Chapter 1 of 9

「親分、大變ツ」

日本一の淺黄空、江戸の町々は漸く活氣づいて、晴がましい初日の光の中に動き出した時、八五郎はあわてふためいて、明神下の平次の家へ飛び込んで來たのです。

「何んて騷々しい野郎だ。今日は何んだと思ふ」

これから屠蘇を祝つて、心靜かに雜煮の箸をとらうといふ平次、あまりの事にツイ聲が大きくなりました。

「相濟みません。元日も承知で飛び込んで來ましたよ――お目出度う御座います。昨年中はいろいろ」

八五郎はあわてて彌造を拔くと、氣を入れ換へたやうに世間並の挨拶になるのでした。

「――本年も相變らず、――ところで何が大變なんだ。まだ雜煮も祝つちや居めえ、よかつたら屠蘇を流し込んで、腹を拵へながら聽かうぢやないか」

平次は八五郎を呼び入れると、大急ぎで膳を一つ拵へさせ、長火鉢を押しやつて相對しました。

「さア、一つ――八さんが此家でお屠蘇を祝つて下さるのは、何年目でせう」

お靜は片襷を外して、そつと徳利を取上げました。夜店物の松竹梅の三つ重ねが、一つは縁が缺けて、

「お、とゝ、と」

八五郎が號令をかける迄もなく、半分しか酒が注げません。

「お前も此方へ膳を持つて來るが宜い。元日早々立ち身のまゝで、お勝手で殘り物をあさるなんざ、結構なたしなみぢやないぜ」

客があるとツイ、お勝手で食事をすませるお靜の癖が、平次には氣になつてならなかつたのです。

「成程、そいつは氣が付かなかつた。あつしは縁側の方へ退きませう。日向ぼつこをしながらお雜煮を祝ふのも、飛んだ榮耀ですぜ」

「あら、八さん、そんなにして下さらなくとも」

お靜も漸く一座に加はりました。半分開けた障子は、手細工の切張りだらけですが、例の淺黄色の空が覗いて、盆栽の梅の莟のふくらみが、八五郎の膝に這つて居るのです。

「ところで、何んだつけ、八五郎が持込んで來た大變の正體は?」

「まだ話しませんよ」

「さうだらう、聽いたやうな氣がしねえ。御用初めに聽いて置かうか、どうせ目出度い話ぢやあるめえ」

「ところが、目出度いやうな、馬鹿々々しいやうな、氣の毒なやうな、可笑しな話なんで」

「何處かの三河萬歳で聽いて來た口上だらう、それは」

「殺しですよ、親分。元日早々縁起でもないが、あつしが見たところぢや、豊島町の大黒屋徳右衞門、確かに殺されかけたに間違ひありません。何しろ杉なりに積んだ千兩箱が頭の上から崩れて來て、屠蘇の杯を持つた、大黒屋徳右衞門を下敷きにしたんだから怖いでせう」

「待つてくれよ、八。元日早々だから、話はでつかい方が目出度くて宜いが、千兩箱は一體幾つあれば杉なりに積めるんだ」

「百とはなかつたやうで」

「千兩箱が百で、中味は十萬兩だ。大黒屋徳右衞門いかに金持でも、それ程は持つて居る筈はない」

「すると、三十もありましたかな」

「心細い算盤ぢやないか――杉なりに積んだ一番下は一體幾つあつたんだ」

「確か十でしたよ。十疊の廣間の床の間一パイに積んでましたよ」

「塵功記といふ本に、杉なりに積んだ米俵や千兩箱の勘定のことが書いてある。それによると、一番下が十で次が九つ八つ、一番上の一つまで勘定すると、丁度五十五になる勘定だ」

平次は暗算でざつと千兩箱の數を出しました。

「へエ、五萬五千兩ですか。太え野郎で」

「何が太え野郎だ」

「そんなに溜め込む奴があるから、こちとらには、正月だといふのに、一貫と纒つた小遣ひが入らない」

「やつかむなよ。ところで、千兩箱の下敷になつて、大黒屋は怪我でもしたといふのか」

平次は改めて話をもとの出發點に引戻しました。

「大黒屋徳右衞門取つて五十五だ。大町人らしくでつぷり肥つて、貫祿も充分だが、それが大黒頭巾を被つて、杉なりに積んだ千兩箱の前にどつかと坐り、元日の朝家中の者を呼び集めて、屠蘇の盃をやる」

「大したことだ」

「一代に身上を拵へると、人間はちよいと、そんな事をして見たくなるんですね」

「それからどうした」

「家中一統のお祝を受けて、屠蘇の杯を口に持つて行つたところへ、グワラグワラと來た――床の間に積んだ五十五の千兩箱が一ぺんに崩れたからたまりませんや。大黒屋徳右衞門グウ――と來た」

「危ないな」

「尤も千兩箱の下敷で、少々くらゐの怪我で濟むならあつしも一度はそんな目に會つて見たいと思ひますがね」

「怪我はひどかつたのか」

「肩と腰をやられましたよ。眞つ直ぐに崩れると、間違ひもなく腦天をやられて、一ペンにギユウとくるところ――」

「だが不思議なことがあるものだな、八」

「へエ?」

「千兩箱の重さは、一つはどうしても五貫目はあるぜ。それを杉なりに積み上げると、ケチな石垣よりは餘つ程堅固な筈だ。大きな地震でもあれば兎も角、ちよつとやそつとでは崩れるわけはないぜ」

平次の疑問は尤もでした。普通千兩箱といふのは、幅五寸前後、長さ一尺二、三寸、深さ二、三寸の堅木で造つて、嚴重に金具を打つたもので、それに入る小判金は一枚四匁の千枚で四貫目、箱の重さを加へてザツと五貫目になるのですから、床板が落ちでもしない限り、これを四五十も積むと、全く磐石のやうなもので、少々くらゐは突つついて搖つても、崩れるなどといふことは、想像も出來なかつたのです。

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