一
「考へて見ると不思議なものぢやありませんか。ね、親分」
八五郎はいきなり妙なことを言ひ出すのでした。明神下の錢形平次の家の晝下がり、煎餅のお盆を空つぽにして、豆板を三四枚平らげて、出殼しの茶を二た土瓶あけて、さてと言つた調子で話を始めるのです。
「全く不思議だよ。晝飯が濟んだばかりの腹へ、よくもさう雜物が入つたものだと思ふと、俺は不思議でたまらねえ」
平次は八五郎の話をはぐらかして、感に堪へた顏をするのでした。
「そんな話ぢやありませんよ。あつしの不思議がつて居るのは、江戸中の人間が腹の中で、いろんな事を考へて居るのが、若しこの眼で見えるものなら、さぞ面白からうと言つたやうなことで――」
「あの娘が何を考へて居るか、それが知り度いといふ話だらう」
「まア、そんなことで」
八五郎は顎を撫でたり額を叩いたりするのです。
「安心しなよ、お前のことなんか考へちや居ないから」
「有難い仕合せで、へツ」
「誰が何を考へてゐるか、一向わからないところが面白いのさ。こいつが皆んな眼に見えたひにや、大變なことになるぜ、――第一こちとらの稼業は上がつたりさ」
「大の男の腹の中が、哀れな戀心で一パイで、可愛らしい娘が喰ひ氣で張りきつて、立派な御武家の腹の中が金慾でピカピカして居るなんざ、面白いでせうね」
「言ふことが馬鹿々々しいな。さう言ふお前の腹の中には、一體何があるんだ」
「戸棚の中の大福餅ですよ、――先刻チラリと見たんだが、まだ四つ五つは殘つて居るに違げえねえ。あれを一體何時誰が喰ふだらうと――」
「呆れた野郎だ、――お靜、大福餅を出してやつてしまひな。そいつは見込まれたものだ、他の者が喰ふと、八五郎の念ひで中毒する」
「へツ、へツ、さすがに錢形の親分は天眼通で」
八五郎は底が拔けたやうに笑つて居ります。
これは併し、平次の生活のほんのささやかな遊びに過ぎなかつたのですが、その日のうちに錢形平次、怪奇な事件の眞つ唯中に飛び込んで、人の心の動きの不思議さに手を燒くことになつて居りました。
「親分、大變ツ」
其處へ飛び込んで來たのは、平次の子分の八五郎の又子分の下つ引の又六といふ、陽當りの良くない三十男でした。ノツポの八五郎と鶴龜燭臺になりさうな小男、器用で忠實で貧乏で、平次と八五郎に對しては、眼の寄るところに寄つた玉の一人だつたのです。
「何んだ、又六ぢやないか、何が大變なんだ」
八五郎はそれでも一かど親分顏をして、縁側へ長んがい顎を持出します。
「御數寄屋橋から息も吐かず飛んで來ましたよ」
「恐ろしく長い息だな」
「無駄を言はずに、話を聽け、八」
「へエ」
平次に叱られて八五郎は間伸びな鋒鋩を納めました。
「御數奇屋橋の御呉服所主人三島屋祐玄樣が殺されましたよ。公儀御用の家柄だ、下手人がわからないぢや濟むまいから、直ぐ平次を呼んで來るやうにと、八丁堀の笹野樣から、格別のお聲掛りで――」
「さうか、御苦勞々々々、笹野樣のお言葉ぢや行かなきやなるまい」
平次に取つては年來の知己でもあり、恩人でもある、吟味與力の笹野新三郎が、事件がむづかしいと見て、又六を神田まで走らせたのでせう。
平次と八五郎と又六は直ぐ樣數寄屋橋まで轡を並べるやうに驅けました。三人の吐く息が、白々と見えるやうな、薄寒い冬の日です。
三島屋祐玄といふのは、一石橋を架けたといふ後藤縫殿助を筆頭に、七軒の公儀御用を勤むる御呉服所のうちの一軒で、言ふ迄もなく士分の扱ひを受け、公儀御手當の外に、莫大な利分をあげて、豪勢な暮しをして居る家柄だつたのです。