Chapter 1 of 12

「親分は、戀の病ひといふのをやつたことがありますか」

ガラツ八の八五郎は、たいして極りを惡がりもせずに、人樣にこんなことを訊く人間だつたのです。

素晴らしい秋日和、夏の行事は一とわたり濟んで、行樂好きの江戸つ子達は、後の月と、秋祭と、そして早手廻しに紅葉見物のことを考へてゐる時分のことでした。

相變らず椽側に腹ん這ひになつて、不精煙草の煙の行方を眺めてゐた平次は、膽をつぶして起き直りました。いかに親分子分の間柄でも、こんな途方もない問ひを浴びせられたことはありません。

「あるとも、風邪を引くと、ツイ咽喉を惡くするが――」

何んといふ平次のさり氣なさ――

「その聲ぢやありませんよ。戀患ひの戀で、小唄の文句にもあるぢやありませんか」

「馬鹿野郎ツ」

「へツ」

「耻を掻かせまいと思つて、よい加減にあしらつて置くのに、なんて言ひ草だ。俺は戀患ひをする柄か柄でないか、考へて見ろ」

「へエ、さうですかね、――あつしのやうな呑氣な人間でさへ、思ひ詰めると、鼻風邪を引いたくらゐの心持になるんだが」

「呆れた野郎だ。おまえのやうな人間でも、戀患ひ見てえなことをやるかえ」

「たんとはやりませんね、精々月に一度か二度」

「間が拔けて挨拶も出來やしない。月に三度も戀患ひが出來るかよ、馬鹿々々しい――見ろ、お靜は到頭たまらなくなつて、腹を抱へてお勝手口へ飛び出したぢやないか」

この掛け合ひの馬鹿々々しさは、まさに女房のお靜を井戸端まで退散させてしまつたのです。

「ところが、その戀の病ひで、死にかけてゐる人間が、あつしの知つてゐるだけでも、五人はあるんだからたいしたものでせう」

八五郎はおめず臆せず話を續けるのです。

「なるほど、世の中は廣いな」

「ね、驚くでせう」

「あとの四人は何處の誰だえ」

「四人ぢやない五人ですよ」

「そのうちの一人は八五郎だらう」

「冗談ぢやありませんよ、あつしなんかの相手になるものですか、高嶺の花で――」

「大層むづかしいことを知つてゐるんだな」

「これも小唄の文句で」

平次と八五郎の掛け合ひは、危ふく脱線しさうになりながらも、巧みに筋を通して行くのです。

「ところで、その死にかけてゐるのは誰と誰だ、人の命に拘はると聞いちや放つても置けまい」

「第一番は和泉屋の伜嘉三郎、――練塀小路の油屋で、名題の青瓢箪」

「第二番は?」

「無宿者、薊の三之助、これはちよいと好い男ですよ。何んだつて、あんな野郎がまた、尋常な眼鼻立を持つてゐるんでせう」

「無駄が多いな、第三番は?」

「五丁目の尺八の師匠竹童、四番目は御家人伊保木金十郎樣の伜で、まだ部屋住みの金太郎、――名前は強さうだが、女に惚れて病氣になるくらゐだから、人間は大なまくら」

「五人目は?」

「金澤町の地主、江島屋鹿右衞門の養子與茂吉」

「六人目がお前か、五人ぢや數が惡いな」

「六阿彌陀と間違へちやいけません」

「ところで、それだけの男を病みつかせる疫病神が何處にゐるんだ」

「疫病神ぢやありませんよ、江戸一番のピカピカする娘で、このまゝ放つて置いたら、講中がふえるばかりだから、戀患ひを束で數へることになりやしないかと心配してゐるくらゐのもので」

「言ふことが馬鹿々々しいな」

「その惚れられ手は、親分も聽いてゐるでせう、この半歳か一年の間にメキメキと綺麗になつた、金澤町の大地主、江島屋鹿右衞門の一人娘お艶」

「何んだ、――あのお艶坊か――俺はまた何處のお姫樣の話かと思つたよ」

「ね、親分だつて驚くでせう。あれは毛虫が蝶々に化けたやうなもので、――その蝶々だつて、並大抵の蝶々ぢやありませんよ」

「蝶々にも並出來と別誂へとあるのか」

「揚羽のお艶といふんだから、たいしたものでせう」

などと、八五郎の話は他愛もありません。

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