5
翻弄されぬいていた――眼のまえに、何か赤いものが躍り立つように、吉良は、感じた。
四
「関東の武家、名は何といわるる?」
正親町中納言が、ものずきに、岡部美濃守をふり返って、訊いた。
饗応役は、勅使にしたがって、松の廊下まで来かかっていた。
「岡部美濃守です。」
ぶっきら棒にいうと、中納言は、笑って、
「関東は武をもって治むる国である。頼母しい御体格ですな。定めしお力があろう。見たい。」
「心得ました。」
と、それを掛け声に、美濃守は、やにわに、すぐ前を往く吉良に手をかけた。
「何をなさる! 乱心――。」
いたが、枯れた吉良のからだは、美濃守の両手に差しあげられて、頭のうえを高く、空に泳いでいた。
烏帽子がまがり、中啓が、飛んだ。と、吉良は、美濃守に受けとめられて、すうっと、労わるように、抱き下ろされていた。
武骨な座興――として、笑い声をあとに、天奏衆は、もう、かなり先へ進んで行っていた。出雲守をはじめ、あっけにとられた人々の顔が、まわりにあった。
吉良は口がきけなかった。なんという暴!――もはや、これまでだと思った。
「美濃、待てっ!」
叫んだ――ような気がした。同時に、家を捨て、身を忘れて、腰の小さな刀に手を――かけた自分を、とっさに、想像してみた。
美濃守は、すでに、平気で、むこうへ歩いて行こうとしていた。
刃傷だった。吉良は、それを、一瞬にこころに描いた。
殿中だった。松の廊下だった。たとえ誤ちでも、鯉口三寸ひろげれば、大変なことになるのだった。
が、勘忍ぶくろの緒が切れた。じぶんは、どうなってもよかった。乱心といわれても、切腹でも、そんなことは、かまっていられなかった。
吉良は、心中に、刀を抜いた。そして、恨み重なる美濃守へ斬りつけるところを、考えた。
松の廊下――ちょうど、隅の柱六本目のかげだった。
初太刀は、烏帽子の金具に当って、流れた。二の太刀は、伸びて肩先へ行った。
美濃は、逃げようとして、戸にぶつかって倒れた。起き上ろうとするところを、ここだ、と振り下ろしたが、その時、吉良は、うしろから、しっかり抱きとめられているのを知った。梶川与惣兵衛だった。大力の人で、すっかり羽掻い締めに、うごきが取れなかった――吉良は、身をゆすぶった。
「残念――。」
「いかがめされた、吉良殿!」
ゆらゆらと立っていた吉良だった。梶川与惣兵衛が、にこにこして、うしろから手を廻して支えていてくれた。
「抛り上げられて、眼が廻ります。どうも乱暴だ。」
「いくら天奏衆の御機嫌を取り結ぶのが饗応役とはいえ、御老体を――。」梶川は笑った。「歩けますかな?」
吉良も、仕方なしに、苦笑していた。
「まったく、美濃殿は、いささか荒いようです。」
勅使に随いて、廊下の端に、美濃守のすがたが小さく見えていた。