第八 俳諧連歌
一、易、源氏、七十二候などその外種々の名称あれども多くは空名に過ぎず。実際に行はるる者は歌仙を最も多しとし、百韻これに次ぐ。一、歌仙は三十六句を以て成り、百韻は百句を以て成る。長句、短句にかかはらずこれを一句といふ。発句と最後の一句を除きて外は各句両用なるを以て、歌仙には三十五首の歌(則ち長句短句合したる者)あり、百韻には九十九首の歌あるわけなり。一、歌仙は長に過ぎず、短に過ぎず、変化度に適せり。故に芭蕉以後は歌仙最も多く行はれたり。初学の人連句を学ぶ、また歌仙よりすべし。一、連句は変化を貴ぶ故にその打越(一句置いて前の句)に似るを嫌ふ。即ち第三の句は第二句に附くこと言ふまでもなく、しかして第一句とはなるべく懸隔せるを要す。けだし第一句、第三句共に第二句に附く故に両句動もすれば同一の趣向となり、あるいは正反対の趣向(黒と白、男と女、戦争と平和等の如し)となるを免れず。同一の趣向の変化せざるは勿論にして、正反対の趣向もまた変化せざるものなり。一、二句去り、三句去りなどといふことあり。何句去りとは何句の間その物を詠みこむを禁ずといふことなり。例へば竹は木に二句去りなりといへば、木を詠み込し句より後二句の中には竹を詠まれぬが如し。これらの法則は余りうるさきやうなれども、つまり法則的に変化せしめんとの意より出でたる者にして、愚人に連歌、連句を教へんがためなり。いやしくも変化の本意を知る者はかかる人為の法則に拘泥するに及ばず。ただ我が思ふままに馳駆して可なり。試みに芭蕉一派の連句を披き見よ。その古格を破りて縦横に思想を吐き散らせし処常にその妙を見はすを。一、古来定め来りし去り嫌ひはやや寛に過ぐるを憂ふ。二句去り、三句去りといふもの多くは五句も六句も去らざれば変化少かるべし。一、歌仙は分ちて表六句、裏十二句、名残の表十二句、名残の裏六句となす。一、月花の定座なる者あり。そは月と花とを詠みこまざるべからざる句をいふ。即ち月の定座は表の第五句、裏の第七句、名残の表の第十一句とし、花の定座は裏の第十一句、名残の裏の第五句とす。但しこの句と固定せるにはあらず、時に応じて種々に動くべし。一、表六句(百韻は八句)には神祇、釈教、恋、無常、述懐、人名、地名、疾病等を禁ず。窮屈なるやうなれども一理なきにあらず、従ふべし。元来歌仙全体を一つの物と見る時は、表は詩の起句の如し、故に此処はなるべくすらりとして苦のなきやうに致し、以て後段に変化の地を残し置くなり。二の表は更に変化を要する所なりとぞ。一、脇(第二句)には字止といふ定めあり、字止は名詞止なり。第三には「て止」といふ定めあり。これらあながち固守すべきにもあらねど、また一理なきにもあらず。初学は古法に従ふべし。一、春秋二季は三句乃至五句続き、夏冬二季は一句乃至三句続くを定めとす。時の宜しきに従ふべし。一、月といふ者必ずしも秋月なるを要せず。殊に裏の月は秋月ならぬ方かへつて宜しからん。一、花といふ者必ず桜花なるを要せず、梅、桃、李、杏固より可なり。他季の花を用うるまた可なり。花と言はずして桜といふ固より可なり。各人の適宜に任すべし。一、恋を一句にて棄てずといふ定めあり、従ふに及ばず。一、百韻は初折表八句裏十四句、二の折表十四句裏十四句、三の折表十四句裏十四句、四の折表十四句裏八句なり。一、百韻の月の定座は表の終より二句目、裏(名残の裏を除く)の九句目なり。花は裏の終より二句目なり。百韻にては殊に月花の定座に拘泥すべからず。一、百韻は長き故にともすれば同一の趣向に陥りやすし。全体の変化に注意すること最も肝心なり。一句々々の附具合も歌仙に比すれば親句(ぴつたりと附きたる句)多かるべし。しからざれば窮屈なる百韻となりをはらん。一、規則、附様等一々に説明しがたし。古書について見るべし。一、俳諧連歌における各句の接続は多く不即不離の間にあり、密着せる句多くは佳ならず、一見無関係なるが如き句必ずしも悪しからず。切なる関係なしとは見えながらまた前句と連続せざるにもあらざる処に多くの妙味を存するなり。初学のために一例を挙げて解釈すべし。一、左に録する俳諧連歌は十八句より成り、召波十三回の追悼会に催せし者と知らる。脇起とはその座にをらぬ人の俳句を竪句(第一句)として作る者にて、追善の場合に亡き人の句を竪句とすること普通の例なり。これまたしかなり。
一、 冬ごもり五車の反古のあるじかな 召波
五車の書といふ支那の故事を転じて反古となし、反古の多きことを言へる者にして、冬ごもりの書斎狼藉たる様なるべし。
一、 ひとり寒夜にうつ月 維駒
維駒は召波の子なれば脇を着けたるなり。発句冬季なればこの句も冬季にて受けたり。は缶の意にて「ほとぎ」と読ましむる者か。缶は瓦器にして酒を盛る者なるを、秦人はこれを撃て楽器となすとかや。五車の書といふこと支那の故事を引きたれば、脇もまた缶といふ支那の楽器を引用したるなり。但しここは支那の楽器を持出して撃つといふにはあらず、有り合せの瓶などを叩きたることをいへるなり。前句との附様は冬籠りの中にある月あかき夜、酒うち飲みて酔ひたるままに瓶など打ち叩きたるといふ趣向なり。
