一
都を遠く離れた或る片田舎の森蔭で、その頃私は三人の友達と共にジヤガイモや唐もろこしを盗んで、憐れな命をつないで居りました。あの村へ行けば、小生の所有になる古いけれどいとも大きな水車小屋があつて、明けても暮れても水車がどんどんと回つてお米を搗いて呉れるから、俺達の三人や五人は腕組をしてゐても安心だ、蜜柑畑もあるし麦畑もあり、海のやうに拡い稲の田もある、蜜柑を売り、麦は水車に搗かせてさへゐれば、お金は毎日毎日じやら/\といふ音をたてゝ蝗のやうに飛び込んで来る、それだからね、俺達は暮しの心配なんぞは無用で、「永遠の理想」のためと「尽きざる夢」のためにのみ根限りの頭をつかつて、互ひに一番、おもしろい小説を創り、精一杯の勉強をして来ようではないか――斯う云つて私は友達を誘ひ出したのでした。
ところが、私達が谷を渡り山を越えて漸く水車小屋のある村にたどりついて、やれ嬉しやと胸を撫で降しながら小屋の扉を開けると、小屋の中には私の見も知らぬ荒くれ男が七人も十人も囲炉裡のまはりに大胡坐を掻き、てんでんに片方には米俵を肘突きにし、片方には白粉をつけた女共を引き寄せて、飲めや歌へ、踊れや踊れといふ大乱痴気の酒盛の最中でした。
「怪しからんぢやないか、断りもなしに他人の小屋に這入り込んで吾もの顔で威張り散らすとは何たる事だ。さつさつと出て行つて呉れ。」
私はステツキをあげて扉口を指差しながら、憤然たる啖呵を切りました。
すると正面の大黒柱の前で大盃を傾けてゐる五十格好の鬚男が、にやりと薄気味の悪い嗤ひを浮べて、
「手前達は何処からやつて来た風来坊か知らないが、この小屋諸共あたりの田地田畑は去年の秋かられつきと吾輩のものとなつてゐるといふことを知らんのだな。裁判所へ行つて訊いて来るが好いや。」
と唸りました。
「盗人、黙れ――白か黒かの裁判などは試みぬ方が、寧ろお主の恥が秘せるといふものだらうぜ。済むだことは兎や角云はぬから、有無を云はずと引きあげた方がきれいだらうよ。」
私は負けじと鳴り返しました。
その時の有様などを詳さに述べたところで、結局私達が奴等に手とり脚どりされて、ぐるぐる回る水車の川下に放り込まれてしまつたゞけのことで、そんな自分の姿を偉がりやの私としては思ふだに自尊心に関はりますので止めますが、私達は命からがら向方岸へ泳ぎついたのでした。腕組をして「永遠の理想」を夢見るなんておろか、私達は岸辺に這ひあがつて再び地を踏むと同時に、住むべき小屋もなく食ふべき麦もないロビンソン・クルウソウと早変りしてしまつたのです。いや、無人島ではありませんから喰ふためには盗みを働くより他に生きよう道とてもない溝鼠と化して了つたわけでした。
あの鬚男は私を目して風来坊だなどゝ空呆けましたが、私にしろあの男にしろずつと昔から互ひの名前も姿も好く知り合つてゐる者なのですが、向方が左う出るからには私としたつて奴の過去の名前などは問ふべき要もないのであります。
それは兎も角、彼はその辺一帯を占領して以来は恰で生れ変つた如き横風な人間と化して、多くの手下を引具して議員に候補したり、妾を蓄へたり、花合戦に一夜千両を賭けたりして、凄まじい大尽風を吹かすばかりか、果はあられもなく貴人を気どつて吾々などは頭から眼中にないといふ羽振りを示しました。
私達は川下の西瓜畑の一遇に掘立小屋を営んで、彼等を軽蔑しました。あんな、えげつない人物達のことはさらりと打ち忘れて、俺達は俺達の仕事に没頭しようと誓ひ合ひました。
「平気だ!」
と私の二人の友達は申しました。「夢は何処でゞも描ける筈だ。」
「さうだ!」
と私は二人の手をとつて力みました。「羨むことも悲しむこともありはしない。」
そこで私達は早速窓の下に机を並べて、一生懸命の勉強にとりかゝりました。私は、あたりのことは何も彼も忘れたつもりで、断乎たる架空の大空の下で一篇のお伽噺の創作にとりかゝつたのです。
そして忽ちのうちに一篇の物語を創りあげましたので、得々としてひとりで読み返して見ましたところ――何とまあ私は、自分を見さげ果てたことには、空想のつもりの物語の中に現れてゐる気分とでも云ふものを見るならば、あゝ、あゝ、それは夢どころか、己れの最も浅猿しい概念ばかりが、単に上面にヴエールをしたまゝ、感情は悉く奴等の上にほとばしつて、復讐の念にのみ燃えあがつてゐるではありませんか。何んなに呑気さうに空想らしく自らまでもごまかしたつもりで白を切らうとしたところで、性根に拘泥がある限り、大空へ向つて悠々たる翼を拡げることなどはかなふものではない――と、愚かな私は今更のやうに打ちのめされてしまひました。
二人の友達に披瀝するどころか、私はその呪はれた一篇を握り潰して、身でも投げてしまはうと、水車のある川のほとりをうろつきました。そして知らぬ間に、私は女に振り棄てられた未練深い男のやうに水車小屋の窓下にやつて来て、耳を澄まして居りますと、中の様子が何時もと違つてひつそりとしてゐますので、扉の隙間からそつと様子を窺ひました。――見ると、あの横風な大尽が何うしたものか、部屋の隅に縮こまつてげつそりと首垂れ、大黒柱の前には鹿爪らしい別の男が、気の毒さうに彼の姿を見降してゐるのです。
いつまで経つても二人は物も言はず同じ姿を保つてゐるばかりでしたが、その様子を凝つと垣間見てゐるうちに、どうやら私が、それこそ架空のまゝにお伽噺の中で結末をつけたと同様な仕儀に立至つてゐるらしく思はれました。稀に二人は口を利く模様でしたが、水車の響きで聞えようもありません。――私は左手に握り潰してゐた紙片を、ぼんやりと拡げると、扉から洩れるラムプの光りと折から昇つた月の光りとにすかして、チツチツチツといふ蟋蟀のやうに読んでゐました。せめてもう一度読み返すならば、斯んな物蔭で細々と鳴いて見ようか? とでも云ふ位の心持だつたのかも知れません。