Chapter 1 of 6

「親分、ウフ、可笑しなことがありましたよ、ウへ、へ、へツへツ」

ガラツ八の八五郎が、タガの弛んだ桶のやうに、こみ上げる笑を噛みしめ噛みしめ、明神下の平次の家に入つて來ました。

「冗談ぢやない、人の家へゲラゲラ笑ひ乍ら入つて來やがつて、水をブツ掛けて、酒屋の赤犬をけしかけるよ」

「怒らないで下さいよ、あつしはまた、可笑しくて可笑しくて、横つ腹の筋がキリキリするほど笑つてゐるのに、親分はまた、何んだつてそんなに機嫌が惡いんで」

「盆も正月も無え野郎にはわかるめえが、今日は十月の晦日だ、先刻から何人掛け取を斷わつたと思ふ、こいつは洒落や道樂で出來る藝ぢや無えぜ」

「相濟みません、人の氣も知らねえやうですが、借金や掛けは拂はねえことに極めて居ると、思ひの外氣の輕いもので」

「呆れた野郎だ、だから叔母さんは、お前の尻拭ひで苦勞してゐるぢやないか、その氣だから三十にもなつて、まだ嫁に來手も、婿に貰ひ手もねえ始末だ」

「でも、もう少し放つて置いて下さいよ、女房を持つと、急に人間がケチになつて、爺々むさくなつて人に意見ばかりするやうになるから――おつと、親分のことぢやありませんよ、親分は女房持ちでも、パツパと――」

「お世辭なんか止せ、お前の柄ぢやねえ、ところで何がそんなに可笑しいんだ」

「へツ、その事、その事。あつしがいつまで獨りでゐるわけも、實は其處にあるんで、へツ、へツ、へツ」

「又笑ひ出しやがる、氣色の惡い野郎だ」

「實はね、親分、このあつしが、色男番附へ載つたんだから大したものでせう」

「色男番附? そいつは何處の國の番附だ、よもや日本ぢやあるめえ」

八五郎のヌケヌケした報告に、さすがの平次も膽をつぶしました。名物の顎を二三寸切り詰めたところで、これは色男といふ人相ではありません。

「日本も日本、江戸の眞ん中、神田向柳原で、洒落れた野郎が『息子番附』といふのを拵えましたよ。表向は『息子番附』だが、内々は『美男番附』の積りでね。尤も去年は外神田の『娘番附』といふのを拵へ、瓦版にしてバラ撒いたのがありましたよ。そいつは師匠の文字花と、水茶屋のお幾が、自分達を東西の大關に据ゑる細工に、うんと金を費つてやつた仕事とわかつて、大笑ひで濟みましたが、今度は向柳原一圓の若い者が集まつて、相談の上極めた番附だから、間違ひも胡麻化しもありやしません」

「物好きなひとだな」

「今月は顏見世月で、芝居町の方も大變な景氣だから、此方でも一番素人芝居でも打つて、江戸中の娘達の人氣をさらつてやらうといふ相談で、先づ手始めに拵へたのが『息子番附』その實は『美男番附』その中から、立役も女形もきめようといふ寸法で」

「で、その番附は?」

「東、大關は佐久間町の酒屋、丹波屋の伜清次郎、西の大關は棟梁乙松の伜で辰三郎、東の大關は、米屋の下男で鶴吉――」

「番附を一々讀上げられちやたまらない、――大事なのはお前だ、三役にでも入つたといふのか」

「なアに、其處までは行きませんがね」

「前頭の何枚目といふところか」

「それ程でも無いんで」

「それぢや何んだ、年寄か勸進元か」

「飛んでもねえ、そんな爺々むさいのぢやありませんよ、正直に申上げると、呼出し奴、宜い役ですぜ――斯う半開きの扇を口に當てゝ」

「プツ、腹も立たねえな」

「最初からの申合せで、役不足は言はねえことにしてあるんで、番附に載らねえ奴だつてあるんだから、不服を言はうものなら、町内の息子附き合ひが出來なくなります」

「それで嬉しがつてゐるのは、お前の取柄だ、世の中が無事で宜い、ところで話はそれつきりか」

「その『息子番附』の兩大關が、去年の娘番附の張出大關、師匠の文字花や水茶屋のお幾ではなくて、米屋の孫娘お芳を、三つ巴になつて張り合つて居るから面白いぢやありませんか」

「そんな事は、面白くも何んともないよ」

平次はあつさり片付けてしまひましたが、これが大きな騷ぎの原因にならうとは、素より思ひもよりません。

江戸時代の閑人の間に、『見立て』とか『番附』の流行つたことは想像以上で、今日に殘る惡刷、洒落本などにその盛大さを傳へて居ります。何處の町内にも七福神見立てや忠臣藏見立てがあり、喰ふ苦勞の無い人間が集まれば、各種の番附が作られて、それが善意にも惡意にも利用され、噂話の種になつたのです。

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