Chapter 1 of 7

「親分變なことを訊くやうですがね」

ガラツ八の八五郎は、こんな調子できり出しました。櫻が散ると御用もひと休みで、久し振りで錢形平次は、粉煙草をせゝりながら、高慢らしい物の本などをひろげてゐたのです。

「お前の言ふことは大概變なことばかりだが、まさか――どうして新造には髭が生えないでせう――なんて話ぢやあるまいな」

「その新造なんですがね」

「それ見ろ。お前の話の種は、年増でなきや新造だ」

「交ぜつ返さないで、聽いて下さいよ。深川西町から、良い新造が足袋跣足で驅けて來たんですから」

「へエ、押掛け嫁か、借金取りか、それとも安珍清姫か」

「そんな氣樂なものぢやありませんよ。鴛鴦のやうに仲よく添寢してゐる夫が、夜中に脱け出して人を殺すでせうか――ツて」

「あ、氣味が惡い。變な聲を出すなよ、八」

江戸開府以來と言はれた捕物の名人錢形平次は、子分の八五郎と一番事務的な話を、かう他愛もない掛合噺の調子で進めながら、巧みに急所々々を掴んで行くのでした。

「變な聲も出したくなるぢやありませんか。ね、親分」

「それで俺にどうしろと言ふんだ」

「當人に會つて、ちよいと深川西町を覗いてやつて下さいよ」

「あの邊は猿江町の甚三の繩張りだ、うるせえな」

「あの甚三親分が、生温けえ床から牛蒡拔きに、男を縛つて行つたんださうですよ。女は泣いてゐますぜ、親分」

「若くて綺麗な女の子のこととなると、八の眼の色が變るから恐ろしいよ。一緒につれて來たのかえ、――まア會つて話を聽いて見よう。こゝへ通すがいゝ」

平次に取つては、見る眼嗅ぐ鼻ともいふべき八五郎は、その天賦の勘を働かせて、江戸中から不思議なニユースをかき集めて來るのでした。

「通してありますよ。お勝手口で、お靜姐さんが足を洗はせたり、熱いものを呑ませたり、世話を燒いてゐる眞最中」

「何んだ、そんなことか」

八五郎の連れ込んで來た客といふのは十九か二十歳くらゐの可愛らしい女で、添寢の床から亭主を引つこ拔かれたといふのですから、娘でないことは明らかですが、眉も落さず、齒も染めず、娘姿の初々しさが、少し派手になつた黄八丈の袷と共に、ピタリと調和するといつた肌合の女です。

「お前さんか、配偶が縛られたといふのは? 一體どうしたことなのだ。落着いて話して見るがいゝ」

「有難うございます」

ようやく平次の前にゐざり寄つた若い女は、平次の女房のお靜が、後ろから無言の激勵をしてくれなかつたら、そのまゝ逃げ出す氣になつたかもわかりません。それほど内氣でうぶで、臆病らしくさへあつたのです。

「お前さんの配偶が、誰を殺したのだ――いや、誰を殺した疑ひで縛られたのだ」

「私の伯父、小橋屋小左衞門でございます。深川西町に金貸しを渡世にしてをります」

「あ、あの、鬼の小左衞門か。いや、これは飛んだ言ひ過ぎだが、世間では專らさう言つてゐるぜ」

深川西町の鬼の小左衞門、正しくは小橋屋小左衞門。中年から眼を患つて、視力はひどく疎いのですが、實は盲目でもなんでもない癖に、高足駄をはいて杖を突いて、盲目と同じやうな恰好をして、烏金を貸したり集めたりするといふ、江戸中に響いたそれは因業屋です。その鬼の小左衞門にこんな可愛らしくて純情らしい姪があるといふのは、何にか造化の神の大きな惡戯を見せつけれらるやうな氣がしないでもありません。

「極りの惡いことでございますが、世間樣ではよくさう申します。――その伯父の小左衞門が、昨夜自分の部屋で絞め殺されたといふことで、私はその知らせも聽かないうちに、飛び込んで來た猿江町の甚三親分が、いきなりあの人を縛つて行つてしまひました。近頃は義絶同樣で往來もしませんし、それにあの人は、昨夜宵から一緒で、一と足も外へ出ないのですもの、伯父さんを殺す道理はございません」

女はたしなみも極り惡さも忘れて、あの人のために躍起となるのでした。

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