Chapter 1 of 9

「親分、日本橋の騷ぎを御存じですかえ」

「知らないよ。晒し物でもあつたのか、――相對死の片割れなんかを、ぼんやり眺めてゐるのは殺生だぜ」

平次は氣のない顏をして、自分の膝つ小僧を抱いたまゝ、縁側から初秋の淺黄色の朝空を眺めて居ります。

八月になつて、少し凉風が立ち初めると、人間共も本心を取戻したか、御用はびつくりするほど暇。その代り質草も粉煙草も、結構な智慧までが盡き果てて、かう毎日天文ばかり見てゐる平次だつたのです。

お勝手では、カタコトと、お仕舞やら三度の食事の支度やら、女房のお靜の氣はひは絶える折もなく、平次の閑居は貧乏臭くはあるにしても、まことに充ち足りた、その日/\だつたとも言へるでせう。

其處へ時折子分の八五郎が、旋風のやうに飛び込んで來るのです。持ち込んで來る『大變』は十の一つもモノになれば結構で、大概は粉煙草と澁い茶にありついて、飄々として歸つて行くのが例ですが、どうかするとまた、飛んだ大物を嗅ぎ出して來て、平次に一と汗かゝせることがないでもありません。

「晒し物には違げえねえが、それが大變なんで」

八五郎はネタの出し惜みでもするやうに、長んがい顎を撫で廻します

日本橋の晒し場には、心中の片割れから女犯の僧と言つたやうなものが、諸人への見せしめに晒され、晒される方はまた、それを死ぬより辛い耻としたればこそ、刑の目的も達したわけですが、今の僞惡者達なら、宣傳效果の逞ましさを狙つて、進んで晒され度いと言ふ者が出て來るかもわかりません。

それは兎も角、八五郎の報告は奇つ怪を極めました。

日本橋の東詰の晒し場、この間まで相對死の片割れの、不景氣なお店者を晒してゐた筵圍の中に、五十前後の立派な中老人が、死骸になつて晒されてゐるといふのです。

お上のしたことでない證據は、日本橋の橋番所でも知らず、その上日本橋の晒し物は、近頃殆んど生きた人間に限られ、死骸の晒し物などは幾年もないことで、わけても死骸の傷は、脇腹を深々とゑぐられ、更に止めまで刺されてをり、尚ほ變つて居るのは、その死骸の側に、大鋸が一梃、血まで塗つて置いてあることだつたのです。

鋸引の極刑は今頃――平次が盛んに活躍して居る頃――は絶えてないことですが、古老の昔語りには殘つて居り、主殺し親殺しなどといふ無道の極惡人に對しては、君臣制度や家族制度の保護のために、多分に封建的な政略の意味も含めて、これが實際に行はれて居たことは言ふまでもないことでした。

最初は極刑を受くる者の全身を箱に入れ、或は半身を土中に埋めて、通行人をして、望む者があれば、備付の鋸でその首を引かせ、あらゆる苦痛を與へて、七日にして漸く息を引取つたなどといふ記録が殘つて居ります。

最初は鋸も竹製であつたらしく、後にはそれが金の鋸になり、更に首を引く望み手も少なくなつたものか、單に處刑者の首に傷をつけて、側に置いた鋸に血を塗るだけに止まり、更に下つては、形式的に鋸を側に置くだけになつたと物の本に書いてあります。

切支丹宗徒は磔刑にされ、火を放つた八百長お七は火焙になり、主殺しの直助權兵衞は鋸引にされたといふことは、この時代の世相の反映で、邪宗門と放火と主殺しが、極刑中の極刑を以つて戒しめられるところに、無智なるが故の爲政者の恐怖と、封建性の殼を守り拔かうとする見かけだけの嚴重さがあつたわけです。

「そいつはイヤな惡戲ぢやないか。晒された人の身許がわかつたのか」

八五郎の報告が終るのを待ち兼ねて、平次は訊ねました。

「晒し物を見付けたのは夜の白々明け。四半刻と經たないうちに身許がわかつて、一應お役人立ち會ひの上、引取つて行きましたよ」

「誰だえ」

「誰だと思ひます、親分」

八五郎は自分の話の奇拔さに陶醉して、すつかり持たせ振るのです。

「止せやい、馬鹿々々しい。俺とお前でないことは確かだ。それとも、江戸中の人間の名前を並べて見ようか」

「へツ、それには及びませんがね、江戸一番の無事な人間――殺されさうもない人間が殺されて居るんだから――親分だつて驚きますよ」

「驚くよ、驚きや宜いんだらう」

「通り三丁目の翁屋小左衞門で」

「何? あの一代に江戸で何番といふ身上を拵へた、翁屋の主人が殺された上に日本橋に晒されたといふのか」

「こいつはびつくりするでせう」

「あんな評判の良い人がね。誰が一體そんな事をしたのだ」

「それがわからないから、あつしが錢形の親分のところへ來たぢやありませんか」

「よし、お前に負けた。あの邊は繩張り外だが出かけて見よう」

「そら來た、占め、占めと」

八五郎は平次を引張り出すのが役目だつたのです。

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