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墨汁一滴
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墨汁一滴
正岡子規
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Chapter 10 of 16

10

不折鳥羽僧正の画につきて言へりしに対して茅堂は不折の説を駁する一文を投ぜり。茅堂不折両氏ともに親しく交際する仲なれば交際上どちらに贔屓もなけれども画の事につきては茅堂は不折の向ふを張つてこれが反対説を主張するほどの資格を持たずと思ふ。このさいにおける論の当否は姑く舎く、平生茅堂が画におけるを観るに観察の粗なる嗜好の単純なる到底一般素人の域を脱する能はざるが如し。詳かに言へば茅堂は写生の何たるをも能く解せざるべく、鳥羽僧正の写生の伎倆がどれだけに妙を極めたるかも解せざるべく、ただその好きな茶道より得たる幽玄簡単の一趣味を標準として、写生何かあらん、鳥羽僧正の画毫も幽玄の処なし、余り珍重すべき者に非ず、など容易に判断し去りたる事ならん。茅堂もし画の事を論ぜんとならば今少し画の事を研究して而して後に論ぜられたき者なり。楽焼主義ノンコ趣味を以て鳥羽僧正の画を律せんとするは瓢箪を以て鯰を押ふるの類か。(四月二十七日)

夕餉したため了りて仰向に寝ながら左の方を見れば机の上に藤を活けたるいとよく水をあげて花は今を盛りの有様なり。艶にもうつくしきかなとひとりごちつつそぞろに物語の昔などしぬばるるにつけてあやしくも歌心なん催されける。この道には日頃うとくなりまさりたればおぼつかなくも筆を取りて

瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり

瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書の上に垂れたり

藤なみの花をし見れば奈良のみかど京のみかどの昔こひしも

藤なみの花をし見れば紫の絵の具取り出で写さんと思ふ

藤なみの花の紫絵にかゝばこき紫にかくべかりけり

瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の牀に春暮れんとす

去年の春亀戸に藤を見しことを今藤を見て思ひいでつも

くれなゐの牡丹の花にさきだちて藤の紫咲きいでにけり

この藤は早く咲きたり亀井戸の藤咲かまくは十日まり後

八入折の酒にひたせばしをれたる藤なみの花よみがへり咲く

おだやかならぬふしもありがちながら病のひまの筆のすさみは日頃稀なる心やりなりけり。をかしき春の一夜や。(四月二十八日)

春雨霏々。病牀徒然。天井を見れば風車五色に輝き、枕辺を見れば瓶中の藤紫にして一尺垂れたり。ガラス戸の外を見れば満庭の新緑雨に濡れて、山吹は黄漸く少く、牡丹は薄紅の一輪先づ開きたり。やがて絵の具箱を出させて、五色、紫、緑、黄、薄紅、さていづれの色をかくべき。(四月二十九日)

病室のガラス障子より見ゆる処に裏口の木戸あり。木戸の傍、竹垣の内に一むらの山吹あり。この山吹もとは隣なる女の童の四、五年前に一寸ばかりの苗を持ち来て戯れに植ゑ置きしものなるが今ははや縄もてつがぬるほどになりぬ。今年も咲き咲きて既になかば散りたるけしきをながめてうたた歌心起りければ原稿紙を手に持ちて

裏口の木戸のかたへの竹垣にたばねられたる山吹の花

小縄もてたばねあげられ諸枝の垂れがてにする山吹の花

水汲みに往来の袖の打ち触れて散りはじめたる山吹の花

まをとめの猶わらはにて植ゑしよりいく年経たる山吹の花

歌の会開かんと思ふ日も過ぎて散りがたになる山吹の花

我庵をめぐらす垣根隈もおちず咲かせ見まくの山吹の花

あき人も文くばり人も往きちがふ裏戸のわきの山吹の花

春の日の雨しき降ればガラス戸の曇りて見えぬ山吹の花

ガラス戸のくもり拭へばあきらかに寐ながら見ゆる山吹の花

春雨のけならべ降れば葉がくれに黄色乏しき山吹の花

粗笨鹵莽、出たらめ、むちやくちや、いかなる評も謹んで受けん。われはただ歌のやすやすと口に乗りくるがうれしくて。(四月三十日)

病牀で絵の写生の稽古するには、モデルにする者はそこらにある小い器か、さうでなければいけ花か盆栽の花か位で外に仕方がない。その範囲内で花や草を画いて喜んで居ると、ある時不折の話に、一つの草や二つ三つの花などを画いて絵にするには実物より大きい位に画かなくては引き立たぬ、といふ事を聞いて嬉しくてたまらなかつた。俳句を作る者は殊に味ふべき教である。(五月一日)

