Chapter 1 of 7

四月十三日

こんなことが信じられるだろうか? でもじっさい妾は自分の眼で見たのだ。あの人が、世界でたった一人の妾の人だと信じきっていたあの人が、全く世間並みの、やくざな、汚らわしい人間であったなんて。

今朝の十時に、妾はあの人の書斎へはいって、書棚からミロッセの『コンフェッション』を探していた。すると、何という偶然の一致だろう。ちょうど、その書物をぬき出すとたんに、オパール色の一通の封書が妾の脚元へ落ちてきた。もちろん封は切ってあった。妾は何の気もなしに、それを拾いあげて全く偶然に、中味をひき出して見た。というのは妾はこれまでついぞ夫の手紙を無断でよんだことはなかったからだ。

封筒と同じ色のレターペーパーに、紫のインキで次のように書いてあった。

あなたは洪水のようにお手紙を下さるのね。きっと貴方は朝から晩まで妾の手紙ばかり書いていらっしゃるのでしょう。妾、ただ読むだけでへとへとになっちゃうのよ。ポストをあけてみると、きっと貴方のお手紙がはいっているんですもの。でも妾、貴方のお手紙をよむのはそれはそれは愉快だわ、貴方のお手紙はいろいろなことを考えさせるんですもの。どんな書物を読むよりもためになるわ。そして、貴方が妾を愛していて下さることはよくわかるわ。妾だって貴方を愛せるかも知れないわ。そして現に愛しているかも知れないのよ。貴方は奥さんやお子供さんのあることを恥じていらっしゃるのね。ちゃんと妾にはわかるのよ。そしてあなたの心の動きを非常に興味をもって見ているわ。でも仕方がないじゃありませんか、そんなこと。貴方の頭でどんなに考えたって解けっこのない問題ですもの。妾ならもう何も考えないことにするわ。そして妾自身何も考えていやしないわ。妾には考えたって苦しんだって貴方の影響を脱する力はないんですもの。妾は貴方の百倍も貴方を愛しているんですもの。

四月十一日

貴方のTより     妾のN様

妾はもう少しで、絨氈の上へよろめいて倒れるところだった。まだ昨日の手紙だ。そして封筒の上書には、ちゃんと「小石川区水道端一丁目十二番地、並木五郎様」と書いてある。でも妾には信じられない。これは、何か途方もない間違いだと思っている。だが、しかし……

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