Chapter 1 of 9

「親分、大變な野郎が來ましたぜ」

ガラツ八の八五郎は、拇指で自分の肩越しに指し乍ら、入口の方へ頤をしやくつて見せます。

「大變な野郎――?」

錢形の平次は、岡つ引には過ぎた物の本に吸付いて、顏を擧げようともしません。

「二本差が二人――」

「馬鹿野郎、御武家を野郎呼ばはりする奴があるものか、無禮討にされても俺の知つたことぢやないぜ」

「でもね親分、立派なお武家が二人、敷居を舐めるやうにして、――平次殿御在宿ならば御目にかゝりたい、主人姓名の儀は仔細あつて申兼ねるが、拙者は石津右門、大垣伊右衞門と申すもの――てやがる。まるでお芝居だね、へツ、へツ、へツ、へツ」

ガラツ八は、箍の拔けた桶のやうに、手の付けやうのない馬鹿笑ひをするのです。

「御身分の方だらう、丁寧にお通し申すんだ。――その馬鹿笑ひだけなんとか片附けろ、呆れた野郎だ」

小言をいひ乍ら平次は、取散らかした部屋の中を片附けて、少し煎餅になつた座蒲團を二枚、上座らしい方角へ直します。

「これは、平次殿か、飛んだ邪魔をいたす。拙者は石津右門――」

「拙者は大垣伊右衞門と申す者」

二人の武家は開き直つて挨拶するのです。――石津右門といふのは、五十前後の鬼が霍亂を患つたやうな惡相の武家、眼も鼻も口も大きい上に、澁紙色の皮膚、山のやうな兩肩、身扮も、腰の物も、代表型な淺黄裏のくせに、聲だけは妙に物優しく、折目正しい言葉にも、女のやうな柔かい響があります。

大垣伊右衞門といふのは、それより四つ五つ若く、これは美男と言つてもいゝでせう、秀でた眉、高い鼻、少し大きいが紅い唇、謠の地があるらしい錆を含んだ聲、口上も江戸前でハキハキして居ります。

「私が平次でございますが――御用は?」

平次は靜かに顏をあげました。

「外ではない。町方の御用を勤める平次殿には、筋違ひの仕事であらうが、人間二人三人の命に係はる大事、折入つて頼みたいことがあつて參つた――」

石津右門は口を切るのです。

「拙者はさる大藩の國家老、こゝに居られる大垣殿は江戸の御留守居ぢや。耻を申さねば判らぬが、三日前、當江戸上屋敷に、不測の大事が起り、拙者と大垣殿は既に腹まで掻切らうといたしたが、一藩の興廢に拘はる大事、一人や二人腹を切つて濟むことではない。――兎やかう思案の果、さる人から平次殿の大名を承はり、良き智慧を拜借に參つたやうなわけぢや――」

四角几帳面な話、聽いて居るだけでも肩の凝りさうなのを、ガラツ八はたまり兼ねて次の間へ避難しました。――平次殿の大名――から――良き智慧を拜借――が可笑しかつたのです。

「旦那、お言葉中でございますが、あつしは町方の御用聞で、御武家や御大名方の紛紜に立ち入るわけには參りません。承はる前に、それはお斷り申上げた方が宜しいやうで――」

平次が尻ごみしたのも無理はありません。腹を切り損ねて飛込んで來た武家などには、どうも附き合ひ切れないと思つたのです。石津右門の辭色は、何樣以て容易のことではなかつたのでした。

「――待つた。平次殿、その言葉は一應尤もだが、これは何分にも大事の上の大事だ。二十萬石の大々名が改易削封になれば、何百何千人の難儀ばかりでない。天下靜謐の折柄、その爲にどんな騷ぎが持上がり、諸人の迷惑にならうも知れぬ――」

「承はりませう、旦那、それ程迄に仰しやるなら、兎も角、そのお話を承はつてあつしでできることなら、何なりと致しませう」

平次も度胸を決めました。この二人の武家はウンと言ふ迄、梃でも動きさうもないのを見て取つたのです。

「それは辱けない、流石は義に勇む平次殿、世上の噂に僞りはない」

「おだてちやいけません」

「實は斯う言ふわけだ――」

石津右門は語り出しました。

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