『宝船』第一巻第二号の召波句集小解を読みて心づきし事一つ二つ

紙子きて嫁が手利をほゝゑみぬ

「老情がよく現はれてゐる」との評なれど余はこの句は月並調に近き者と思ふ。

反椀は家にふりたり納豆汁

「古くなつて木が乾くに従ひ反つて来る」とあれども反椀は初より形の反つた椀にて、古くなつて反つた訳には非るべし。

あたゝめよ瓶子ながらの酒の君

この句に季ありや。もし酒をあたたむるが季ならばそれは秋季なるべし。あるいは連句中の雑の句などに非ずや。

河豚しらず四十九年のひが事よ

四十九年の非を知るとは『論語』にあるべし。「ひが事」の「ひ」の字は「非」にかかりたるなり。

佐殿に文覚鰒をすゝめけり

「比喩に堕ちてゐるから善くない」とあれどもこの句の表面には比喩なし。裏面には比喩の面影あるべし。

無縁寺の夜は明けにけり寒ねぶつ

寒念仏といふのは無縁の聖霊を弔ふために寒中に出歩行く者なればこの句も無論寺の内で僧の念仏し居る様には非るべし。

此村に長生多き岡見かな

「老人が沢山来て岡見をしてゐる」のではなく老人の多い目出たい村を岡見してゐる事ならん。

附けていふ、碧梧桐近時召波の句を読んで三歎す。余もいまだ十分の研究を得ざれども召波の句の趣向と言葉と共にはたらき居る事太祇蕪村几董にも勝るかと思ふ。太祇蕪村一派の諸家その造詣の深さ測るべからざる者あり。暁台闌更白雄らの句遂に児戯のみ。(五月二日)

ある人いふ勲位官名の肩書をふりまはして何々養生法などいふ杜撰の説をなし世人を毒するは医界の罪人といはざるべからず、世には山師流の医者も多けれどただ金まうけのためとばかりにてその方法の無効無害なるはなほ恕すべし、日本人は牛肉を食ふに及ばずなど言ふ牽強附会の説をつくりちよつと旧弊家丁髷連を籠絡し、蜜柑は袋共に食へとか、芋の養分は中よりも外皮に多しとか、途方もなき養生法をとなへて人の腸胃を害すること驚き入つたる次第なり、故幽谷翁なども一時この説に惑ひて死期を早められたりと聞けり、とにかく勲位官名あるために惑はさるる人も多きにやあらん。世人は薬剤官を医者の如く思ふ人あれど薬剤官は医者に非ず、かつその薬剤官の名さへ十分の資格もなくて恩恵的にもらひたるもありといへばあてにはならぬ事なり云々。

先頃手紙してこの養生法を余に勧めたる人あり。その時引札やうのものをも共に贈られたり。養生法の引札すら既に変てこなるに、その上に引札の末半分は三十一文字に並べられたる養生法の訓示を以て埋められたるを見ていよいよ山師流のやり方なる事を看破せり。世の中に道徳の歌、教育の歌、あるいはこの養生法の歌の如き者多くあれどかかる歌など作る者に真の道徳家、真の教育家、真の医師ありし例なき事なり。今ある人の説を聞いて余の推測の違はざるを知れり。(五月三日)

しひて筆を取りて

佐保神の別れかなしも来ん春にふたゝび逢はんわれならなくに

いちはつの花咲きいでゝ我目には今年ばかりの春行かんとす

病む我をなぐさめがほに開きたる牡丹の花を見れば悲しも

世の中は常なきものと我愛づる山吹の花散りにけるかも

別れ行く春のかたみと藤波の花の長ふさ絵にかけるかも

夕顔の棚つくらんと思へども秋待ちがてぬ我いのちかも

くれなゐの薔薇ふゝみぬ我病いやまさるべき時のしるしに

薩摩下駄足にとりはき杖つきて萩の芽摘みし昔おもほゆ

若松の芽だちの緑長き日を夕かたまけて熱いでにけり

いたつきの癒ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種を蒔かしむ

心弱くとこそ人の見るらめ。(五月四日)

岩手の孝子何がし母を車に載せ自ら引きて二百里の道を東京まで上り東京見物を母にさせけるとなん。事新聞に出でて今の美談となす。

たらちねの母の車をとりひかひ千里も行かん岩手の子あはれ

草枕旅行くきはみさへの神のいそひ守らさん孝子の車

みちのくの岩手の孝子名もなけど名のある人に豈劣らめや

下り行く末の世にしてみちのくに孝の子ありと聞けばともしも

世の中のきたなき道はみちのくの岩手の関を越えずありきや

春雨はいたくなふりそみちのくの孝子の車引きがてぬかも

みちのくの岩手の孝子文に書き歌にもよみてよろづ代までに

世の中は悔いてかへらずたらちねのいのちの内に花も見るべく

うちひさす都の花をたらちねと二人し見ればたぬしきろかも

われひとり見てもたぬしき都べの桜の花を親と二人見つ

(五月五日)

