一
冬木が縁の日向に坐って、懐手でぼんやりしているところへ、俳友の冬亭がビールと葱をさげてきて、今日はツル菜鍋をやりますといった。
「ツル菜鍋とは変ってるね」
「ツル菜じゃない、鶴……それも、狩野流のリウとした丹頂の鶴です。鶴は千年にして黒、三千年にして白鶴といいますが、白く抜けきらないところがあるから、二千五百年くらいのやつでしょう」
「そんなものなら自慢することはない。むかし、鶴の罐詰というのがあって、子供のころ、よく食わされた……丹頂の鶴が短冊をくわえて飛んでいる極彩色のレッテルを貼って、その短冊に『千年長命』と書いてあるんだ。こんなものを食ったおかげで、千年も長生きをするんじゃたまらないと思って、子供心ながら、だいぶ気にした」
「あなたのお話は、いつも、どこかズレているのでハラハラしますよ。それは人魚のまちがいでしょう。長寿にあやかるということはありますが、鶴を食って長生きをしたという伝承はないはずです。それに、罐詰の鶴の正体は、朝鮮の臭雉というやつなんでして、知らぬこととはいいながら、よけいな心配をしたもんです」
「まことしやかに、なにかいうね。君はどうしてそんなことを知っているんだい」
「あの罐詰をやっていたのは、あたしの叔父なんだから、あきらめていただきましょう」
「これは恐れいった。すると、あれは鶴でなくて雉だったんだね」
「南鮮にそいつがむやみにいて、粟を食ってしようがない。そのため、ときどき大仕掛けな害鳥捕獲をやるんですが、名のとおりに、泥臭くて煮ても焼いても食えない。あたしの叔父は利口だから、それで、ああいう見事なことを思いついたんですが、日本には、あなたのようなとぼけたひとが多いので、これは大いに当りました」
鶴の話ばかりしていて、いっこうに鍋ははじまらない。冬木は落着かなくなって、そろそろやろうかと催促すると、冬亭は、
「やろうといったって、鶴はまだない。これから、ひねりに行くんです」と昂ぶったようなことをいった。
となりの鹿島の邸の庭にいる鶴が、毎晩のように飛んできて、冬亭が飼っている鯉を、十何匹とか食ってしまったので、そのしかえしに、おびきだしてひねってしまうという話なのである。
「あたしは脚を抱えこみますから、あなたは嘴を掴んでいただきます。あれでこつんとやられると、頭に穴があきますから」
冬木は冗談じゃないと思って、
「僕はまだなんともいっていないぜ。あっさりいうけど、むこうだって生のあるものだから、そうやすやすと掴ませはしまい」
相手になりたくないようなようすを見せたが、冬亭にはまるっきり感じがなく、両手をひろげて、眼の前の空気をかき抱くようなしぐさをしながら、
「あたしが、こんなふうに、諸手で抱えこんでしまいますから、あなたはバットを握る要領で、グイと掴んでくだされば、それでいいんです」
冬木は、なんといわれても動かないことにきめ、
「そういうことなら、鶴鍋も億劫だ。ぼくは葱だけでいいよ、鶴はいらない」
じゃけんに、つっぱねると、冬亭は怒ったような顔になって、
「そんなことをいったって、あんな大きなものを、一人でひねれやしないですよ。やっていただかなくては、こまります」
強くいって立ちあがると、
「お立ちなさい、さあ」
ものものしく尻はしょりをして、子供のように足をじたばたさせた。冬木は横をむいてしらん顔をしていると、冬亭は痩せ脛を寒肌にして、しょんぼりと立っていたが、
「嫌ならいやでいいですが、懐手ばかりしていないで、せめて、手ぐらい出しなさい」
というと、縁の端のほうへ行ってすねたようにあぐらをかいた。
冬亭の胡坐というのは、このながいつきあいの間にも、まだいちども見たことがなかった。めずらしいことをするものだと思って、ようすをうかがっていると、冬亭は縁無し眼鏡をチカチカさせながらこちらへむいて、いきなり、「馬鹿野郎」と一喝した。
冬月師の句会で、はじめて冬亭に逢ったとき、冬月師は、こちらは土井さん、大学で美学を講じていられる助教授でと紹介した。細っそりとした優おもてに、縁無しの眼鏡がよくうつり、美学の先生といっても、これ以上、美学の先生らしいのはちょっとあるまいと思った。日ごろは淑やかで、大きな声でものをいうためしもない冬亭にしては、ありそうにもないいきりかたで、冬木は呆気にとられて、笑ってしまった。
鶴鍋などというのは、冗談なのにちがいない。起居に音もたてないような冬亭に、鶴など殺せようはずがなく、それに冬亭と鹿島家との間には、むずかしい問題がいりくんでいて、むこうの庭へ入りこんで、乱暴なぞ働けない立場になっている。葱やビールまでさげて、鹿島の庭へ連れこもうというのには、なにかほかの目的があるのだと思うほかはない。冬木は腕を組んで考えているうちに、ああ、句が出来たのだと、考えがそこへいくと、ようやくいきあたったような気がした。
