Chapter 1 of 8

「親分、近頃江戸にも、變なお宗旨があるんですつてね」

ガラツ八の八五郎、何を嗅ぎ出したか、小鼻を膨らませて、庭口からノソリと入つて來ました。

五月の末のある朝、明神樣の森も申分なく繁り合つて、平次の家までが、緑の庭に淀んだやうな日和です。庭先に並べた草花の鉢の芽を、後生大事にいつくしんでゐるところへ、この足に眼のない男が木戸を跳ね飛ばすやうに闖入して來たのでした。

「頼むから足許に氣をつけてくれ。この間もお前に朝顏の鉢を穿かれて、二三杯滅茶々々にされたぢやないか」

平次は氣のない腰を伸ばしました。外に道樂はないにしても、三文植木や、草花の鉢に夢中になる親分の趣味が、八五郎にはどうしても呑み込めません。

尤も、拳固を七三に構へたやうな、間の拔けた彌造を拵へて、メロデーのない鼻唄か何んかを唸りながら、江戸中を驅け廻つて居るからこそ、時々は素晴らしいニユースを嗅ぎ出して來て、平次に溜飮を下げさせてくれる八五郎でもありました。

「何んと言つてもお宗旨ですね。信心でもなきや、この不景氣に二千五百兩といふ金は寄りませんや。ね、さうぢやありませんか親分」

「お宗旨がどうしたんだ。俺のところは、死んだお袋の遺言で、阿彌陀樣一點張りさ、――太鼓持お宗旨だけは負けてゐず――とな。御用聞だつて金づくや權柄づくぢや、宗旨は變へないよ」

平次はそんな事を言ひながら、まだ朝顏の鉢から眼も離しません。

「へツ、誰も宗旨替なんか勸めに來たわけぢやありませんよ。近頃は妙に新しい宗旨が多くなつて、お上でも取締りに困つて居ることは、親分も御存じでせう」

「聽いたよ」

「その中でも、寶山講なんてえのは、洒落たものですよ。有難い歌を唄つて、裸踊を踊つて、くたびれた頃お酒が出て、醉つてところで雜魚寢をするんだつてね。どんなわからねえ野郎でも、あれだけ有難くされると、極樂往生疑ひなしと來やがる。へツ、たまらねえな、親分の前だが――」

八五郎はペロリと舌を出して、自分の頬桁を一つ、威勢よく叩くのです。

「ワツ、止せよ、鼻の頭なんか甞めるのは。どうも氣味のよくねえ藝當だ」

などと、掛け合ひ噺は埒もありません。

八五郎の持つて來たニユースといふのは、今度相州小田原に寶山講の本社が建つに就て、江戸中の信徒から淨財を集めたところ、山の手だけで、何んと二千五百兩といふ巨額に上り、それを明日は信徒總代が、木遣音頭で威勢よく小田原に送り込むことになり、今夜一と晩だけ、赤坂田町三丁目の坂田屋に泊まることになつたといふのです。

「ところで、その二千五百兩の見張りですがね。大口の寄附をした旦那衆は嫌がつて駄目、若い奉公人では猫に鰹節で安心がならねえから、あつしに來て見張つてくれないかと――斯ういふ頼みなんです」

「お前それを引受けたのか」

「まだ引受けたわけぢやありませんがね。お禮がたんまり出るから、結構な内職になることだし、――と坂田屋の内儀が持ちかけましたよ。どうしたものでせう、親分」

「馬鹿野郎」

「矢つ張りいけませんかね」

「金の番をしろと、お上からお手當を頂いてるわけぢやあるめえ。どうしても内職をやり度かつたら、十手捕繩を返上してからにしろ」

「へエ」

八五郎はまさに一言もありません。

用事はそれで濟んだのか、

「あれ八さん、お晝の支度をしましたよ」

などと引留めるお靜の聲をぼんのくぼのあたりに聽いて、トボトボと歸つて行くのです。

お上のお手當、それがどんなに心細いものか、何も彼も知り拔いてゐる平次は、八五郎の後ろ姿の貧乏臭いのを見て、妙に身につまされるのでした。

「可哀想に、ろくな袷もあるめえ」

さう言ふ平次も、女房のお靜も、ろくな袷などといふものは、もう三年越しお目に掛つてはゐないのでした。

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