3 グナイストの教えた憲法
グナイストは、伊藤らにたいして、二十回にわたり、六ヵ月をついやして、日本の憲法の草案として役だつように、憲法を講義した。そうして第一回のときには、「モッセは、学問上から巨細申しあぐべく、自分は、実際上から大体のこと申すべし。」と述べている。
その講義の第一回には、「外交、兵制、経済のことは、決して議院のくちばしを入れさしてはならない。」と言っている。圧制主義のはなはだしいものである。
第二回には、「本日は、一般議院において、危害および困難の生ずる実況を述べましょう。」と言っている。
第三回には、「欽定憲法の方式をもって、人民に命令せらるべし。」と、説いている。人民の力によって憲法をつくることを阻止している。
第四回には、地方の行政を確実にすべしと説いている。
第五回には、県制のことを説いている。
第六回には、大臣の権力を強くすべしと説いている。民権主張への強圧である。官僚政治をおこなうべしとの助言である。
第七回には、参議院のことを説いている。上下両院のほかに、一院を置くべしというのである。
第八回には、上院のことを説き、
第九回には、下院のことを説き、
第十回には、憲法を模倣することは容易であるけれども、その実行は困難なものであることを説いている。
第十一回には、憲法の改正について説いている。
第十二回には、選挙法のことを説き、
第十三回には、はじめから一定の方針を立て、これを動かすべからざるものとなすことを説いている。「不磨の大典」と称し、天皇のほかには、憲法の改正をおこない得ないことを、旧憲法が定めたのは、そのためである。
第十四回には、プロシァ国王室のことを説いている。日本は、それにまねたのである。
第十五回には、国王と民との関係を説いている。そうして、「多数の貧民をして、王家の保護を受くることの厚きを感覚せしめざるべからず。」と説き、「地租の軽減は、貧民を利益し、王室の権力を強からしめる。」と説いている。維新後に、日本の新政府は、この問題によって、大いに苦しんだのであった。
第十六回には、行政権のことを説いている。
第十七回には、大臣責任の問題を説いている。
第十八回には、政党のことを説いている。
第十九回には、日本の憲法制定には、プロシァ憲法を模範とすべしと説いている。そうして、プロシァ憲法を逐条的に検討し、存在すべきものは指定し、不用のものは、その不用を指摘している。
本書においては、くわしく述べることは、これをさける。その詳細は、拙著『日本憲法とグナイスト談話』にゆずる。(昭和十四年四月、「議会政治社」発行)
昭和時代の日本においては、日本憲法は、国のはじめから、不文に存在していたものを、ただたんに成文にしたにすぎないと説明する人が多くあって、ある人は、それをもって、人民をあざむき、ある人は、自己をあざむいていたのであった。こうしたことは、憲法発布の際の「告文」の中に、「この憲法は、太古から存在したものである」と思わせるような文句があったところから、出てきたのである。(「皇宗の後裔に胎し給える統治の洪範を紹述するに外ならず」という一句がある。)
私は、かかる偽りを一掃すべき必要から、右の書を刊行したのであった。多年にわたって、政府や伊藤の側近者は、それを秘していた。金子堅太郎も、グナイストのことは、いっさい秘していた。シュタインの講義は、公表され、多くの人が知っていた。グナイストの談話の名だけは、知っている人がいたけれども、その実質を掴んでいる人は、なかなかいなかった。
このグナイストの教えるところによって、日本の天皇の権力万能的な地位は、確定した。それは、天皇の即位の詔に出ている。