Chapter 1 of 2

歌合せ

外に出るのは誰も具合が悪かつた。

それで、飽きもせず彼等は私の部屋に碌々とし続けた。(――と私は今、村での日日を思ひ出すのである。つい此間までの村の私の勉強室である。私は余儀なく村を立ち去つて、今は都に迷ひ出たばかりの時である。)

向ひ側の人の顔だちが定めもつかぬ程濛々と煙草の煙りが部屋一杯に立こめてゐた、冬の、くもり日続きの、村の私の部屋なのだつた。誰も彼も、もう駄弁の種もすつかり尽き果てゝ稍ともすれば沈黙勝ちな、夜もなく、昼もなき怠惰な村の愛日抄を書かう。

寝転んでゐる者がある、炬燵にあたつてゐる者がある。部屋の隅にある小机に凭つて手紙か何かを書いてゐる者がある。安らかに無何有の境に達して大鼾きをあげてゐる者がある――おそらく夢だけで消えてしまふであらう「ソクラテス学校」――そんな題名の小説を想つてゐる私が、何んな顔つきで日々彼等の仲間になり続けてゐたか私は知らない。

口をあけて天井を眺めて居るAが居た。全く出鱈目な調合法で切りにカクテルをつくつて飲み続けて居るBが居た。Bは恋をして居る。もう少し酔つて来ると、やがて顔を歪めて私に取り縋るに違ひないのだ。

そして、人が何かの歌を口吟むと、皆眠た気な声を挙げて一人宛順々に歌つて行くのが癖になつてゐた。歌へぬのは私一人だけである。誰が思ひ出して歌ひ出す歌でも、皆が皆、既に好く知り尽してゐる歌ばかりであるらしい。私は何時も彼等の朗かな合唱の聞き手であるだけだ。

「何かもつと別なのはないか?」などと云ひ合ひながら切りに考へるのだつたが、それも、もういよいよ種が尽きると彼等は、いつも彼等が一様に暗誦してしまつてゐる古今の名文章を口吟むのが常だつた。手持ちぶさたがさせる白々しい、悲し気な戯れだ。

彼等が暗誦する文章は十指に余りある。いつか私も憶えてしまつた。

いきなり一つ引用して見よう。……そこで、炬燵にあたつて顔を突つ伏てゐるAが、経を読むが如く、

「おのづから外るゝ水には、何もたまらず流れたり。」などと唸り出すと、洋盃をつまんで眼を据てゐるBが、それでもAの読経が耳に入つたのか、生真面目な顔で空々しい声をあげて続けるのであつた。

「爰に伊賀伊勢両国の官兵等、馬筏押し破られて、六百余騎こそ流れたり。」

そしてBは眼を瞑つてゐる。Aは顔を突つ伏して眠つてしまつたらしい。――Cが、素晴しく洞ろな大欠伸と一処に、吾知らず次の章を唸り続けるといふ具合なのだ。

「萌黄、緋威、赤威、色々の鎧の浮きぬ沈みぬゆられけるは、カンナビ山のもみぢ葉の、巓の嵐にさそはれて――」

「竜田川の秋の暮――」と続けたのは大の字なりにふんぞり反つて天井に煙りを吹きあげてゐる吐月峰のDだつた。「竜田川の秋の暮、井関にかゝりて流れもあへぬに異ならず。」ひとり庭に出て海を眺めてゐたEが遠くから声を挙げた。さうだEは庭で海を見降ろす風景を油絵でスケツチしてゐるのだ。彼は切りに筆を動かせながら、

「その中に、緋威の鎧着たる武者三人、網代に流れかゝりて浮きぬ沈みぬゆられけるを、伊豆の守見給ひて、かくぞ詠じ給ひける。」などと続けるのであつた。

すると今迄机に凭つて耳も借さずに手紙か何かを書いてゐたカレツヂ・ネキタイのFが得意の歌留多声を忍ばせて、聴く者の涙を誘ふかのやうに悠長な、センセイシヨナルな気取つた喉で和歌の朗詠だ。

「伊勢武士は、皆緋おどしの鎧きて、宇治の網代にかゝりぬるかな。」

そして、一区劃ついて、寂とすると誰が何といふこともなしに笑ひ出すのである。

「Fちやんを読手にして、歌留多を一番戦はうか?」

「Fちやんの声ぢや好過ぎていけないよ。」と呟いたのは、頭からすつぽりと毛布を引き被つて安らかに無何有の境に達して鼾きをあげてゐる筈のGだつた。

「Fちやん!」と洋盃のBが、もう知らん顔で机に向つてゐるFに呼びかけた。Bは、もうドロンとしてしまつて大時計の振子のやうにうつら/\と上半身を揺られながら、夢うつゝであるかのやうにウヰスキイばかりを飲んでゐた。「Fちやん、もう一つ何かやつて呉れ。」

「あゝ何をやらう? ――白鳥は――をやらうか? それとも幾山河……にしようか?」

「センチメンタル・ペンドラム!」と誰かが隅の方で呟いた。Bの事は「ペンドラム」だとか「天気鶏」だとか「ハツピー何とか」と彼等は蔭で称び慣れてゐた。何故、蔭で――と云ふと、Bは仇名などで云はれると直ぐに不機嫌になるからだつた。不機嫌になられたつて直ぐに治つてしまふから怖くはないが、そのわざとらしい眉間の立皺を見るのが滑稽過ぎて困るからだつた。

「大観が――といふのをやつて御覧な。」

とBは勿体なさうに唸つた。

「大観が――だつて! 大観が何うしたのさ?」

「知らないの――」

「知らないな!」

知らないといふので皆なが珍らしさうに息を殺した。

「吉井勇の歌だよ。」

「知らないよ。大観――だなんて!」

するとBは酒飲みらしくもなく妙に赤くなつて(それは彼が稀代の悪声家だからである。)咽喉にからまるやうなカスレ声で性急に口吟んだ。

「大観が酔ひて描きたる画に似たり(だつたかな、違つたら御免だ。)大観が酔ひて描きたる画に似たる、花月の塀の春の泥かな――といふんだよ。」

Bが斯く披露し終ると一処に、皆なは突然起きあがつて、Bをキヨトンとさせたことには、余りに鳴りも止まぬ拍手と何故か晴れやかな大笑ひだつた。

「ハツハツハ――そいつは好い。そいつは明かるくつて面白い。」

「俺はBが何か意味あり気な歌でも歌ひはしないかとハラ/\してゐたところだつたんだよ。」

「B――遠慮することはないぜ、君は仲々好い声だよ。うまい/\俺ア感心した。」と庭で絵を描いてゐるEが野良で立働いてゐる者の会話のやうな大きな声で賞めてゐた。

BにすゝめられてもFは朗詠しなかつた。今度カルタの読み手になる時には、最初のカラ一枚で是非ともそれを詠まう、そいつを俺の得意にする――と呟いて、繰返してBにうたはせてゐた。

Chapter 1 of 2