九 亡び行く国土
日本の河川は今日惨ましい姿になっている。洪水の時や雪解け増水の時に、堤防の上に立って流れ去る水をみていると、あの中に、ありありと亡び行く国土の姿をみることが出来る。
雪解け時の石狩川の川口に立って、渦をまいて流れて行くあの濁流のすがたをみているうちに、あれが日本の国土が文字通りに削られて行く姿だと思った。濁流は、もちろんその中に土の粒子を非常にたくさんふくんでいる。その土のかなりの部分は、畑地あるいは山肌から出てきたものである。それが海へ流れ去るのであるから、国土が削り去られるというのは、文学的の表現ではなく、科学的の表現なのである。
こういう現象は、石狩川だけでなく、全国の河川についていえることであり、しかも雪解け時だけに限らず、増水時には、いつでもみられる現象なのである。あの濁流によって海に運び出される土は、主として微粒子と膠質とである。この微粒子と膠質とが、地力の一番大切な成分であることは、ことわるまでもない。そのほかに、目にはみえないが、肥料成分であるところの溶解物質ももちろんたくさんふくまれている。
いったい、あの濁流がどれだけの土壌と肥料分とを海へ流し去っているかは、国土保全上重大な問題である。もちろん今までにそういうことは十分調べられているのであろうと思って、その方面の専門家の話を聞いてみた。ところが驚いたことには、その種の調査は、本州の河川について少し調べた例があるらしいが、まずほとんどないといっていい程度だろう、という話であった。
それでこれも自分で測ってみるのが、一番の早道だということにして、教室の人たちで、その調査にとりかかることにした。それには雪解け時の増水が、一番測定に便利である。それで毎年春さきに必ずのようにわれらの国土から失われて行くこれらの物質の量を、石狩川の雪解け増水について、すこし詳しく測定してみることにした。
この測定は、終戦後の三回の雪解け時期において、石狩川口に近いところで行なわれたのであるが、はじめの二年間は北大の荒川助教授が調査し、さらに菅谷博士が第三年目の雪解け増水について、非常に詳しい観測をしたのである。その結果驚くべきことがわかった。ただ一本の石狩川について、雪解けの増水期間中に、川口を流れ去る浮泥量は約二百五十万トンに達し、肥料成分である溶解物質は、約七十万トンという数字が出てきた。即ち、ひと春に日本海へ運び去られる物質量は、三百二十万トンという、想像以上に巨大な量に達することが明らかにされたのである。それも驚くべきことであるが、もっと驚くべきことがある。それは、これだけの国土を毎年失いながら、それを今日まで誰も知らなかったことである。
こういう研究をするといえば、きわめて困難な研究のように思われるかも知れないが、実は何も困難なことはないのである。石狩川の鉄橋へ行って、橋の上から採水器を下して河水を採り、それを一立びんにつめる。そういう標本を何本かリュックサックに入れて、教室へ運んで帰り、その水の分析と、下に沈澱する泥の量の測定とをする。それだけでこの研究は出来るのである。
もちろん川の表面近いところと、底の部分との泥の含有量は違うので、精確にやるには、川の断面のいろいろな深さのところで、一定量の水を採って、その中にふくまれている浮泥量と溶解物質とを測定する必要がある。しかし、そういう精密観測はたびたび行なう必要はないので、五、六回だけその調査を行なった。
川の横断線に沿って、いろいろな距離及び深さのところから水を採って、浮泥量の分布を調べてみた。ところが、その平均値を与える代表点が、いつでも川の流心の表面から一定の深さのところにあることが知られた。こういうことがわかったので、それからあとは、その深さのところの水を採って、その中にふくまれる泥の量を測定した。即ち一点観測でよいことになったので測定は非常に容易になった。
あとはこの観測値に川の流量をかけて計算するだけでよい。川の流量は、河川関係の方で測定されているので、その資料を貰えば、非常に簡単なことでこの研究は出来るのである。こういう研究は、なにも、困難だから今まで誰もやらなかったのではなく、ただやらなかったのである。それが一番困ることなのである。
実際の観測は、次のような手順で行なわれた。即ち平均浮泥量をあたえる代表点について、五日おきに採水して測定した。そして、そういう観測を、三月末から四月末にかけての増水の初期、次に五月の中旬までの増水期、最後に七月中旬までの減水期と、この三期間にわけて、ずっと観測を続けたのである。そして、その三期間全部を通じて海へ流れ去る物質総量が、三百二十万トンに及ぶことを知ったのである。
それだけの多量な土がいったいどこから出てくるのかということが、一つの重大な問題である。それで菅谷博士は、各期間別に採った泥の土粒分析を行ない、一方流域の各高度における融雪の時期を調べてみた。それによって、この土の出所がほぼ明らかになったのであるが、このうちの約七十万トンが耕地から流れ出したもので、残りの大部分は、河床の洗掘によったものであることが推定された。
この同じ石狩川について、山間部を出たばかりの上流地点からも、同じ時期に水を採って、その浮泥量を測定してみた。ところが、そこでは浮泥量はほとんどないことが知られた。石狩川の水源地帯がある大雪山は、まだ自然林のままで残されているところが大部分なために、山岳地帯では、あまり土砂が川へ流れ出ないことがわかったのである。そのことは実は困ることなのであって、この海へ流れ去る土砂量の大部分は、平地即ち耕作地、あるいはその附近から流れ出るからである。
ところで河床の洗掘であるが、こういう巨大な量の河床の洗掘が起るのは、改修工事をしたあとの石狩川が、安定状態に立ち至っていないことを示すものである。昭和六年に石狩川治水事務所で測定された河川の断面図がある。同じ場所において、昭和二十五年の春、同様な測定をして、それと比較してみると、この期間に、浅いところで約一メートル、深いところで約二メートルの河床の洗掘が起きていることが知られた。この洗掘量から推定される運搬土量は、泥水の分析値から耕地の流出量を引いた残りの量と、ほぼ一致することがわかったのである。
河川のような自然現象は、非常な長年月にわたる、いろいろな作用の調和の結果、安定しているものである。それで、その一部を改修すると、河川が次の安定状態に落ちつくまでに、非常な長年月を要するのである。従って自然に人工を加えるには、綿密な考察と研究とが必要である。信濃川の改修工事によって、今日新潟市がどんどん海中に没しつつあるということなども、そのよい例であろう。
土壌保全の立場からも、こういう知識は大いに必要であるが、国土の綜合開発というような問題もまた、この種の基礎資料を欠いては、到底満足には行ない得ないはずである。たとえば石狩川流域の綜合開発計画の一つに、石狩から苫小牧に通ずる運河の計画も提案されている。ところが、その計画には、こういう事実は全然考慮にはいっていない。もしそういう運河を造ろうとするならば、石狩川がまたどういう変化をするかを、細心に検討しておく必要がある。現在の状態でも、毎年春さきだけで、二百五十万トンの浮泥量が運ばれてくるのであるが、それを湿土の体積になおすと、二百十万立方メートルになる。この巨大な量のいく割かが、もし運河の中に堆積したならば、たいへんなことになるであろう。五万分の一の地図をひねくるだけで、綜合開発は出来ないのである。
石狩川が一年に三百万トンや五百万トンの土壌を海へ流しても、それは「亡び行く国土」というような、大げさな問題ではないといわれるかも知れない。しかし、私の真意は、日本の為政者も科学者も、こういう問題の研究を全然しない。あるいは問題の存在にすら気づかないところに亡び行く国土の姿がみられるというのである。(昭和二十七年七月『日本の発掘』)
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