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湖畔
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湖畔
久生十蘭
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Original Public Domain
Chapter 2 of 5

2

以来その容姿が眼から離れない。俤は夢寐の間にも忘れられず、もう一度姿を見たいと思う感情をとめることが出来ない。中年の所為としては不面目極まるが、終日、窓に倚って橋のほうばかり眺めていた。

四日ほど過ぎたが、少女は姿を見せない。俺の心は鬱しているものだから、眼を楽しませてくれた底倉の景色もいまは味気なく、眼前に峭立する懸崖も頭を圧するように思われて不快でならない。すこし散策でもしようと、供も連れずに宿を出、小涌谷から六道地獄へ抜け、そこから蘆ノ湖の方へ上って行った。

天気晴朗で雲影なく、紺碧の湖は古鏡のように澄みわたり、そのおもてに箱根三国の翠巒が倒影している。俺は久し振りに運動したので心神の暢達をおぼえ、湖畔の石に腰を掛けて浮ヶ島の方を眺めていると、一艘のボートが湖上を漕弋して来た。白の洋装で髪をお垂下にし、丈の長い淡紅色のリボンを翻めかしながら力漕をつづけているのは、紛うかたなく彼の少女であッた。

俺はおのれの眼で見る実景をおのれで信じかねるような気持で、呆然と注視しているうちに、ボートはだんだんこッちへやって来るようすだから、震えあがッて逃げだそうとしていると、少女は俺のいるのを見て丁寧に会釈し、急に船首を廻して岸にボートを着けた。そうして淀まぬ眼差で俺の顔を瞶め、愛らしく首をかしげながら、

「お乗りになりませんか」

と人懐ッこく誘いかけた。

その挙動がどれほど清楚な情緒に充ち、どれほど優美な感情に溢れていたか、とても描き写すことが出来ぬ。活溌だが、けッして出過ぎたというのでなく、無邪気で人懐っこいので、ただもうおのれの愉快を俺にも分け与えたいという風だッた。

俺は喜悦の情で飛立つような思いをしていたが、本意を見抜かれるのを恥じ、

「サンキュー」

と言ったきり腰もあげなかった。

心中の苦悶は非常なもので、俺の不愛想な仕草が少女を怒らせ、このまま漕去ッてしまったらどうしようと、蹉跎りせんばかりに焦立っていた。

少女は邪気なく眼を瞠り、

「アラ、お厭ですの、お乗り遊ばせよ、実にどうも、大変に愉快ですわ」

と言いながら、笑靨の入った嫋かな手を俺の方へさし伸べた。

俺はいまにも泣きださんばかりだッたが、

「そうか、それほどに言うならば」

と如何にも面倒臭さそうにボートに乗り移った。

少女は身体をよじって向い合う席に俺を掛けさせ、

「もうちッと妾が漕ぎますから、疲れたら代って頂戴ナ」

と言いながら鮮やかな手付でオールを操りだした。俺は苦味のある微笑を洩しながら、

「ウム、そうか、俺に漕がせるつもりで、それで乗せたのだな」

と言うと、少女は愛らしく頷いて、

「エー左様、そのつもりでしたのヨ。仏ヶ崎の方まで行きたいんですけど、とてもあそこまで漕げませんもの」

と事もなげに言い放つのである。

少女はオールを操りながら、父のこと、母のこと、また女学校のことなどをひッきりなしに話して聞かせ、この間のテニス大会はどれほど面白い景況だッたかと仔細に物語るうちに、自然にオールを休め、身体をいろいろに動かしてその勝負を見るごとくに演じるのだッた。

活溌なうちにも上品さを失わず、間近にあると、美質はいっそう発揮され、俺の眼にはほとんど照り輝くばかりに見える。俺はさながら夢の中の人のように、恍惚とその顔を眺め、無心にその声に耳を傾けるのみであッた。少女は俺の顔を見て、含み笑いをしていたが、

