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自警録
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自警録
新渡戸稲造
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Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 5 of 207

男一匹とは何を意味するか

しからば男という言葉もまた人もしくは女というように善意にも悪意にも用いらるるかというに、これは奇態に悪意に用うることがほとんどない。単に男というときは、ただちに男らしいとかあるいは剛毅とか、あるいは大胆不敵、あるいは果断勇猛、あるいは任侠というような一種の印象を惹起す。

「天川屋儀兵衛は男でござる」

と一喝すれば捕手の者も閉息する。

男一匹なる句は一種爽快なる感想を人に与える。わが輩はその出所を知らぬが、おそらくは徳川時代の産物であろう。普通動物に用いる一匹なる言葉をそのままに、万物の霊長たるしかも女に優れたる男子に応用するは、一見男子を侮辱せるかの疑惑を促すが、おそらく動物としても優勝なるものの資格を嘆美するために用いた言葉ではあるまいか。すなわち前に述べた勇猛とか任侠とかという勇ましいところに重きをおいてこの句を用いたのではあるまいか。いわば動物として最も微妙なる知能を有する者、または才能によりて力の足らぬところを、武器をもって補い、豺狼虎豹も遠く及ばぬ力を逞しゅうするさまをいいあらわしたものであろう。

右のごとく考え来たれば一匹なる言葉には、やはり幾分か侮辱の意が含まれているごとく思われる。けだし聖人君子高僧等より見れば、普通にわれわれの賞賛する武勇は猛獣の勇気に類したもので、孟子のいうところの匹夫の勇に過ぎぬ。わが武士道においてもかくのごとき勇気をもって猪勇と称し、深く尊敬しなかったものである。しかしこれは高き見地より見てのことであって、社会がいまだ法治の階段に進まない時代には、武勇は社会の安全に対する保障で、武勇なければ生命も財産も危険に瀕するばかりである。今でも一朝事ある際には、たちまち一国が猛烈なる所為に出る。沙翁の言に、

「ラッパの音のわが耳に響く時は吾人のまさに騎虎の行動を倣うの時なり」

と。暴虎馮河の徒には孔子は与せずといったが、世俗はいまだ彼らに敬服する。昔時、ローマ時代には徳という字と勇気という字とは二つ別々に存在しなかった。勇すなわち徳、徳すなわち勇と考えられていた。かかる時代にはよしや動物性が混じ、匹夫の勇以上に昇らずとも、それが尊かった。しかして男子として褒むべきはこの種の勇を有したからで、国がやや進歩し、法律をもって善悪曲直を判別する時代にいたっても、依然としてなお匹夫の勇が尊ばれ、男を褒むるに一匹の言葉をもってしたものであろう。

Chapter 5 of 207
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