Chapter 1 of 7

「親分、犬が女を殺すでしょうか」

淡雪の降った朝、八五郎のガラッ八は、ぼんやりした顔で、銭形平次のところへやって来ました。

「咬み殺されたのかい」

「そんな事なら不思議はないが、女が匕首で刺されて死んでいるのに、雪の中の足跡は犬なんだそうで――」

「そんな馬鹿なことがあるものか。犬が匕首を振り廻すなら、猫は出刃庖丁を持出すぜ」

「ね、誰だって一応はそう思うでしょう」

「一応も二応もあるものか。一体、どこでそんな騒ぎが持ち上がったんだ」

「行って見ましょうか、親分。犬が匕首を振り廻すような御時世じゃ、うっかり江戸の町は歩けねえ」

「よし、案内しろ。どこだ」

平次はもう身支度をしておりました。変った獲物に誘われる猟犬の本能のようなものを持っているのでしょう。型破りの事件があると、じっとしていられない平次だったのです。

「根岸で」

「三輪の万七兄哥の縄張じゃないか」

「へ、へッ、まア、そんなもので――」

「馬鹿野郎。俺をぺてんにかけておびき出す気だろう」

「とんでもない、親分。それほどの悪気があるものですか、――でも、こうでも言わなきゃ、親分が神輿をあげちゃ下さらないでしょう」

「…………」

「三輪の親分は、番毎こっちの縄張荒しをするのに、親分は浅草から上野一円と聴くと、どう口説いても手を出さないじゃありませんか」

「…………」

「たまには三輪の親分の鼻も明かしてやって下さいよ、親分」

ガラッ八はそんな大それた事を考えていたのでしょう。が、平次は捕物競争などに乗出そうともしません。

「いい加減にしろ馬鹿野郎。三輪の兄哥は三輪の兄哥、俺は俺だ」

「人柄が違い過ぎる――って世間でも言いますよ」

「止さないか、馬鹿野郎」

「へッ、へッ、へッ、何の因果か、その馬鹿野郎ッ――があっしの大好物で、親分にそうやられると、胸がスーッとしますよ。今朝はもう三服盛って貰ったわけで」

ガラッ八の八五郎は、それほど平次に心服しているのでした。

「呆れて物が言えねえ。俺の小言を葛根湯と間違えてやがる」

「でもね、親分。――犬が女を殺した事だけは本当ですぜ。上根岸の寮で、元吉原で鳴らした、薄雲花魁が害られたんで」

独り言ともなく、聞えよがしに言うガラッ八の調子に、

「何だと八。溜屋幸七の手掛お咲が、殺されたとでも言うのか」

平次は思わず開き直りました。車坂の溜屋幸七は、平次とは手習仲間、大店の若主人と岡っ引では、身分が違い過ぎますが、今でも盆暮の挨拶ぐらいは欠かしたことのない仲だったのです。

「へッ、そのお咲というのは平家名で」

「何だと?」

「薄雲が源氏名なら、元服してお咲は平家名じゃありませんか」

「無駄を言うな。――とにかく、溜屋の寮じゃ知らん顔もなるめえ。ちょいと行ってみようか、八」

「お出なすった」

「何だと?」

「なアに、三輪の親分の顔が見てえという話で――」

「止さねえか、馬鹿野郎」

「へッ、これで葛根湯が四服目だ」

手の付けようがありません。

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