「貴君は伯爵なんですッてね。長らく外国へ行っていらして、そして大変な学者でいらっしゃるッて」と言った。

俺は低劣臆病の一面、傲慢なところのある男で、顕裔門閥が非常な誇だったから、この質問は至極俺を喜ばしたが、殊更雑駁に、

「ウム左様だ、旧弊な大名の伜ヨ、それを誰から聞いた」

と訊ねると、少女は、

「エー、宿でみなが評判していますもの、嫌でも耳に入りますわ」

と答え、また唐突に口を開いて、

「貴君のお顔の怪我はどうなすッたの」

と問いかけた。

俺にとって顔のことを言われるほど不快なことはない。思わず厳しく眉を顰めて、

「何故だ、なぜそんなことをきく」

と詰るようにきめつけたが、少女は俺の語気に気付かぬ風で、

「宿では、戦争でお受けなさッた負傷だろうと言ッていますわ。華族様が戦争に行って弾丸にあたるというのは、たいしたことだと言っていましてヨ」

と改めて繁々と俺の顔を眺めた。子供らしい好奇心から、只々、事実のところを聞知りたいというので、俺の顔を見ながら一心に返事を待っている。俺は咄嗟になんと答えようもなく、

「左様サ、威海衛砲台の攻撃で、敵の砲弾にやられたのだ。醜いか、よッぽど怖らしいだろう」

と冗談にしてハグラかすと、少女は気を入れた真顔で、

「恐ろしいことなどありますものか、凛々しくて、お立派にさえ見えますわ」

と仔細らしく頷いてみせた。

少女は俺の面相を別になンだとも思ってはおらぬ。俺にとっては実に望外なことで、久しい間、心の中に蟠ッていた鬱懐が一時に晴れあがるような気がした。生涯を通じて、この時ほど天空海濶な思いをしたことがない。率直な男だったら、少女の手をとって押戴いたこッたろうが、なにしろ因果な気性なもンだから、むしろ毒々しい口調で、

「仲々、親切なことを言うな。フン、お前は随分と愛想のいいほうだ」

と捻じくれたことを言った。

どれほど素直に育ったものか、そうまで凝滞する俺を鬱陶しいとも思わず、それからは毎日のように俺の部屋へ遊びにくる。中庭から声をかけて散歩に誘いだす、遊戯をする。おいおいに親昵して、俺の部屋で食事をするようになった。これまでは懶くばかり観じていた世の中が俄かに面白くなり、出逢おうとも思わなかった愉快のために頭まで冴々とし、いっそのこと、この少女を家に入れて妻にしたらと考えるようになった。

少女は横浜の生糸仲買人の二女で陶と言い、当時十八歳で、桜井女学校の四年になっていた。俺の虚飾心は別として、仮にも勲爵を身につけている以上、それに伴う格式というものもあり、気に入ったからといってイキナリなことも出来にくいが、出来合いの新華族の中には、芸者上りに小袿を着せ、大きな顔で北ノ方に据えているものもいる。それに比べると、よほど筋が通ッている。陶の父は旧弊な商賈根性のもので、俺の前へ出ると容易に顔もあげぬという風だから、権勢の及ぶところを示せば否やはあるまい。その方はいいとして、求婚する前に陶が俺を愛しているという確かな心を知りたく、質問が咽喉元まで出かかるのだが、万一、撥ねられでもしたらそれこそ不面目だから、有無を言わさずに妻にしたほうが無難だと考え、本心をうちあけるようなこともせず、故意に無愛想な面で陶に対していた。

翌三十六年の六月、盛大な結婚式を挙げて陶は妻になった。これが貴様の母である。結婚の記念に、はじめて陶と逢った箱根三ツ石の湖畔に別荘を新築し、これに瀟湘亭と名をつけた。最初は愛々亭とするつもりで篆額まで彫らせたが、他人が笑うだろうと思ってやめにした。

新築匆々、箱根へ出かけ、二ヵ月ほど水入らずに暮していたが、妻になってから陶はいっそう活溌な素振りを見せるようになり、無邪気な遊び事を考えだしては、一日中、子供のように跳ね廻って遊んでいた。俺はただの一度も処女と交わったことがなかった。過去に引ッ張り合ったものはみな娼婦内侍のたぐいばかりだったから、真正の淑女というものは、どれほど真実で、愛情の深いものか、一向に御存知なく、心の深いところなどは、到底、見抜くことが出来なかった。後になって思うと、陶のそうした振舞いは、陰気な俺の気持を、いくらかでも賑わしてやりたいという純真な試みだッたのだが、俺はそれを育ちの悪い下司な所行だと解釈し、同族の誰彼がこんなところを見たら、なんと言うだろうと心配したものだから、厳重に規律して、華族の妻たるに相応しい女に作りあげようと決心し、市ヶ谷の本邸に帰るなり、式部寮のパーマー嬢に英語と西洋礼式を、ほかにピアノと乗馬を学ばせ、監修には俺自身がみずからこれに当った。

