしい。木場はいつも洋服、白井はいつも和服で、行儀よく物静なことは白井は遥に木場に優つてゐた。来訪の際には必台所口へ廻つて中音に、「御免下さい。白井で御在ます。」と言ふ。その声柄や語調は繁華な下町育の人に特有なもので、同じ東京生れでも山の手の者とは、全く調子を異にしてゐる。呉服屋小間物屋などに能く聞かれる声柄である。白井の特徴は其声の低いことと、蒼白な細面に隆起した鼻の形の極めて細く且つ段のついてゐることで、この二ツは電車などに乗つて乗客を見廻しても余り見かけない類のものである。わたくしの家は静な小径のはづれにあつて、わたくしの外、人が居ないので、日中でも木の葉の戦ぐ音の聞えるくらゐであるのに、白井の声は対談の際にも往々にして聞き取れないことがある。且また語るに言葉数が少く冗談を言はず、いつも己は黙して他人の語を傾聴すると云つたやうな態度をしてゐる。然しこの態度には現代の青年に折々見られるやうな、先輩に対する反感を伏蔵してゐる陰険な沈黙寡言の風は少しも認められない。文学に関して質問らしい事を言ふ時には、寒暄の挨拶よりも一層低い声で、且極めて何気ないやうな軽い調子で「その後何かお書きになりましたか。」或は「何かお読みになりましたか。」といふのである。
丸善あたりには盛に新刊の洋書が並べられてあつた頃なので、わたくしは其年のゴンクール賞を得た仏蘭西新作家の著作などについて所感を語り、興に乗じてわたくし自身のものまで憚らず其抱負を口にした事もたびたびであつた。
「中途でよしてしまつた原稿も随分ありますよ。脚本なんか脱稿しても上演されさうもないと思つたものは其儘発表しないでしまつてあります。」
「拝見させて戴けませんか知ら。」
「読んだら遠慮なく批評してくれたまへ。」
わたくしは草稿を入れた大きな紙袋の三ツ四ツ、塵だらけになつたのを棚の上から取おろして渡したことがあつた。丁度曝書の時節になつてゐたので、三日ばかり其手つだひと共に蔵書目録の製作をも依頼した。
白井はその頃千葉県稲毛に家を借り東京へ出て来て帰りの汽車に乗りおくれる時には、木場の鴻麓堂に泊ると云ふ。わたくしは謝礼として車賃若干を贈ることにした。
白井は蟲干の手つだひをしながら、初め鉛筆で蔵書の名を手帳に記入して持帰つた後、一ヶ月ばかりして半紙に毛筆で清書した目録一冊を見せてくれた。細字の楷書で、其の能筆なることはむかし筆耕を業としたものの手に成つた写本に劣らず、洋字も極めて鮮明であつた。
「君、どこか図書館にでも勤めてゐたことが……。」
「いえ、御在ません。わたし唯本が好きなもんで、索引もこしらへて見ました。」
わたくしは更に一枚五円ヅツと計算して蔵書目録作製の労に報いた。どんな生活をしてゐるか知らないが、豊でないらしいことは問はずと知れてゐたからである。交際してから早くも二年あまりになるので、長女が女学校に通つてゐる事、細君の生家が二三年前まで箱崎町で何か商ひをしてゐた事など、わたくしは其後談話の際に聞いてゐたので、細君の方にも幾分の恒産があり、白井の家も其隣りであつたと云ふから、矢張商家で地面か、貸家の二三軒くらゐは持つてゐて清貧に甘じてゐられるだけの収入はあるものと、わたくしは勝手に臆断してゐたのである。
その頃から白井も木場も来訪する度数が俄に少くなつて来た。心づくと三月ばかり音沙汰がないので、病気ではないのかと、真間の鴻麓堂へ手紙で問合すと、安房郡××村へ引越したと云ふ返事がきた。別に是非とも面談せねばならぬ用事があるわけでもなく、またわたくし自身の気儘な性情から推察して、文士の気まぐれを責める心がないところから、それなりにして置いた。
するとそれから又半年あまり過ぎた頃である。箱根でむかしから代々旅館を業としてゐる人の息子で、嘗て本郷の大学の国文科に学んでゐた時分、折々わたくしを訪問しに来たものがある。その時分頻に明治初年の小説雑著のたぐひを蒐集してゐたので、それについて、わたくしの卑見を叩きに来たのである。名を岩田といふ。岩田は俄に手紙を寄せ数年来の無沙汰を謝し近頃不思議な写本を手に入れた。西銀座の巽堂といふ古本屋で買つたのであるが、わたくしの自筆本で怪夢録と題された小説体の著作である。書体も文体も岩田の見るところ、共にわたくしのものに相違はないと言ふのであつた。
わたくしはいつぞや旧稿を収めた紙袋を白井に貸したことを思出した。紙袋は白井の手から返付せられたまゝ、もとの棚の上に投り上げてあるので、又もや取おろして袋の中を調べて見ると、岩田生の言ふ怪夢録はちやんとその中に在つた。自筆の写本が二部あるわけはない。とすれば、彼の買つたものは何人かの戯れに、もしくは売らうが為に作つた偽書になるわけである。
怪夢録はその題の示すが如く睡眠中に遭遇した事件を筆にしたもので、わたくしがまだ牛込の旧廬に居た中年の頃の作であるが、雑誌などには出せさうもないと思つて、後に浄写して袋の中に入れて蔵つて置いたのだ。去年白井へ貸す時、一ツ一ツ紙袋の中を調べなかつた怠慢を、わたくしは後悔した。
