一
「親分、笑っちゃいけませんよ」
「嫌な野郎だな、俺の面を見てニヤニヤしながら、いきなり笑っちゃいけねえ――とはどういうわけだ」
銭形平次とガラッ八の八五郎は、しばらく御用の合間を、こう暢気な心持で、間抜けな掛合噺のような事を言っているのが、何よりの骨休めだったのです。
「親分にお願いしてくれ――って言うんだが、化物退治じゃねえ」
「化物退治は洒落ているね。場所はどこだい」
「金沢町の升屋なんで」
「両替屋の升屋かい」
「そうですよ。――升屋のお内儀が、銭形の親分さんの御機嫌のいい時、そっとお願いしてみてくれ。詳しい事は、いずれお目に掛ってお話するけれど――って」
「馬鹿だなア。岡っ引に化物退治を頼む奴があるものか。――そんな口なら、岩見重太郎の方へ持って行くがいい」
銭形平次は、こんな事を言うのです。
「その岩見重太郎てぇのは、どこの岡っ引で?」
「ハッハッハッハ、こいつは秀逸だ。岩見重太郎が驚くぜ。岡っ引と間違えられちゃ」
「だって、あっしはまだ、岩見重太郎なんて野郎に逢ったこともありませんよ」
「そうだろうとも、俺も逢ったような気はしねえ」
「へッ、呆れたもんだ」
どこまで行っても話は軌道に乗りません。
「だがね八。升屋には一体どんな化物が出るんだ」
平次はようやく真面目になります。化物退治も暇なときには満更でないと思ったのでしょう。
「化物だか幽霊だか知りませんが、升屋では三月ほど前から変なものが出て、奉公人が居着かなくて困るそうですよ。主人の由兵衛も心配はしているが、商人に似合わぬ確り者で、こんな事が世間へ知れちゃ、商売にも障るだろうし、神田草分けと言われる升屋の暖簾にも関わるから、なるべく人に聞かせたくねえ――とこう言うんだそうで」
「なるほど。升屋の主人の言いそうな事だ」
「――たぶん狸か狐の悪戯だろう。捕めえた者には褒美をやると言うんだそうで」
「フーム」
「ところが、その化物は、おそろしく人見知りをして、主人夫婦と一番番頭の金蔵が寝泊りをしている、奥の離室へは出るが、多勢の奉公人の居る、店の方へは気振りも見せないんだそうですよ」
「贅沢な化物じゃないか」
「主人の由兵衛はあの気象だから、お内儀が閉口して、店の方へ行って休もうと言っても、どうしても聴かねえ。――子供騙しの化物騒ぎに脅かされて、七年間も寝起きをした離室を明け渡すのは、町人の恥だてんで――」
「町人の恥は嬉しいな」
平次はまだ少し茶化しながら、それでも次第にこの話に引入れられる様子です。
「一体、この世の中に、化物や幽霊はあるものでしょうか、ないものでしょうか、親分」
「俺は化物や幽霊に付き合いはねえ。そんな事は横町の手習師匠にでも聞くがいい」
「でも、出るのは確かですよ。お内儀は何べんも見たって言うんだから」
「出るだろうよ。俺はそのエテ物に、足が二本あるか、四本あるか、知りたい」
「じゃ、升屋へ乗込みましょう。主人もお内儀も喜びますよ」
「止そうよ。化物退治は気が乗らねえ。が、主人かお内儀に逢ったら、これだけの事を言っておくがいい。――エテ物は離室を明けさせたい様子だから、一晩店へ引揚げて、様子を見るがよかろう、――用心が悪いと思うなら、あまり物を怖がらない番頭を一人泊めるように――と」
「そう言って来ましょう」
ガラッ八の八五郎は、そのまま飛出しました。この馬鹿馬鹿しい化物騒ぎが、平次が今まで経験したことのないほど、不気味な恐ろしい事件の発端になろうとは素より知る由もありません。