Chapter 1 of 5

「親分、何んかかう胸のすくやうなことはありませんかね」

ガラツ八の八五郎は薄寒さうに彌造を構へたまゝ、膝小僧で錢形平次の家の木戸を押し開けて、狭い庭先へノソリと立つたのでした。

「胸のすく禁呪なんか知らないよ。尤も腹の減ることならうんと知つてるぜ。幸ひお天氣が良いから疊を干さうと思つてゐるんだ。氣取つてなんかゐずに、尻でも端折つて手傳つて行くがいゝ」

「そいつはあやまりますよ、親分」

「馬鹿野郎、箒へお辭儀なんかしたつて、大掃除の義理にはならないよ。疊をあげるのが嫌なら、その手桶へ水でも汲んで來て、雜巾掛の方を手傳ひな」

「疊をあげるより、犯人を擧げる口がありませんか、親分」

「仕樣のねえ野郎だ。そんなに御用大事に思ふなら、俺の代理に鍛冶町の紅屋へ行つてくれ。――俺は怪我や變死に一々立會ふのが嫌だから、鎌倉河岸の佐吉親分に任せてあるんだ――」

「鍛冶町の紅屋に何があつたんです? 親分」

「紅屋の居候のやうな支配人のやうな彌惣といふ男が、昨夜土藏の中で變死したさうだよ。檢屍は今日の巳刻(十時)今から行つたら間に合はないことはあるまい」

「それぢや親分、大掃除よりそつちの方を手傳ひますよ」

八五郎は言ひ捨てて飛び出しました。

×      ×      ×

紅屋――と言つても、手廣く唐物袋物を商つた店で、柳營の御用まで勤め、昔は武鑑の隅つこにも載つた家柄ですが、先代の藤兵衞は半歳前に亡くなり、跡取の藤吉といふ二十三になるのが、番頭の彦太郎や、自分では支配人と觸れ込んでゐる居候上がりの彌惣を後見に、どうやらかうやら商賣を續けてゐるのでした。

その支配人の彌惣が、今朝小僧の定吉が土藏を開けて見ると、思ひも寄らぬ長持の奧――、曾てそんな物があるとも知らなかつた石の唐櫃の蓋に首を挾まれて、蟲のやうに死んでゐたのです。

ガラツ八の八五郎が行つた時は、一と足違ひに檢屍が濟んで、役人はもう歸つた後。鎌倉河岸の佐吉も歸り仕度をしてゐるところでした。

「お、八五郎兄哥か、少し遲れたが、どうせ大したことぢやないから――。無駄足になつたな、錢形の親分は?」

「大掃除で眞つ黒になつてゐますよ」

「それでよかつたよ。彌惣の死んだのは間違ひに決つたし、唐櫃の中の八千兩の小判を拜んだだけが役得見たいなものさ。――尤もこちとらのやうな貧乏人には眼の毒かも知れないが――」

氣の良い佐吉は、さう言つて笑ふのです。

「八千兩ですつて?」

ガラツ八はさすがに膽を潰しました。十六文の蕎麥を毎晩二つづつ喰へる身分になりたいと思ひ込んでゐる八五郎に取つては、八千兩といふのは全く夢のやうな大金です。

「そいつを取出さうと、石の唐櫃の中へ首を入れたところを、突つかひ棒が外れたから何十貫といふ蓋が落ちたのさ」

「へエ――」

さう聽いただけでも、何にかガラツ八には容易ならぬものの臭ひがするのでした。

「不斷やつとうの心得があるとか、柔術がいけるとか、腕自慢ばかりしてゐた彌惣だが、石の唐櫃に首を挾まれちや一とたまりもないね」

「そいつは後學のために、現場を見たいものですね、佐吉親分」

ガラツ八は押して頼みました。

「成程、さう言はれると面倒臭がつてゐちや濟まねえ。幸ひ現場はそのまゝにしてあるから、先づ死骸から見て行くがいゝ」

鎌倉河岸の佐吉はガラツ八を案内して、もう一度紅屋の奧へ引返しました。

店から住居を拔けると、裏は二た戸前の土藏と物置があつて、その間に彌惣父子の住んでゐる小さい家があります。

「どうして紅屋の先代が、あんな男を店へ入れたか、――死んだ者の惡口をいふわけぢやねえが、彌惣といふのは一と癖も二た癖もある男だつたよ」

五十男の佐吉は、平次には幾度も/\助けられてゐるので競爭意識を離れて、ガラツ八にかう話して聽かせるのでした。

彌惣の家は小體ながら裕福さうで、紅屋の支配人と言つても恥かしくないものでしたが、檢屍が濟んで土藏から死骸を移したばかりなので、上を下への混雜です。

「氣の毒だが、錢形の親分ところの八五郎兄哥が一寸拜んで行きたいと言ふから――」

佐吉が辯解しながら入ると、

「どうぞ、よく御覽下さいまし。私はどうも、親父が怪我や過ちで死んだとは思へませんが――」

さう言つて案内してくれたのは、死んだ彌惣の伜で、二十五になるといふ彌三郎でした。もとはどんな暮しをしたか判りませんが、商人には向きさうもない肌合ひの男で、少し取りのぼせてはゐながらも、言ふことはひどくキビキビしてをります。

「あ」

膝行り寄つて線香をあげて、死骸を覆つた巾を取りのけて、物馴れたガラツ八も思はず聲を立てました。

「ね、親分さん、あんまり虐たらしいぢやありませんか。万一あれが過ちでなかつたら、佛は浮かばれません」

彌三郎は側から血走る眼で見上げます。

死骸は全く二た目と見られない無慙なものでした。石の唐櫃へ双手を入れたところを、上から數十貫の蓋に落ちられたのでせう。首から肩へかけて泥のやうに碎けてゐるのです。

「氣の毒なことだつたな。――ところで、ほんの少し訊きたいことがあるが」

ガラツ八は平次仕込みにきり出しました。

「へ、どんなことでも訊いて下さい。親分さん。――私の口から言ふと變ですが、親父は石の唐櫃の蓋に挾まれて死ぬなんて、そんな間拔な人間ぢやありません」

「やつとうの心得があつたといふぢやないか」

と八五郎。

「自分では目録だと言つてゐましたが、少しは法蝶があつたにしても劍術は自慢でしたよ」

彌三郎はそんなことを言ふのも少し得意さうでした。

「紅屋とは、どんな引つ掛りがあつたんだ。三年ほど前にこの家へ入つたといふ話だが」

ガラツ八は問ひ進みます。

「先代の旦那が若い時、小夜の中山で山賊の手に陷ちて難儀してゐるところを、私の親父に助けられたとかいふ話で、大層恩に着てゐましたよ。今から三年前、久し振りで江戸へ來て、この店へ訪ねて來ると、恩返しをしたいから、親子二人共是非足を留めるやうにと、たつてのお言葉で、到頭お店の支配をする約束で、こゝに住むことになりました」

「土藏の石の唐櫃に、八千兩の金のあることを、お前は知らなかつたのか」

八五郎の問ひは方向を變へました。

「少しも知りません」

「父親は?」

「そりや、店の支配を頼まれたくらゐですから、知つてゐたでせう」

「昨夜家を拔け出して、土藏へ入つたことをお前は知つてゐた筈だと思ふが」

「氣がつきませんでしたよ。部屋が離れてゐる上、私は大寢坊で」

さう言はれると、それつきりのことです。

Chapter 1 of 5