Chapter 1 of 8

「親分、山崎屋の隱居が死んださうですね」

ガラツ八の八五郎は、いつにない深刻な顏をして入つて來ました。

「それは聽いた。が、どうした、變なことでもあるのかい」

錢形平次は植木鉢から顏を擧げました。相變らず南縁で、草花の芽をいつくしんでゐると言つた、天下泰平の姿だつたのです。

「變なことがないから不思議ぢやありませんか」

「そんな馬鹿なことがあるものか」

「でも、ね親分、あの隱居は疊の上で往生の遂げられる人間ぢやありませんぜ。稼業とは言ひ乍ら何百人、何千人の壽命を縮めたか、解らない――」

「佛樣の惡口を言つちやならねえ」

「死んだ者のことを彼れこれ言ふわけぢやねえが、ね親分、聽いておくんなさい、このあつしも去年の秋、一兩二分借りたのを、半年の間に、一兩近けえ利息を絞られましたぜ。十手や捕繩を屁とも思はない爺イでしたよ」

ガラツ八はそんな事を言ひ乍ら、鼻の頭を撫で上げるのでした。

「まさか、十手や捕繩をチラチラさせて金を借りたんぢやあるまいね」

「借りる時は見せるもんですか。尤も、うるさく催促に來た時チラチラさせましたが、相手は一向驚かねえ」

「なほ惡いやな、仕樣のねえ野郎だ。お小遣が要るなら、俺のところへ來てさう言へば宜いのに、――尤も、俺のところにも一兩と纒まつた金は滅多にねえが、いざとなりや、質を置くとか、女房を賣り飛ばすとか」

「止して下さいよ、親分がそんな事を言ふから、うつかり無心にも來られねえ」

ガラツ八は面目次第もない頸筋をポリポリ掻くのでした。

「お葬ひが濟んで、帳面をしらべたら、借手に御用聞の八五郎の名が出て來た――なんか面白くねえ。お上の御用を勤める者には、それだけの慎みが肝腎だ、――これを持つて行つて、番頭か若主人にさう言つて、帳面から手前の名前だけ消して貰ふが宜い。それから、忌中の家へ手ブラで行く法はないから、これは少しばかりだが香奠の印だ」

錢形平次はさう言ひ乍ら、財布から取出した小粒で一兩二分、外に二朱銀を一枚、紙に包んでガラツ八の方へ押やりました。

「へエ、相濟みません。それぢやこの一兩二分は借りて參ります。それからこれは少しばかりだが香奠の印――」

「人の口眞似をする奴もねえものだ」

「勘辨しておくんなせえ、少し面喰らつて居るんで」

八五郎は飛んで行きました。同朋町の山崎屋の隱居勘兵衞に、散々の目に逢はされた一兩二分、死んでからでも返してしまつたら、さぞ清々するだらうと言つた、そんな事しか考へて居なかつたのですが、行つて見ると、それどころの騷ぎではありません。

湯島の崖を背負つて、大きな敷地に建つた山崎屋の裕福な家の中が、ワクワクするやうな緊張を孕み、集つた親類縁者近所の衆が、ガラツ八の八五郎を迎へて、固唾を呑むのです。

「御免よ、――内々で番頭に逢ひてえが」

「その事でございます、親分さん」

顏見知りの久藏、――死んだ隱居の配偶の妹の亭主、男藝者などをしてゐた、評判の宜しくない五十男が、眼顏で八五郎を人氣のない奧の一間へ導き入れるのでした。

「番頭か若主人でないと困るが、實は――」

ガラツ八は一兩二分の件を切出し兼ねてモヂモヂしました。

「へエ/\、早速此方から、お屆けする筈でしたが、取紛れてこの始末でございます。もう、あの、お聽きでございましたか、親分さん」

「――」

「お上のお耳は、早いものでございますなア」

何が何やら解りませんが、ガラツ八の用件とは、大分見當の違つた事件が起つてゐる樣子です。一兩二分と香奠の一朱を懷の中で掴んだまゝ、ガラツ八は何も彼も呑込んで來たやうな顏をする外はありません。

「言つて見るがいゝ、――一體どうしてそんな事になつたのだ」

「誰が密告したか解りませんが。――お寺から、葬ひを斷つて參りました」

「何?」

ガラツ八も膝小僧を揃へました。寺方が埋葬を斷るのは、検屍を受けない變死人の場合で、醫者の死亡診斷書といふものゝない時代には、これが犯罪摘發の最後の手段に用ゐられたのです。

「義兄が死んだのは一昨日の朝で――尤も夜中に死んで居たのを、下女が朝起しに行つて見付けたさうですが、昨夜までも何の障りもなく、お通夜坊主が來て、長いお經をあげて歸りました。それが今朝になつて、急にお上の檢屍がなきや、佛を引取るわけに行かない――と斯う言ふ始末で、へエ――」

久藏はキヨトキヨトし乍ら、漸くこれ丈けのことを打あけました。八五郎がその噂を嗅ぎつけて、飛込んで來たと思ひ込んだのでせう。

Chapter 1 of 8