Chapter 1 of 5

「わツ、親分」

まだ明けきらぬ路地を、鐵砲玉のやうに飛んで來たガラツ八の八五郎。錢形平次の家の格子戸へ、身體ごと拳骨を叩き付けて、お臍のあたりが破けでもしたやうな、變な聲を出してわめき散らすのです。

「何といふ聲を出すんだ、朝つぱらから。御近所の衆は番毎膽を冷やすぜ」

平次は口小言をいひ乍らも、事態重大と見たか、寢卷の前を掻き合せて、春の朝靄の中へ、眠り足らぬ顏を出すのでした。

「大變なんだ、親分。早く、早く支度をして下さい。あつしはもう腹が立つて、腹が立つて」

「腹が立つて飛び込んで來たのか。こんなに早く叩き起されて、お前の腹の始末までしなきやならないのかえ――俺は斯う見えても滅法寢起きが惡いんだぜ」

平次はさう言ひ乍らも、八五郎の取亂した姿を眺めてニヤリニヤリ笑つて居るのです。

「親分の寢起きなんかに構つちや居られませんよ。何しろ神田から下谷一圓の御用聞が狩出されて、錢形の親分には内密で、夜つぴて網を張つたんだ」

「何んの網だ、鰯網か鰤網か」

「左傷の五右衞門が、今晩あたりは、何處かへ出るに違ひねえといふ見込で、下つ引交りに三十八人と出ましたよ。いつも錢形の親分にばかり手柄を持つて行かれるから、今度こそはこちとらだけで、左傷の五右衞門を擧げようといふ目論見だ。捕頭は秋葉の小平親分」

「お前も一枚入つたのか」

「あつしもたまには仲間の義理でね」

「仲間の義理で俺を出し拔いたといふのか。まア宜いや、そんな事はどうでも構はねえが、首尾よく左傷の五右衞門を捕つたのか」

「宜い鹽梅に捕り損ねましたよ」

「宜い鹽梅といふ奴があるか、間拔けだなア」

「兎に角、左傷の五右衞門の野郎が、鍛冶町の質屋上總屋勘兵衞の店に押し込み、有金三百兩を出させた上、主人の勘兵衞に傷を負はせて逃げ出したところを突き留め、三十八人の人數が八方から取詰めて、動きの取れない雪隱詰にしたことは確かなんで」

「フーム、それは大變なことだな」

平次は唸りました。自分だけこの捕物陣から除け者にされたのは、まことに苦笑ものですが、左傷の五右衞門を、雪隱詰にしたといふのは、大した手柄でなければなりません。

左傷の五右衞門――それはまことに恐るべき兇賊でした。暮から活動を始めて、この三月末までには、神田から下谷、淺草、本郷へかけて、十五六軒も荒したことでせう。門も戸も締りも錠前も左傷の五右衞門の前には、何の役にも立たず、隙間漏る風の如くに入つて來て、少なきは三十兩五十兩、多いのは五百兩八百兩と奪ひ取り、少しでも手向ひする者は、生命には別條ないまでも、手足か顏かに、手ひどい傷を負はされたのです。

兇賊はたつた一人ですが、仕事振りの落着き拂つた態度から押して、外に一人や二人の仲間が頑張り、見張りを兼ねて何にかの時の助勢に備へて居ることは確かでした。狙ふものは金錢ばかり、七珍八寶山とつんであつても、それには眼もくれません。

何より驚く可きは、戸締りや錠前を、紙の如く切り破る手際で、門は乘越え、錠前は捻ぢ切り、棧や輪鍵は、薄刄の凄い刄物で外から綺麗に切取つて、コトリとも音を立てないのです。

荒す範圍は錢形平次の繩張内に限られ、あまり遠走りしないのは、町々の木戸や、橋番や、自身番などを警戒するためとすれば、曲者は神田明神を中心に、此邊に住んでゐるものと見なければならず、その上、時々平次に宛てて『近いうちに何町の何某の家を見舞ふぞ、隨分要心するがよからう』とか、泥棒に入つた翌る日など、『どうぢや平次親分、昨夜の手際は』などと、からかひ面の手紙を投り込むことがありました。

その手紙は紙も墨もよく、筆跡も相當なら、文句もギゴチない侍言葉で、妙に人を苛立たせます。

「――一度雪隱詰にしたが、矢張り逃げられましたよ。曲者は昌平橋を見張つて居る、仲間の彌吉を川へ投り込んで、明神下に逃げ込んだことは確かだが、それつきり行方がわかりません」

「明神下といふと、此邊ぢやないか」

「親分のお膝元ですよ、曲者が潜り込んだのは間違ひもなく此町内だ。三十八人の仲間が手をわけて八方を固め、蟻の這ひ出る隙間もなくした上、町内の人手を狩り集めて、一軒々々家搜しが始まりましたぜ」

八五郎が血眼になつて飛込んだのは、この重大報告があつた爲だつたのです。まさかと思つて、親分に内緒で勢子の一人に加はつたのは宜いが、獲物が親分の羽掻の下に逃げ込んで、うつかり知らずに居る錢形平次の家へ、家搜しの一隊が乘込むやうな事になつては、ガラツ八の一分が立ちません。

「一軒々々の家搜しは、少し無法ぢやないか。御奉行の御指圖でもなきや、そんな出過ぎたことは出來ない筈だ」

平次は憤然としました。如何に封建制度の惡政の下でも、一町内の家搜しは、岡つ引風情には許されるべきことではありません。

「あつしもそれを言ひ張りましたが、秋葉の小平親分は聽きやしません。日頃の鬱憤の晴らし時とでも思つたか、錢形の親分の町内に曲者が逃げ込んだとわかると、すつかり張りきつて眼の色を變へて――後のおとがめはこの小平が一人で引受けた。構ふことはねえから、一軒一軒虱潰しに調べろ。いづれは浪人者か主人持か、二本差の仕業に違ひあるめえが、腕の立つ奴に油斷をするな。左の頬に傷のある人間が見付かつたら、庄屋樣でもお狐でも、有無を言はせず縛り上げろ――といふ騷ぎで」

「成程そいつは打つちやつては置けねえ」

平次は手早く顏を洗つて、着換へると、十手を腰に、おろ/\する女房のお靜に、――安心しろ――と言つた一瞥を與へたまゝ、ガラツ八を先に立てて、朝の路地へパツと飛出しました。

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