Chapter 1 of 3

Chapter 1

こんなやさしい無辜な心はまたとないのだ。

それに同情のアクチイビティが沢山ある。これは日本人には珍らしい事だ。

この人は細心だが、然し意識的な人ではない。意識的な人はかうも論理を愛する傾向を持つてゐるものではない。高橋新吉は私によれば良心による形而上学者だ。彼の意識は常に前方をみてゐるを本然とする。普通の人の意識は、何時も近い過去をみてゐるものなのだ。――

彼の魂にとつて現象は殆んど何物でもない。といつてこれは現実を無視してゐるといふのではない。寧ろ彼こそ一番現実の大事な人なのだが、蓋しそれは幻想としてだと先づ言つて置かう。――彼にとつては常に真理が必要なのだ。それが彼の良心の渇きで、云はゞ彼は自動機械的に現実を材料としての夢想家なのだ。

何時か彼は詩人であるよりも実社会の人であると思つた事はあるかも知れない。彼には自分を詩人だと思ふだけでは安心出来ないものがある。併しそれは彼の夢想が余りにありの儘の現実を扱ひ得るからで、夢想がかくも現実的であるといふ点で、高橋新吉は人類中非常に特異なものなのだ。けれどもこのことが彼の詩を却々整つたものとさせない重要な原因なのだ。

普通に詩が整つてゐるといふことは、伝統に頼ることから得られるやうだが、高橋新吉は純粋な良心家で、伝統に頼る事は彼からは堕落としか思へない。彼には歴史も宗教もほんの時間的部分的なものに過ぎない。勿論人間は全的には何も支配することは出来ないことは彼も知つてゐるのだが、けれども彼が生きるとして、時間的なものに不満であるのは自然の勢ひだ。そして彼が或時詩の中で呟く、「詩の拙い奴は想像力の発達してることで分る。」(この言葉は少し覚え違えてるかも知れない。)

かういふ人は我々の生活の文明的な部面では、随分変なものかも知れない。例へば、余り善良なものは却つて悪人であるかの如く怯えるものだといふシヱクスピヤの言事は高橋に当箝るだらう。又、これはほんの私の推量だが、彼が羞む時彼は平気なので、彼が平気な時彼は羞んでるのだ。この点高橋新吉は或は不良少年の心理に似てゐるのだが、彼の無意識的な善良さが人々の中に生きてゐるうちにさうなるのは当り前なのだ。

態度や動作によつて皆目評されない人がある。彼は自分をセンチメンタリストと粧ふことがあるかも知れないが、それは彼と人々との齟齬を埋合はせる彼の自然の術なのだ。勿論理想としては、その粧ひもあるよりはない方がよいのだが、六ヶ敷いことだ――

(生れしながらの睡みに、そなたよ眠りてあれかし――ボドレル)

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