Chapter 1 of 15

「親分、面白い話がありますよ」

お馴染のガラツ八こと八五郎、髷節へ赤蜻蛉を留めたまゝ、明神下の錢形平次の家へ、庭木戸を押しあけて、ノソリと入つて來ました。庭一パイの秋の陽に、長んがい影法師を泳がせて、この上もなく太平無事な姿です。

「髷節を赤蜻蛉の逢引場所にしてゐるやうな野郎だもの、この世の中が面白くてたまらねえことだらうよ」

平次は腰から下だけ椽側に出して、秋の生温かい陽を享樂しながら、腹ん這ひになつたまゝ、ものの本などを讀んでゐるのでした。

「何を讀んでゐるんです、大層面白さうぢやありませんか。矢張り金平本と言つたやうな?――」

「馬鹿だなア、そんなものを大の男が、ニヤニヤしながら讀んでゐられるものか」

「へエ、親分は學があるからたいしたものだ。――笹野の旦那もさう言つて居ましたよ。平次は四角な字も讀めるから、唯の岡つ引には勿體ないつて」

「チエツ、古渡りの岡つ引が聞いて呆れらア、俺は唯の岡つ引で澤山だよ」

「すると、その面白さうな書物は、矢張り岡つ引の傳授書見てえなもので?」

「間拔けだなア、まだ岡つ引にこだはつてやがる――こいつはそんなイヤな本ぢやないよ。北村湖春といふ人が書いて、近頃評判になつてゐる『源氏物語忍草』といふ日本一の好い男のことを書いた本さ」

「へエ、日本一の好い男ですかえ?」

「不足らしい顏をするなよ、お前と張合ふ氣遣けえはねえ。昔々の大昔の色男だ。光る源氏と言つてな、まるで八五郎に垂直を着せたやうな男さ」

「間拔けた話で、――烏帽子を冠つて女の子を口説く圖なんざ、たまらねえ」

八五郎は平掌で額を叩くのです。

「ところで、お前の方の面白い話といふのは何んだえ」

平次は起き上がつて煙草盆を引寄せました。

「親分の前だが、あつしは妙なところから用心棒に頼まれたんですがね」

「まさか賭場ぢやねえだらうな」

「飛んでもねえ。あつしが勝負事の大嫌ひなことは、親分も知つて居なさるでせう。挾み將棋でも、ジヤン拳でも勝つたためしがねえ」

「そんな事が自慢になるものか。それぢや見世物かお茶屋か、それとも比丘尼長屋か、いづれにしても十手を捻くり廻して、筋のよくねえ禮などを貰ふと承知しねえよ」

平次は以ての外の機嫌です。

役得を稼ぐくらゐなら、女房に駄菓子でも賣らせて、十手一梃の清淨さを保たうと覺悟をきめて居る平次だつたのです。

「憚りながら、そんなさもしいんぢやありませんよ。あつしに來てくれといふのは、市ヶ谷で評判のたけえ女護の島」

「そんな變なのが江戸の眞ん中にあるのか」

「へツ、あるから不思議で。女ばかりの一と世帶――と言つたつて、羅生門河岸の青大將臭せえのとは違つて、大年増から中年増、新造から小娘まで揃ひも揃つたり、箱から出し立ての、雁皮を脱がせたばかりと言つた、樟腦臭い綺麗首が六人」

八五郎は大きく身振りをして、八つ手の葉つぱのやうな左の掌へ、右手の人差指を一本添へてニヤニヤするのです。

「何んだそれは? 市ヶ谷八幡樣の巫女の宿でもあるのか」

「飛んでもねえ、竈横町の上總屋ですよ。あの邊きつての大地主で、女六人の世帶だが、近頃不氣味なことがあつて、おち/\夜も休まれないが、氣心の知れない者に泊つて貰ふのも嫌だし、年寄りや子供ぢや、いざといふ時に役に立たねえから、迷惑でもあらうが、八五郎親分に來て泊つてくれと、たつての頼みで――」

「誰が頼んで來たんだ」

「上總屋の姪で、掛り人になつてゐるお紋といふ、少し鐵火だが、滅法綺麗なのが、向柳原の叔母の知合ひで」

「男は一人も居ねえのか。主人はどうしたんだ」

「主人の總兵衞は去年の春死んで、伜の總太郎は死んだ父親が夢枕に立つたとやらで、町内の鳶頭を供に、親の骨を背負つて遙々紀州は高野山へ行きましたよ。不氣味なことはその留守に起つたんで」

「外に男は?」

「番頭の庄吉と、掛り人の市五郎、何方も若くて好い男だが、――若くて男が好いだけに、女世帶には危なくて置けねえと、當主の總太郎の叔母に當るお常さんが固い事を言つて、庄吉は隣り町の親の許から晝だけ通はせ、市五郎は裏の家を借りて、そこに住はせてをりますよ」

「そこで、お前ならたいした男つ振りでもなし、危なげがないから、安心して泊つて貰へるといふ寸法か」

「有難い仕合せで、女除けの護符は手前共から出したいくらゐのもので、へツ」

八五郎はニヤリニヤリと短かからぬ顎を撫で上げるのです。

「で、どう返事をしたんだ」

「それを相談に來たんですよ。ね親分、近頃あつしに汗を掻かせる程の仕事もないから、ちよいと洒落に、女護の島の用心棒に行つて六人の女の子にチヤホヤされながら一と週りも保養して見ようかと思ふんですが」

「宜い氣なものだ」

錢形平次もそれを強ひて留めませんでした。上總屋に立ちこめてゐる異樣な空氣を直感したといふよりは、ガラツ八の骨休めに、女世帶の中に一と週りも轉がして置くのも面白からうと言つた惡戯氣だつたかも知れません。

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