新華族新博士の出来るごとに人は、またか、といひて眉を顰むるが多し。こは他人の出世を妬む心より生ずる言葉にていとあさまし。余はむしろ新華族新博士の益多く愈ふえん事を望むなり。されどこれも裏側より見たる嫉妬心といはばいふべし。

博士もお盃の巡り来るが如く来るものとすれば俗世間にて自分より頭の上にある先輩の数を数へて順番の来るを待つべきなり。雪嶺先生なども今頃お盃を廻されては「辞するほどの価値もない」とでも言はねばなるまじ。しかし新博士には博士号を余り有難がらぬ人もたまにあるべけれど新華族になるほどの人華族を有難がらぬはなかるべし。宮内省と文部省との違ふためか、実利と虚名とのためか、学識なきと学識あるとのためか。(五月六日)

五月五日にはかしは餅とての葉に餅を包みて祝ふ事いづこも同じさまなるべし。昔は膳夫をかしはでと言ひ歌にも「旅にしあれば椎の葉に盛る」ともあれば食物を木の葉に盛りし事もありけんを、今の世に至りてなほ五日のかしは餅ばかりその名残をとどめたるぞゆかしき。かしは餅の歌をつくる。

椎の葉にもりにし昔おもほえてかしはのもちひ見ればなつかし

白妙のもちひを包むかしは葉の香をなつかしみくへど飽かぬかも

いにしへゆ今につたへてあやめふく今日のもちひをかしは葉に巻く

うま人もけふのもちひを白がねのうつはに盛らずかしは葉に巻く

ことほぎて贈る五日のかしはもち食ふもくはずも君がまに/\

かしは葉の若葉の色をなつかしみこゝだくひけり腹ふくるゝに

九重の大宮人もかしはもち今日はをすかも賤の男さびて

常にくふかくのたちばなそれもあれどかしはのもちひ今日はゆかしも

みどり子のおいすゑいはふかしは餅われもくひけり病癒ゆがに

色深き葉広がしはの葉を広みもちひぞつゝむいにしへゆ今に

(五月七日)

碧梧桐いふ、

手料理の大きなる皿や洗ひ鯉

の句には理窟めきたる言ひ廻しもなきに何故に月並調なるか。余いふ、月並調といふは理窟めきたる言ひ廻しをのみいふに非ず、この句手料理も大きなる皿も共に俗なり、全体俗にして一点の雅趣なき者もまた月並調とはいふ、もし洗ひ鯉に代ふるに初松魚を以てせんか、いよいよ以て純粋の月並調となるべし。碧梧桐いふ、手料理といひ料理屋といふは常に我々の用ゐる所、何が故にこの語あれば月並調といふか。余いふ、そは月並派の仲間入でも為さば直に分る事なり、先づ月並の題に初松魚といふ題出でたりとせよ、この題を得たる八公熊公の徒はなかなか以て「朝比奈の曾我を訪ふ日や初松魚」などいふ句の味を知る者に非ず、大概は著物を質に置くとか手料理で一杯やるとかいふやうなきまり文句を並べて出すなり、さういふ句に飽きたる我らは最早手料理といふ語を聞いたばかりにて月並臭気を感ずるやうになれり。しかし手料理といふ語あればいつでも月並調なりといふにはあらず。

附けていふ。手料理といふ語は非常なる月並臭気を感ずれども料理屋といふ語には臭気なし。こは月並派にて手料理の語を多く用ゐれども料理屋といふ語を用ゐぬ故なり。かかる事は実際について知るべく、理を以て推すべからず。(五月八日)

今になりて思ひ得たる事あり、これまで余が横臥せるにかかはらず割合に多くの食物を消化し得たるは咀嚼の力与つて多きに居りし事を。噛みたるが上にも噛み、和らげたるが上にも和らげ、粥の米さへ噛み得らるるだけは噛みしが如き、あながち偶然の癖にはあらざりき。かく噛み噛みたるためにや咀嚼に最必要なる第一の臼歯左右共にやうやうに傷はれてこの頃は痛み強く少しにても上下の歯をあはす事出来難くなりぬ。かくなりては極めて柔かなるものも噛まずに呑み込まざるべからず。噛まずに呑み込めば美味を感ぜざるのみならず、腸胃直に痛みて痙攣を起す。是において衛生上の営養と快心的の娯楽と一時に奪ひ去られ、衰弱とみに加はり昼夜悶々、忽ち例の問題は起る「人間は何が故に生きて居らざるべからざるか」

Chapter 10 of 16
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