風よ惜しめ一つこもり居る薔薇の紅
という冬亭の最近の句は、例によってさんざんな目に逢った。冬木もひと太刀浴びせた組だが、冬月師は、つぎに出てくるものを待とうといい、期するところがあるようで、冬亭としても、この月の句会には、どうしても秀作をものしなくてはならない絶命にいた。察しるところ、秋色の池の汀で、鶴を掴まえるというような秀句がさきに出来てしまい、かたちだけでも、鶴を追いまわすような真似をしなければならなくなっているのではないか。いやがるのを無理強いに連れだそうと企てる以上、句の中に冬木も入っているので、断ったりすると、みすみす秀句を殺すことになるのかもしれない。冬亭の句境は冬木も異端とするにはばからないが、弟弟子にたいする愛情は、もちろんべつなものである。
冬木は立ちあがって、かいがいしくじんじんばしょりをすると、
「なんだか面白くなってきた。おれも行くよ」
というと、冬亭は機嫌をなおして、
「行ってくださいますか。文女さんも……」
と、いいかけて、顔を赧くした。冬木は、わざと聞きとがめるように、
「なんといったんだ?」
と、はぐらかしてしまったが、すると、きょうの鶴鍋は、句のことではなく、文女に関係のあることなのだと、あらためて、はっとした。
文女は横浜の親戚へ見舞いに行って、あの大空襲にあい、その後、生死不明のままになっている。冬亭はそのころ、毎日、横浜の焼跡へ出かけて、日ねもす文女の消息をたずねまわり、秀麗な趣きのある顔が、見るかげもないようになってしまった。
鹿島の孫娘の文子が、冬亭のところへ作句の手ほどきを受けにくるようになったのは、日華事変のはじめごろだったろうか。冬月師の門下に加わって、俳名をもつようになってからも、冬亭のところへ句作をもって行って、批評をきいていた。
文女は肉置きのいい大柄なひとで、坐りはじめたら、褄もうごかさずに何時間でも坐っているという、どっしりとした風格だった。
はじめて冬亭の書斎で逢ったとき、ひきつめにして、薄紅い玉の簪をしていたが、その玉は、なにか途方もないものらしく、深く沈んだ光が、冬木の眼をうってやまなかった。藍系統のくすんだ着付に、ざっとした帯をしめているので、更紗かと思ったら、シャンチョン宮の狩猟の図を織りだした精巧きわまるゴブラン織だった。
冬亭と文女が向き合って坐っている光景は、ふしぎきわまるもので、冬亭は煙草ものまず、膝に手をおいたまま、文女のほうは下眼にうつむき、話らしい話もせずに、二時間でも三時間でも坐っている。冬木がその席にいたせいではなく、そういうのが毎度のことらしい。そのとき書斎の窓から木瓜の花梢が見えていたが、その長い対坐の間に文女は、
「花というものは、花を見ているあいだは、ほかに、なにもいらないような気持にさせますのね」と、いったきりだった。
二人の気持が、どういうふうに向いていったか、冬木は知らないが、そのうちに、いつ行っても文女が来ているようになった。句作のことではないらしく、冬亭のところへ通いつめているのは、ただごとではないようにみえてきた。
文女の両親は七年ほど前に亡くなって、鹿島の家には祖父の与兵衛が坐りなおしていた。西園寺公や雨宮暁などとは時代がちがうが、欧羅巴で一世の豪遊をした大通の一人で、モンマルトルやモンテ・カルロの老人たちは、雪洲の名は知らなくとも、鹿島の名は記憶していて、風流と豪奢をいまも語草にしている。
日本へ帰って、息子に家産を譲ってからも、あいかわらず寛濶に遊びつづけていたが、息子夫婦が文子を残して死ぬと、館ともいえるような宏壮な洋館をしめ、伊那の奥から引いてきた柾葺の山家にひきこもり、メンバという木の割籠からかき餅をだし、それを下物にして酒を飲みながら、文子に仏蘭西の新刊小説を読ませて聞くのを日課にしていた。
洒脱な老人だが、一面、家柄や格式にこだわる頑迷なところもあるので、文子のしたいようにさせているが、最後のぎりぎりのところで、そんな男のところへ嫁れないと、ひと言できまりをつけるのだろうことはわかっている。そのむずかしいところを、二人がどう切りぬけていくのだろうと、ひとごとながら心配でならなかった。
文女が空襲にあうひと月ほど前、冬亭の問題で、なみなみならぬもんちゃくがあったふうで、鹿島老はすっかり依怙地になり、探しにひとを出すようなこともせず、位牌も白木のままで、重ね棚のうえに放りだしてあるというような噂だった。冬亭が口をすべらしたので、なにか文女に関係のあることだと思われるが、冬亭が鹿島の庭へ入りこんでなにをしようというのか、冬木には見当がつかなかった。