Chapter 1 of 6

「江戸中の評判なんですがね、親分」

「何が評判なんだ」

ガラツ八の八五郎が、何にか變なことを聞込んで來たらしいのを、錢形の平次は浮世草紙の繪を眺め乍ら、無關心な態度で訊き返しました。

「兩國の女角力と錢形の親分」

「馬鹿野郎、俺を遊ぶ心算か」

平次は威勢の良いのを浴びせて、コロリと横になります。斯うすると軒に這はせた、貧弱な朝顏がよく見えるのでした。

「へツへツ、怒つちやいけませんよ。ところでね、親分」

「何んだい、うるさい野郎だな、少し晝寢でもさしてくれ。――女角力を毎日覗いてゐるやうな目出度い人間とは附き合ひ度くねエ。木戸錢だつてまともに拂つちや居ないだらう」

「冗談ぢやありませんよ。女角力を見たのはたつた三遍だけですよ」

「三遍見りや澤山だ」

「四遍も見ると、嚔が出る」

「呆れた野郎だ。そんなものへ俺を引き合ひに出すのか」

「そんな心算ぢやありません。ね、親分、女角力はちよいと話のキツカケをつけただけで、今日は親分の學の方を借りに來たんですがね」

「ガク?」

「學問ですよ、親分」

「大層なものを借りに來やがつたな。さうと知つたら、昨日あたり二三百文ほど仕入れて置くんだつたよ」

平次は仰向けに寢たまゝ、面白さうに笑つて居ります。

「ね、親分、ひらめといふ字を知つてゐますか」

「ひらめやかれいに附き合ひはないよ。鰻といふ字と、鯨といふ字なら看板で見て知つてるが、それでも間に合せるわけには行かねエのか」

「ひらめですよ、親分。――日比魚と三字でひらめと讀むか讀まないかてんで、大變な騷ぎですよ」

「フーン」

平次は一向氣の乘らない樣子です。

「町内の手習師匠に訊くと、ひらめを四角な字で書くと比目魚となる。魚扁に平でひらめだが、日比魚と書いてひらめとは讀まない――と斯うなんで」

「それで解つてるぢやないか、俺の學なんか引合ひに出すことがあるものか。魚扁に平はひらめさ、魚扁に丸くて長いのはどぜうで、魚扁に骨張つてゐるのははうぼう、物事は皆んな理詰めだ」

「ところで遺言には日比魚と書いてあるんで。これは聖堂へ持つて行つたつて讀めないから不思議ぢやありませんか。これが讀めると、何萬兩といふ金になるんだが――」

「大層な事を言ふぢやないか。日比魚が何千兩になるという話をもつと詳しく話して見るが宜い」

平次も到頭坐り直しました。ガラツ八の話術は近頃は一段と冴えて、兎角不精になり勝な平次を事件の眞ん中に誘ひ込むコツを心得て居るのです。

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