陶は物事を思い詰める一本気なところがあるので上流社会に出ても劣をとらぬ貴婦人になッてくれようと覚悟したものとみえ、定められた時間では満足せず、書机に向って夜を徹するのが毎日なので、活々と紅かった頬の色は次第に蒼ざめ、平素の活溌さが失われて極端な無口になり、時々ションボリと机の前に坐って、溜息を洩しているのを見かけるようになった。言わば御注文通りの女になった訳である。

俺は陶に溺愛し、ほんのちょっとの間も傍から離したくないほどに思っていたが、例の避け難い猜疑心から、畢竟、この女も栄爵と権勢に憧憬れて嫁入ッたのであろうという疑念を取り去ることが出来ず、それに持前の卑屈な根性で、自分の愛情を露骨に示すことがなんとなく面映ゆく思われるもンだから、権柄に任せて粗暴放埓な振舞いをし、時には訳もなく手を挙げて打つようなことすらあった。また俺は生れつき色慾の旺盛な方だッたが、陶に軽蔑されたくないというので、務めて寡慾潔癖を衒い、夫婦らしい夜を過すのは月に一度か二度、それも嫌な義務ででもあるように雑駁に済してしまうのが常だッた。

当時、日露の風雲ははなはだ急迫し、九月には露国公使ローゼンと小村全権の会見などあり、日露の開戦は避けられぬところと思ッたから、時流を察してまたもや虚偽の名声を博してくれようと思い河野等の対露同志会に呼応し、華胄界に率先して開戦論をとなえ、心にもなき奔走に寧日なく、家庭に尻を落着ける暇もないほどに走り廻っていた。

その年の十一月、陶が懐妊した。俺は陶の智情の成熟をねがうかたわら、いつまでも若く美しくして置きたい希望があり、子供が生れて陶の愛情がそッちへ移るのを恐れたので、その頃、最新の学説だッたヨハン、メンデルの遺伝法則の理を説き、貴様の教養が出来上らぬうちは絶対に嗣子を生むことはならぬと規定し、哀訴歎願に耳も藉さず、厳重に堕胎することを命じたが、この計画は美ン事失敗し、堕胎させるために施した種々の手段は陶の肉体を弱らせただけで終り、翌年七月、九ヵ月の早生で男子を分娩した。これが貴様である。

陶は健康を損じて悪性の貧血に悩まされ、一日幾度となく眩暈卒倒する風なので、九月末、予後療養のため、看護婦と三四名の下婢を附添わせて箱根の別荘へ送ったが、開戦以来、俺は華族会館に恤兵会の事務所を置き、もっぱらその事務に尽瘁していたので、勢い陶を見舞うこともなく、翌三十八年の六月までの間に、たった二度ほど行ったきりだッた。

六月十日、恤兵会の用件で小田原の知人を訪ねた帰り、急に箱根へ行ってみようと思い立って、三枚橋で腕車を傭った。

途中を急がせ、八時頃、別荘の裏手に到着し、湖畔の柴折戸から飛石伝いに母屋のほうへ行くと、庭に向いた日本座敷に皎々とランプが点されて、大勢の人声がする。

植込を透して眺めると、兼ねて見知越しの日疋という女流文士、弓削という二六新報の探訪、詩人の北村などの大一座が下司張ッた掛声をかけながら花合せをしており、喰い荒した鉢物やら徳利やら、ところも狭に置き散らしたなかに、下賤な面がまえの男女が五人ほどごろごろ寝ッ転がっている。陶はと見ると、やッつけの束髪結びにだらしなく羽織を引ッ掛け、脛を蹴出さんばかりのしどけない立膝で縁の柱に凭れ、月琴を抱えて俗曲かなにかを歌っていた。

あまりにも思いがけない光景なので、我を忘れて見ていると、狐のような面をした書生がむっくりと起きあがった。

「諸君は文芸界に掲載された二葉亭の四人共産団を読んだろうか」

というようなことをいった。傍の一人が手を振りながら、

「評論はよせ、酒が饐えらア」

とキメつけると、件の書生は肩を揺ってせせら笑い、

「早合点すべからず、二葉亭の趣向をもット捩れア、わが箱根共産団の戯作ができるッてことサ。吾輩、寝ッ転がッてつらつら考えるところ、彼の豪胆なるキルジャーカに当るのは、なんといっても日疋女史さね。空手で野郎の総まくりなンてのは天晴れ天晴れ、なかんずく、北村大人などと来ては」

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