郊外何焚やらん煙して 鉄僧
初五文字何と読むやらん、「かうぐわい」と四音に読むにや、または「郊外に」とあるべきを字の脱けたるにや、あるいは外に読みやうあるべきか知らず。前句との附様は前の缶打つ月といへるを町はづれなどの侘住居と見たる故に郊外の景色を見るがままに述べたるならん。この句雑の句なり。冬季は二句続くが普通の例なり。
流れの末の水は二筋 臥央
これはただ前句を受けて郊外の景色を更に述べ添へたるまでなり。
枝伐て一のまぶしを定むらし 蕪村
まぶしとは猟師が木の枝などを地に刺し、その陰に隠れて鉄砲を放つものなりとぞ。一のまぶしとはまぶしいくつもあるうちに第一に射撃すべき処をいふにやあらん。この附様は前句の「流れの末の水は二筋」といふを山中の谷川の景色と見て、さて箇様に獣猟の様をばいひて郊外の景色を転じたるなり。この句普通には月の定座なれども、脇に月を置きたる故にここには置かれぬ定めなり。
甥の太郎が先づ口をきく 百池
附様は前の山猟に鹿など来るやと身を隠し息を殺して待ちをる処に、甥の太郎が先づ物を言ひたるとなり。この口をきくとは何事を言ひたるや、そは定かならねども大方は鹿の来るを見つけて「来た来た」などと口走りたるならんか。
新宅の夏を住みよき柱組 也好
この句は全く趣向を転じたり。附様は新築成りてその祝ひに(祝ひならずともよし)幾人か集まりゐたる処に、甥の太郎が一番に口をききたりといふことにしたるなり。
水打ちそゝぐ進物の鯛 春坡
この句は前の新築の祝ひに鯛を遣はしたるなり。水打ちそそぐとは鯛の腐りかけたるを防ぐなるべし。この句夏季にはあらねど水打ちそそぐといふは夏季に最も適切なり。
裂けやすき糸の乱れの古袴 正巴
これは前句祝宴なる故に、祝宴の時に古袴ひきつくろひたるさまを叙したるなり。前の腐れ鯛に対してここには古袴の破れて糸のほつれたるを附けたる作者用意の処なり。
妻を奪ひ行く夜半の暗きに 之兮
妻は「め」と読むなり。この附様は全く転じたり。さるべき恋の執心より人の妻を奪ひ行くその身なりもしどろに袴など裂けたるさまなり。前句の「糸の乱れの」といへるさま恋歌の言葉にて、如何にも主の心までも乱れたらんやうに見ゆるからに、この句は恋となしたるなり。但し袴といふによりてこの恋は門地ある人の恋と知るべし。(ここにては前句の袴を女の袴と見たるにや)
ちら/\と雪降る竹の伏見道 道立
これは前句の妻を奪ひ行く夜道のさまを述べたるものにて恋の句にはあらず。前の恋は都の位ある人のしわざと見つけて、さては伏見と置きたるなり。伏見より竹を思ひ、竹より雪を思ふ。この清麗なる雪中の竹逕を以て前の上等社会の恋に副ふ、また用意周到の処なり。
小荷駄返して馬嘶ふらん 我則
この句はただ伏見郊外の景色なり。小荷駄返してといふ意何の事にや。荷主に荷を返すことをいふか。
泣く/\も棺を出だす暮の月 自笑
前句をただ夕暮の淋しき景気と見てこの附ありたるならんか。但し田舎にては夕暮に棺を出す処多し。この句月を入れて秋季なり。
よからぬ酒に胸を病む秋 佳棠
句の表は悪き酒を飲みて胸わるくなりたりといふまでなり。されどその裏面にはさらでも人を失ひたる悲みに胸つかえたる頃を、焼け酒飲み過ぎてなほ胸苦しさよとかこちたるさまをも見せたり。前秋季なればこの句も秋季にて受けたり。
小商ひ露のいく野の旅なれや 湖柳
この句は小商人の旅にて、わろき酒など飲みて欝を晴さんとするに、なかなか胸につかえたりといふなり。いづれも秋の淋しき処より案じ出だせるなり。この句露とある故秋季なり。
燕来る日の長閑なりけり 湖
この句はただ旅路のさまをいひたるなり。前句は秋季にてこの句は春季なり。これを「季移り」といふ。この場合には前句を春季の句と見なしてこの句を附くるなり。露は秋季なれども春にも露あること勿論なれば、春と見なしても差支なきわけなり。
反古ならぬ五車の主よ花の時 几董
反古ならぬ五車の書の主といふ事なるべきを、発句に照応して反古ならぬとは言ひたり。箇様に発句に照応せしむること定則にはあらず、便宜の沙汰なり。この句花の定座にして花あり。
春や昔の山吹の庵 田鶴
これはただ五車の主の住居を山吹など咲きたらんと見立てたるなり。「春や昔」と懐旧の意にものしたるは、これも追善の意を含ませたるなり。一、この連句にて各句の附具合はそれぞれに味ひありて面白し。ただ一句として面白き句は
水うちそゝぐ進物の鯛
裂けやすき糸の乱れの古袴
妻を奪ひ行く夜半の暗きに
ちら/\と雪降る竹の伏見道
なく/\も棺を出だす暮の月
などなるべし。(明治二十八年十月二十二日―十二月三十一日)
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