Chapter 1 of 2

(A)

「風よ風よ、吾を汝が立琴となせ、彼の森の如く――か、ハツハツハ……琴にならぬうちに、おさらばだよ、森よ森よ、さよなら――と!」

「真面目かと思へば冗談で、冗談かと思へば生真面目で、転がせ/\、この樽を――だ、ハツハツハツ……」

「泣いて呉れるなヨ、出船の邪魔だヨ……」

「今日は黒パン、明日は白パン、兵士の歌だよ、白い娘と黒いパン、黒い娘と白いパン、どんどん行け行け鉄砲かついで――」

私はテントの袋を肩につけて、何かしら不安な思ひにでも打たれてゐるかのやうに黙つてゐたが、皆なは勝手な歌をうたひ、口笛を吹き、手風琴を鳴しながら、ガヤガヤと馬をつらねて山径を降つてゐた。皆なが、山彦を面白がつて、殊更に声を張り挙げ、殊更な笑ひ声を挙げると、それが森の梢に陰々と反響した。崖の間からハラハラと水が滾れ落ち、万年草や孔雀歯朶が一杯にはびこつてゐる森の中だつた。

「おい/\、ちよつと立ち止まつて皆なでいち時にワツハツハツ! といふ笑ひ声を挙げて見ようよ、可笑しいぜ、山彦が……」

歌のところは解らなかつたが、誰かゞ束の間の静けさの時に挙げた笑ひ声が、まるで天狗の声でもあるかのやうに梢の間に響き渡つたのに興味を覚へて、私はそんなことを云つた。

「ワツハツハ……」「ワツハツハ……」「ワーツ、ワーツ!」

私は、芝居の「高時」に想ひを馳せて凝ツと梢に向つて眼をむいた。

近々都へ向つて出発する私のために村の友達連が集まつて、この森を宴会場に定めて、流れの傍らに幾張りものテントを建て、夜に日をついだ送別会を行つた後に、漸く今になつて引きあげたところであつた。悪口を云ひ合つたり憾みごとを云ひ合つたりした者も悉く打ち溶けて、思ひ/\の仮装を凝らし、踊り、飲み、歌ひ抜いて、名残りなく引きあげて来たところであつた。

「最後にシノンが梢を睨んで、得意の微笑を浮べてゐる姿を一つ撮らうぢやないか。」

馬を降りて、酔醒めに谷川の水を次々に飲んで一休みしてゐると、誰かゞそんなことを云つて私にレンズを向けた。私はシノンの恋人に扮してゐる私の妻に楯を持たせ、その妹に扮つた居酒屋の娘の肩を抱いて、

「さあ、これで――」

と、三人は並んだが二人は、私が厭に武張つてゐて変だ、もう仮装舞踏会は終つた後のことなのだから、もつと/\打ち寛いだ姿を執つて貰ひたい、でなければ一処に並ぶのは厭だ! と、かぶりを振つて諾かなかつた。

シノンは恋人を抱き、またその妹をも抱いて、別れの挨拶をしなければならないんだ。――「その姿を撮らう。」

と云つて私が、二人を引き寄せようとすると、二人は赤くなつて逃げ回つた。誰かゞ、私が居酒屋の娘に怪しからぬ想ひを抱いてゐる、それで、せめてもそんな言ひがゝりをつけて抱擁の快を感じようとでもしてゐるに違ひない――などゝひやかすと、妻は幾分殺気立つて、

「何といふ厭な奴だらう、失礼な。」

と笑ひながら、娘を己の胸に抱き寄せた。そして、皆はいち時に仰山な笑ひ声を挙げずには居られなかつた。私は、ちよつと具合が悪かつたので、空とぼけた顔をし、

「ほんとうに、笑ひ声の――こだまは、天狗の笑ひ声のやうだな。」

と仔細気に首をかしげながら梢を仰いだ。

「もう一度笑つて見て呉れ――」と私が追求すると、皆なつまらなさうに黙つてしまつた。

トロヤ戦争余聞、木馬の腹に潜んで敵地に赴く決死隊の一員、勇士シノンに就いてのエピソードを挿入すると、この場の情景が鮮明になるのであるが、「シノンの芝居」は私が前の晩に森の中で大見得切つて演じた後であるから、省く。

で、私が、ひとり、呆然と梢を眺めてゐる様子を素早く撮影したのを区切りとして、私達は、行列をつくりまた歌をうたひながら賑やかに森を見棄てた。「真夏の夜の夢」の、ひようきんな役者達のやうに馬鹿/\しい夢を春霞みの深い森の中に置き去りにして――。

Chapter 1 of 2