平山蘆江
平山蘆江 · Japanese
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平山蘆江 · Japanese
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Original (Japanese)
帝劇に上演された大菩薩峠、あれは芝居ではない、仕方話の手見世だ、芝居として見るのなら、行友李風氏の脚色で澤田正二郎君がやつた方が遙かに大菩薩峠の悌を出し、且机龍之助の姿を見せてくれている。
七幕十四場、ずつと通して見て筋が通る通らないという人もあるようだが、それはいう方が間違つている。大菩薩峠という長い/\もの語りの中の要所々々を、草双紙の口繪でも見せるように並べて見せて、小説でおなじみの人物を、それ/″\姿で見せて行く趣向だという事を、ちやんとはじめから唄つてあるのだ、口繪を見ただけで筋を知ろうという人が無理だ。それにあの小説で筋ばかりを見る人があつたら恐らく作者中里介山君は苦笑いをするだろう。筋を辿る爲めにあの小説を書いている中里介山君ではないのだろうから。
中里君の大菩薩峠を田中智學さんがほめたたえた、田中さんがほめなくつたつて、私は十年も昔からほめそやしている、憎らしいほど立派なものだと心で思つている、いつぞや菊池寛さんがあれをほめて文壇的とやらに推薦とやらをした時、中里君は今更ワイ/\云つてくれないでも、世間の方がとつくの昔に知つているよと云つたとかいう噂を聞いた事がある。菊池寛さんにほめられると皮肉を云つて、田中智學さんにほめられると一も二もなく賛成する中里君の心持が少し判らなくなつた。それはそれとして、田中智學さんも餘計な事をする人だ、あんな風によせもの細工のような芝居を作ろうなんて了見は起こさないで下されば好いのに、それにつけてもほめただけで何もしないでいて下すつた菊池さんへ私は遙かに敬意を表したい。
帝劇の大菩薩峠を見て、大菩薩峠らしく感じたのは大湊の舟小屋と新錢座の浪宅と輕業小屋との部分々々である。人物の中で小説の人らしく思われたのは高助の米友の風と律子のおはまと、かく子のお角と、田之助の兵馬などであつた。
伊原さんが勘彌の龍之助を柔らかすぎると云われたのは適評である。米友の槍のはたらきも、ムク犬の動きも吠え聲も皆感心しない。古市の備前屋などは房子の女將が哮々しくしやべるので伊勢らしい氣分が少しも出ない、のつけに出る佐々木積の與八、あれは一體何だ、あんな小ざかしい、利いた風なそのくせ上すべりのした與八を中里君は書いていやしないのに、何の彼のと書きつづつて行くと只々行友李風氏の脚色と、澤田正二郎君の演出とが、一層目の中にちらついて來るばかりである、そのくせ、澤田の大菩薩峠を見た時にも、大分大菩薩峠ばなれがしているなあと思つてにが/\しかつたのだが‥‥
何にしても、大菩薩峠という小説は、すばらしい苦勞人がすつかり油の乘つた調子で、話上手に任せて世間話をしている心持で綿々として盡くる事なく書かれているのだから、これを請賣しようとするには、大分取捨の必要がある。はじめの話し手の口から聞けば、面白くてたまらぬ話も、これを請賣するとなると、一向にとりとめがつかなくなる、と、そういう意氣のところばかしで全篇を通しているのだから、下手な請賣のしかただと、今度の帝劇の芝居のようなものが出來るのであろう。(「騒人」昭和三年三月)
平山蘆江
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