何しろ三十年前に書いたもので、委しい事は自作ながら忘れてゐる。旧稿をよみ返して見るのも、時には他人のものを見るやうで、意外の興を催し得ることがあるから、わたくしは旧作怪夢録を開いて、巻首の自叙から仔細に全文を読返して見た。
発端に夢のことがなが/\と書いてある。夢には映画に見るやうに人や化物に追ひかけられ、追ひ詰められて目をさますのが通例である。小説の主人公「わたくし」なる者は多年神経衰弱のために眠るかと思ふとすぐ妙な夢に襲はれ、熟睡することができなくなつてゐる。或日夢に玉川上水の流れてゐる郊外を歩いてゐる。(夢裡に見る風景は作者が明治三十年代頃に見馴れた千駄ヶ谷附近田園の描写である。)歩いてゐる中、風景は忽然一変して蒹葭蒼々たる水村の堤になる。(作者が二十歳の頃よく釣舟を漕いで往復した小名木川、中川、隠亡堀あたりの描写である。)
夜になり川添ひの小料理屋に上つて飯を食ふ。料理屋は宿屋を兼ね、酌婦が四五人ゐる。その一人に挑まれて泊る。この酌婦の肉体には一種不思議な魅力があつて、主人公は数年来熟睡し得なかつた苦痛を、この夜初て忘れることができた。別れて家へかへるとまた眠られなくなるので、三日に上げず通ひつめる。今まで知らなかつた限なき楽しみをこの女によつて知る。借金を返してやつて妾にする。その中に夢の間にまた夢を見る。鸚鵡よりも綺麗な蝙蝠が窓に来て、あの女に接してゐると一年を出でずして殺されることを告げる。主人公は驚いて家を逃れ出で諸所をさまよひ、松林に蔽はれた小山の上の廃祠に隠れ、こゝに自炊の生活をする(風景は作者が中学生の頃夜行遠足を試みた時に見た井の頭池の近傍である。)枯枝を拾ひ/\崖のほとりに出ると、夕日が麓の野を蔽ふ枯尾花に映じて、見渡すかぎり火の海をなしたやうに思はれる。一人の女が小径を歩いて来る。火の中をさまよふものと思ひ、助けてやらうと走り寄つて見ると、それは彼の女である。女は金の壺を持つてゐて、これは印度に産する金の蛇を漬けた酒だから飲めと勧める。驚いて道を択ばず逃げ走る。鉄道線路に出で踏切番の小屋を見つけて逃げ込む。中に木の瘤のやうな顔をした婆がゐて、若き主人公を見るや、気味のわるい笑を浮べ、いやらしい様子で挑みかゝる。小屋の外には金蛇の酒を提げた女がうろ/\してゐる。絶体絶命、主人公は悶絶する自分の声に驚いて目を覚ますと、波斯小説の上に頬杖をついて転寝をしてゐる中、頬杖がはづれて目がさめたと云ふはなしである。
今日これを読返して見ると、編中の叙景は東京近郊のひらけなかつた頃の追憶に基くもので、それが執筆の目的であつたらしい。酌婦が病弱の文士にいろ/\生の快楽を教へたり、老婆が若い男に挑みかゝる叙事などは批評の限りにあらずだ。
読終ると共にわたくしは内心白井の行為について少からざる恐怖を感じた。偽本をつくつたものは白井に非ざれば木場である。白井は紙袋をわたくしの家から借出して木場の鴻麓堂に止宿し、二人してわたくしの旧稿を閲読して其類本を製作した。その時の興に乗じたものか。或は金に替る好餌の為か。いづれにしてもこれが商估の手に渡つて、購つたもののある以上、その罪は道徳上、並に法律上とを兼ねたものである。
わたくしはまづ其買主に面会し其物を一見する必要があると思ひ、早速箱根の岩田に返書を送り其来訪を求めた。
「その後は御無沙汰ばかりしてゐました。申訳がありません。この本で御在ます。」と岩田は縮緬の袱紗を解いて、その購つた怪夢録の一書を示した。
薬袋紙を表紙に茶半紙二三帖を綴ぢた製本の体裁から本文の書体、悉くわたくしの原本と同一で、しかも驚くべきは巻首と巻末とに捺してある印までが原本のものに似せてあることであつた。わたくしは木場が下谷三味線堀にゐた印刻師の子である事を思合せて更に又慄然とした。
「安くあるまいね、商売人の手にかゝつたら。」わたくしは偽書本を閉ぢて岩田に返し、「百円もしたかね。」
岩田は不満らしい面持で「どうして、そんな事ぢや……。」
「もつと高いんですか。それぢや雑誌なんぞに出して原稿料を貰ふよりも余程割がいゝ、僕も何か一ツ浄写して見ようかな。」
「西銀座の巽堂には一葉女史の手紙と草稿がありました。一まとめに買つてくれと言はれたんですが、一寸手が出ませんでした。」
「みんな一手に出たものだらうね。誰が持つてゐたんだらう。」
「先生のものは、先生も御存じがないんですか。」
「心当りはあるけれど……。」
「先生お願ひしたいのですが、これに先生の裏書、鑑定書のやうなものを一筆お願ひしたいんですが。」
岩田は再び怪夢録の偽書本をわたくしの方に向けて、テーブルの上に載せる。わたくしは数日前に読返したまゝ机の上に置いた原本怪夢録を取り、「君の買つた物と、これと交換しよう。この方を君の蔵書にして置きたまへ。」
「それでは、わたしの買つたのは。」
「贋だよ。」