一
「親分、良いお天氣ですね――これで金さへありや――」
薫風に懷ろを膨らませて、八五郎はフラリと入つて來ました。相變らず寢起の良ささうなのんびりした顏です。
「お早う、天氣が續くと、懷ろの方も空つ尻らしいな」
「お察しの通り、四五日はお濕りにもありつきませんよ。いよ/\料簡を入れ替へて――」
「まさか、泥棒を働く氣になつたわけぢやあるまいな」
「それは大丈夫で。泥棒なら縛るのが役目で、あつしの考へたのは、金貸しですよ。こいつは、義理人情さへ考へなきや、隨分儲かりさうですぜ」
「成程良い料簡だが、お前には出來ないよ。第一、元手があるまい」
「成程、そこまでは氣がつかなかつた」
「その代り義理人情があり過ぎる」
「ちげえねえ。あの妓もさう言ひましたよ」
などと、二人とも良い心持なものです。
「ところで、麹町九丁目の騷ぎはどうなつたんだ」
「そのことですよ、――あの邊は番町が近いから、小つ旗本と安御家人の巣だ」
「言ふことが荒つぽいな。もう少し丁寧にものを言へ」
「旗本や御家人の粒の小さいのには、工面のよくねえのが多いから、こつそり繁昌してゐるのは、質屋と金貸しだ。大きいのは九丁目の鍵屋金右衞門から、小さいのは、唐辛子屋のケチ兵衞に至るまで」
「何んだいそれは?」
「本名は七兵衞だが、人間があんまりケチだから、麹町ではケチ兵衞で通つてまさあ。唐辛子屋といふから、昔は七味唐辛子でも賣つたのかと思つて訊くと、なアーに、鼻の頭が赤くて、目が惡くて、そのくせ申分なくこすつ辛いから、人呼んで唐辛子屋」
「人呼んでと來やがつたな」
「へツ、時々は學のあるところを見せて置かなきや、人が馬鹿にしていけません」
「馬鹿にするものか、次を話せ」
平次は八五郎の饒舌を封じて、次を促しました。
「あの界隈は、近頃物騷でならねえといふから、土地の清水谷の常親分に渡りをつけて、行つて見ると、成程二三軒やられましたね」
「何處と何處だ」
「それが盜られた方も評判のよくねえのばかり。九丁目の金貸鍵屋金右衞門と、三軒長屋のケチ兵衞ぢや、泥棒を擧げる張合もありませんや」
「お前の言ふことは變だな」
「だつて、考へて下さいよ。首と釣り替への判こに物を言はせて、貧乏人の首を絞めあげるやうに掻き集めた、何千兩の金のうち、五兩や十兩盜られたところで、大したことはないぢやありませんか。あつしはもういやになつて歸つて來ましたよ。取る方が泥棒でなく、取られる方がベラ棒で」
「亂暴だな、お前の言ふことは。泥棒を勘辨して居ては、御政道の表が立たない」
「へツ、笹野の旦那のせりふ見たいで」
八五郎には斯う言つた途方もなさがあつたのです。
尤も、江戸の政道も頽廢期になると、義賊といふ輩が横行しました。日本駄右衞門、雲切仁左衞門、鼠小僧、神道徳次郎、曰く某曰く某と、幕末の世界では、芝居と講釋の英雄にさへなつてしまひましたが、本質的には、百兩盜んで十兩惠む程度で、今日の税金よりは、餘つ程安い冥加金で、市民達のヒロイズムを滿足させたわけです。
それは兎も角、わが八五郎までが、金貸しばかり荒したといふ、義賊氣質の泥棒に同情して、フラリと戻つて來たのでせう。
「ところが、もう一度出直さなきやなるまいよ」
「へエ」
「十丁目の尾張樣御下屋敷にも變なことがあつたさうで、御留守居の安藤求馬樣と仰しやる方が、笹野の旦那の御口添へで、先刻お見えになつたよ」
「尾張樣で、何をやられたんで?」
「御下屋敷だから、市ヶ谷の御上屋敷と違つて、出入りもやかましくはなく、御見張りも手薄だ。尤も六十一萬石の御威光に驚いて、滅多なことでは間違ひはないといふが」
「へエ、呑氣なもので」
「ところが三日前のこと、不淨門の上を乘越えて入つて、御隱居樣御居間に忍び込んだ曲者があり、手文庫を持出して、庭石で叩き割つたといふのだ。尤も中味は空つぽで、金は盜られなかつたといふことだが――」
「ザマア見やがれ、ねえのはこちとらも大名も大した變りはありませんね」
「馬鹿なことを。こちとらは無いとなると火鉢の抽斗に穴のあいたのもなくなるが、お大名は勘定方のところに、萬と用意してある――兎も角、金は盜られたわけではないが、物騷でもあるから、一應お調べを願ひ度いと、斯ういふ口上だ」
「それで親分が出かけようといふわけで」
「氣の毒だが案内してくれ。大名や金貸しには俺だつて附き合ひ度くねえが、笹野の旦那の頼みがあるから、ちよいと覗いて見よう」
平次はいよ/\此小事件に飛込むことになりました。