Chapter 1 of 7

「親分、お願ひだ。ちよいとお御輿を上げて下さい」

八五郎のガラツ八は額際に平掌を泳がせ乍ら入つて來ました。

「何を拜んでゐるんだ。お御輿は明神樣のお祭りが來なきや上らねえよ」

錢形の平次は驚く色もありません。裏長屋の狹い庭越しに、梅から櫻へ移り行く春の風物を眺めて、唯斯うぼんやりと日を暮してゐる、この頃の平次だつたのです。

「三河町の殺しの現場へ行つて見ましたがね、何しろ若い女が四人も五人も居て、銘々勝手なことを言ふから、何時までせゝつて居たつて、眼鼻は明きませんよ」

ガラツ八は頸筋を掻いたり、顏中をブルブルンと撫で廻したり、仕方澤山に探索の容易ならぬことを呑込ませようとするのです。

「八は男つ振りが良過ぎるからだよ。岡つ引は醜男に限るつてね」

「さうでもありませんがね。何しろ右から左から、胸倉まで掴んであつしを物蔭へ引張つて行つて自分の都合の宜いことばかり言ふんでせう」

「宜い加減にしないかよ、馬鹿だなア」

「へエ――」

「惚氣なんか聽いてるんぢやない。サア、案内しな」

「へエ――」

「折角お前の手柄にさせようと思つてやつたのに、仕樣のない奴ぢやないか」

平次は小言をいひ乍らも、手早く身仕度をして、ガラツ八と一緒に外へ出ました。

まだ三十前と言つても、平次とあまり年の違はない八五郎に、一と廉筋の立つた手柄をさせて、八丁堀の旦那方に顏をよくした上、手頃な女房も持たせて、一本立ちの岡つ引にしてやらうと言ふ平次の望みが、何時も斯う言つた愚にもつかぬ支障でフイになつて了ふのです。

平次は途々八五郎の説明を聽きました。

「三河町の奈良屋三郎兵衞つていふと、親分も知つて居る通り、公儀の御用を勤める大層な材木屋だが――金に不自由がなくなると、人間はどうしても放埒になるんだね。お蔭樣でこちとらは――」

「無駄を言ふな、奈良屋三郎兵衞の放埒がどうしたといふのだ」

「放埒は伜の幾太郎の方ですよ。二十六にもなるが、遊び好きで可愛らしい許嫁があるのに祝言もせずにまだ獨り者だ。あんまり羽目を外して、親父の大事なものまで持出し、到頭座敷牢のやうに拵えた嚴重な圍ひの中に打ち込まれてゐたが、昨夜その圍ひの中で脇差で突つ殺された者があるんで」

「フーム、變つた殺しだな」

「ところが、變つてゐるのはその先なんで、圍ひの中で殺されてゐたのは、伜の幾太郎と思ひきや」

「思ひきやと來たね、お前何時からそんな學者になつたんだ」

「へツ、學者はあつしの地ですよ」

「無筆は鍍金だつたのか、そいつは知らなかつた」

「からかつちやいけません。兎に角、今朝圍ひの中で、人間が殺されてゐるのを見付けたのは下女のお仲、二十五六のこいつは良い年増ですよ」

「無駄が多いね、早く筋を通しな」

「下女のきりやうも筋のうちですよ。兎も角、大騷動になつて、血だらけな死骸を引起して見るとそれが、伜の幾太郎と思ひきや――てんで」

「又思ひきやか。お前の學はよく解つたよ、先を申上げな」

「手代分で店の方をやつてゐる從兄の梅吉といふ男が圍ひの中で殺されて、伜の幾太郎は影も形もない」

「フーム」

「驚くでせう、こいつは。あつしのところへ知らせて來たのは、まだ夜が明けたばかりの時だ。親分へ傳言をやつて、叔母さんに朝のお菜を頼んで飛んで行つて見ると――」

「合の手が多過ぎるよ、叔母さんなんか引つ込めて話を運びな」

平次も少しジレ込みました。ガラツ八の話術で展開する筋は、なか/\面白さうです。

「若い女が多勢居て、銘々自分だけ良い子にならうと辯じ立てるから、手の付けやうがねえ。親分の前だが、女は苦手だね」

「何をつまらねエ、向ふでもさう言つて居るよ、岡つ引は苦手だ――とね」

「へツ、違えねえ」

「ところで、伜の行方はそれつきり知れずか」

平次は少し眞面目になりました。

「皆目解らねえ」

「圍ひの戸は開いて居たのか」

「大一番の海老錠がおりて居たさうですよ」

「鍵は?」

「旦那の三郎兵衞が持つてゐた筈だが、それは表向きで、懲しめのための窮命だから、鍵はツイ廊下の柱にブラ下げてあるさうですよ」

「その鍵はあるだらうな」

「ないから不思議で」

「成程そいつは面白さうだ」

「だから親分を誘ひ出しに來たんですよ」

「恩に着せる氣なら俺は歸えるぜ」

「あつ、あやまつた。親分、切角此處まで來たんだから、先づチヨイト覗いてやつて下さい。若い女が五六人居て銘々良い子になる氣だから、そりや賑やかな殺しですよ」

「賑やかな殺し――てえ奴があるかい」

そんな事を言ひ乍ら、平次は八五郎の導くまゝに、奈良屋三郎兵衞の豪勢な店先に立つて居りました。

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