Chapter 1 of 5

「親分妙なことがありますよ」

ガラツ八の八五郎は、入つて來るといきなり洒落た懷中煙草入を出して、良い匂ひの煙草を立て續けに二三服喫ひ續けるのでした。

「陽氣のせゐだね。俺の方にも妙なことがあるんだが――」

錢形の平次は、肘枕を解くと、起直つてたしなみの襟などを掻き合せます。

「へエー、不思議ですね。親分の方の妙な事といふのはなんで?」

ガラツ八は鼻の下を長くしました。

「八五郎の煙草入に煙草が入つて居るのが妙ぢやないか。その煙草が馬糞臭い鬼殺しでもあることか、プーンと名香の匂ひのする上葉だ。水戸か薩摩か知らないが、何處でくすねて來やがつたんだ」

「驚いたね、どうも。錢形の親分の鼻の良いには」

「お世辭を言ふな」

「實はこの煙草の施主に頼まれて來たんですがね。――凡そこの」

「凡そこの――と來たか。その次は然り而してと來るだらう、煙草と一緒に學まで仕入れて來やがつた」

平次と八五郎は何時でも此調子で、大事な話をトントンと運んで行くのでした。平次とガラツ八の流儀から言へば、無駄話も決して無駄ではなかつたのです。

「からかつちやいけませんよ。――凡そこの、へツ又出て來やがつた。學があると、ツイこの地が出るんですね」

「間拔けだなア、まだ學にこだはつてやがる。早く話の筋を通しな」

「へエ、――凡そと來たね、下手人のない人殺しといふものがあるでせうか」

「成程そいつは妙だね。下手人がなきや頓死か過ちだらう」

「床の中で過失は變ぢやありませんか。おまけに首筋を刺身庖丁で切られて頓死は開闢以來で――」

「誰だい、それは?」

「本所御船藏前、水戸樣御用の煙草問屋で常陸屋久左衞門が、昨夜自分の部屋で殺されて居るのを、今朝になつて見付けましたよ。石原の利助親分ところのお品さんが、親父の繩張内で起つたことだが、こいつはむづかしさうだから、錢形の親分にお願ひして下さい。動きさうもなかつたら、首根つこに繩をつけても――」

「お品さんはそんな事を言やしめえ」

「へツ、その通りで」

「水府の刻みは、常陸屋の店で貰つて來たのか、呆れ返つた野郎だ。どんなに詰めたか知らないが懷中煙草入はハチ切れさうぢやないか」

「煙草入のカマスは大きいに限ると思ひましたよ。今日といふ今日は」

「馬鹿野郎」

「今度お菓子屋に間違ひがあつたら、重箱を背負つて行く」

「止さないか、人聞きの惡い」

錢形平次はそんな無駄を言ひ乍らも、手早く支度をして、八五郎と一緒に神田の家を飛出しました。

本所御船藏前の常陸屋といふのは、その頃水府の煙草を一手に捌いた老舖で、江戸中にも知られた店ですが、殺されたといふ主人の久左衞門はその時五十八歳。頑固一徹で、つむじ曲りで、口やかましくて、少しケチで、そしてなか/\の商賣上手といふ評判の老人でした。

常陸屋の内外は、石原の利助の子分達が、水も漏らさじと固め。店には老番頭の五助と、若い手代の福次郎が、脅えきつた顏を並べて、平次と八五郎を迎へます。

「早速だが、主人の部屋は?」

「斯うお出でなさいまし」

利助の子分の多吉が、自分の事のやうに先に立つて案内しました。お品によく/\言ひ含められたのでせう。

案内された主人の部屋といふのは、店に續いた薄暗い六疊で、其處からはお勝手も女中部屋も近く、土藏に通ふ廊下まで見張れるので、まことに四通八達の要路に當り、奉公人達は蔭口に『鎌倉街道』などと言つて居ります。

障子を開けて入ると、線香の匂ひと共に、ムツと立ち籠めてゐる血の臭ひ。馴れた平次も、思はず敷居際に立ち止りました。

まだ檢屍前で、幸ひ死骸もそのまゝ。平次は念入りに調べ乍ら、昨夜行はれた恐ろしい犯罪の情景を、頭の中に描いて居ります。

秋と言つても、まだ生暖かい時で、薄い夜の物を蹴飛し加減に、主人の死骸は半分床から滑り落ちて居ります。傷は右寄りに喉へ一ヶ所、凄まじい血潮を見ると、下手人の手際の恐ろしさは舌を卷かせるばかり。

「これで聲を立てなかつたのかな」

八五郎は平次の後ろから覗きました。

「變な聲を聞いたやうにも思ひますが、何分晝の疲れでよく寢て居りますので。へエ」

それに答へたのは、何時の間にやら、後ろからついて來た老番頭の五助でした。もう六十近い年配でせう。顏も聲も皺が寄つて、何んとなく見る影もない老人です。

「お前の寢て居る部屋は近いのか」

平次です。

「いえ、一番遠く離れて居りますが、年寄は主人を除けば私一人で、あとは二十歳臺の若い者ばかりでございます」

老番頭はさすがに長い商賣の掛引で叩き上げたせゐか、見かけよりはシヤンとして居ります。

「戸締りはどうだ」

「此上もなく念入りで御座います。三人で三度に見廻ることになつて居りますから」

「三人で三度に」

「暗くなる時下女のお松が締めて、夕飯の後で私か福次郎が見廻り、それから寢る時主人が手燭を持つて一々調べることになつて居ります」

「それで今朝戸締りに變つたことがなかつたのか」

「少しも變つたところもございませんでした。棧をおろして、輪鍵をかけて、その上場所によつて閂を差して居ります」

「それは念入りだな――が、戸締りに變りがなければ、下手人が家の中に居るといふことになるが」

「へエ」

老番頭はさすがにギヨツとした樣子で四方を見廻しました。

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