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九つの鍵
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九つの鍵
野村胡堂
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Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 4 of 10

眠りの城

十八才の天才洋琴家狩屋愛子は、その独奏会の帰途、兄三郎の眼の前で、番町のあるビルディングの屋上から下った鉤縄に引っかけられ、夜の空へスルスルと引き揚げられたっきり、行くえ知れずになってしまったのです。

その大胆不敵な誘拐の裏には、三郎愛子兄妹の祖父で、一時は日本の炭鉱王と言われた、狩屋三右衛門翁の隠した、純金の大量と、おびただしい宝玉をめぐる大秘密があり、その巨億の宝を封じた九つの鍵は、祖父三右衛門翁が、悪者に追い詰められて、阿蘇の噴火口の中に投り込んでしまいました――と。

これは三郎青年が、波野幸子、馬吉姉弟に説明した、事件の荒筋でした。

その話のうちに、さっき馬吉少年の急を告げた報告が、交番から麹町署へ、麹町署から警視庁へと伝達され、十数名の警官が時を移さず駆けつけてくれました。狩屋三右衛門翁の孫娘で、その晩は日比谷音楽堂にリサイタルを開いた、天才少女狩屋愛子の失踪には、容易ならぬ大事件の匂いがしたのでしょう。

狩屋三郎と波野馬吉少年は、警官隊を案内して、ビルディングの内外を、残るくまなく探索しましたが、もとより人っ子ひとりいそうもなく、ビルディングの管理人と称する山裏金司という中年男を、夜中ながら四谷の自宅から探し出して来て、建物中の部屋を全部空けさせて調べましたが、そこにも何の変りもなく、天才少女狩屋愛子が、蜘蛛の糸に釣られた美しい揚羽の蝶のように、ビルの屋上にスルスルと引上げられたというのが、愛子の兄の三郎の幻想でなければ、愛子はビルディングの中で、煙の如く消えてしまったとでも思うほかはありません。

明方までそこで頑張った狩屋三郎は、夜の明けると共に自分の家へ引揚げました。同じ番町でも、半蔵門寄りのビルから、九段寄りの狩屋邸までは、十分ぐらいの距離はあり、馬吉を走らせて、一応の報告はしましたが、あとは連絡の方法もなく、たった一夜の留守ですが、三年も旅をしていたような心持ちで、自分の家の門をはいったのです。

「おや?」

幸いに焼け残った狩屋家の番町邸は、小規模ではあるにしても、大炭鉱王の昔の栄華を偲ばせて、何んとなくまとまった美しさと、趣味の高い清潔さを思わせる家でしたが、それが今朝は何んという変りようでしょう。

門を一歩はいった三郎は、背筋を走る不気味さと、言うに言われぬ不安を感じたのです。

襲われたような気持ちで門番小屋を覗くと、入口の扉は開いたまま、中にいる佐五平老人は、昼の事務服を着て、テーブルにもたれたなり、昏々と泥に酔ったフナのように、半醒半眠のありさまで泡を吹いているではありませんか。

「爺や、爺や」

三郎は飛びつくように振り動かしましたが、麻酔剤を呑まされたのか、急病を起したのか、容易のことでは覚めそうもありません。

三郎はさすがに驚きましたが、自分で自分の心を鎮めながら、ともかくも家の者に急を告げるつもりで、幸い空け放ったままの玄関から怒鳴りました。

「だれかいる? 爺やが大変だよ」

兄妹ふたりのほかは、同居している従弟の植野誠一という、三郎よりは一つ歳下の十九の青年と、あとは奉公人ばかり、もとより遠慮のある家ではありませんが、家の中は粛として、三郎の声に応ずる者もありません。

「しようがないなア、玄関を空けッ放したまま、まだ皆んな寝ているのかえ」

主人らしいこごとを言いながら、三郎は奥へはいって行きました。が、玄関の隣りの応接間もその奥の書生部屋も、つづく食堂も、部屋中の物を引っくり返して、花瓶や皿小鉢までめちゃめちゃに叩き割り、床をはがし、天井を突き破り、壁紙を引きはがし、テーブルまでも引っくり返した上に、あらゆるイスの皮を切り破って、中のスプリングまで取り出し、クッションというクッションの縫目をほぐして、部屋一パイに羽毛を振りまくという実に徹底した荒らしようです。

三郎は驚いて三階へ飛上りました。が、そこにある四つの部屋――ことに自分と妹の愛子の部屋などは、イスの足までヘシ折って、スタンドの台の大理石を叩き割るほどの恐ろしいありさまでした。

相手の悪者共は、昨夜奇抜な方法で愛子を誘拐し、兄の三郎をそこに釘づけにして、留守番を襲ってこんなにまでも荒し抜いたのでしょう。

青年狩屋三郎は、智力体力共に万人に優れた、世にも珍らしい男で、悪者共もこれと正面から衝突して、四つに組んで争うことを恐れ、卑怯な詭計を設けて、ビルディングに引きつけその留守を狙って徹底的に家を荒して行ったのでしょう。

その目的は何んであったか、狩屋三郎にはよくわかります。

「やったな」

三郎は思わず唇をかんで、拳固を振りましたが、それにしても従弟の植野誠一をはじめ、奉公人がひとりも姿を見せないのは心配でなりません。

念のために、食堂の隣りの洋風の居間――いつもそこで団らんの半夜を過ごす十畳ほどの部屋を覗いて見ると、いるいる、そこにはまん中の大テーブルを囲んで、植野誠一とひとりの書生とふたりの女中が、おとぎばなしの「眠り姫」の家来共のように、めいめいの姿態で、真に千年も眠りこけた姿で、昏々として深い眠りにおちているのです。

狩屋三郎は、もう一度門を飛び出して、警官とお医者をつれて来るほかはありません。

Chapter 4 of 10
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