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茗荷畠
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茗荷畠
真山青果
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Translation Pagera AI
Original Public Domain
Chapter 6 of 7

六

外から入つた家の中は暗かつた。

「お帰りなさい。」と妹は然う云つて出た。

「油井は何所へ行つた、未だ帰らんのか。」と怒つた声である。油井は妹婿の名である。

「何うしたんですか、未だ帰らないで。」と言葉尻が恐れに半分消える。

「何?」態と聞返したのである。

「未だ帰りませんで……。」とそこへ窮屈さうに小さく坐つて、何時も叱られる胸前の拡りを取締て居る。

「あつちへ行け。」と然う怒鳴つて、足音荒く湯村は書斎へ引込んだ。

原稿紙を出した、硯に墨も流した。途中考へて来た「信仰の力」と云ふ題を書いた。手が顫へて居る。世に信じる力は無く、唯理解のみになつたと悟れる人の寂しみ、悶え、それを書く積りなのである。二三行書いたが何うも文章をなさない。三枚書損つた。今度は題を「見えざる後より」とも、「見えざる目」とも更めた。矢張り書けなかつた。直ぐ前の井戸傍へ子供が大勢集つて、何かガヤ/\喚き始めた。湯村は筆を投出して、ゴロリと寝た。

巻紙を出してスラ/\と書く。私は謬つて居た、余り接近したのは悪い。絶交は謹んで受ける。そして私は孤独を守つて飽迄製作に従事する積りと書きかけた。K―氏へのである。辰馬へはたゞ短かく、「余は活き得る途ありと信ず。」と筆太に大きく書いた。

風は冷々と吹入つて、襦袢着ぬ肌に寒い。今晴れたかと思ふと直ぐ曇る、まことに沈着の無い空である。庭の松、葉銀杏、吉野檜、遠くでは向う屋敷の欅、朴の木、柳、庭の隅の秋草まで、見る限りの葉が皆動く。ザワ/\と葉裏を見せて皆動く。

「おい。」と湯村は寝ながら叫んだ。熱いお茶が欲しかつたのである。

聞えない。

「おい、おい。」と二三度呼んだが返事がない。ツカ/\と立つて台所の戸を明けた。妹は出窓際に鏡を置いて、身仕舞に気をやつして、切りと鏡に見惚れて居る。白いものも幾らか付けたやうだ。

「おい、あんなに呼んだのに聞えないのか。」と冷たい閾の上に立つた。

「あら。」と妹は最う真蒼になつて鏡を隠した。

「何をしてる。馬鹿! おしやれか。」

妹は黙つて俯向いてる。

「なんだ、その面で。宿場の飯盛ぢやあるまい、この部屋の態は何だ。」

二畳の女中部屋の壁際にガラス鏡を飾り、小棚の上には安香油だの百合の花のレッテルの付いた白粉だの、鑵に入つた洗粉だのを並べ立てて居る。角な食塩の明壜に真赤な葡萄酒のやうな髪油も入つて居た。「おしやれ所の身の上か、馬鹿め、自分々々の身を考へて見ろ。居候して居る分際で頭ばかり光らせても何になる、百姓め。」と口から出任せに怒鳴つた、妹は蒼くなつてブル/\顫へてゐる。

「何故自分達の身を立てる事を考へない。いかに馬鹿だと云つて、その位の気が付かないか。」と又怒つた。

「ですから、今日油井も……。」

「何? ハツキリ云へ。」

妹は泣出した。

「厭な色だ、何んだ。」と湯村は行也その髪油の壜を取つて流しに投付けた。三和土になつてる。ひどい音して粉々に壊れた。

「お兄さん、私悪かつた……堪忍して……。」と妹はそこの板の間へ突伏した。

「何が悪いんだ。何が悪い。」とやたらに激して、白粉壜も洗粉も、一つ/\みな投付けた。

「貴様は一体兄を兄と思はない。亭主より外に大事なものが無いんだ。へん、亭主は大事よ。」と咽低く嘲笑つて又書斎へ戻つた。

原稿に向つたが気が興つて書けない、妹の泣声がシク/\聞える。

「今日は駄目だ。」と独言云つて、シャボンを手に湯へ出掛けたのは余程過ぎてである。外はもう暗かつた。

夕方、油井は帰つて来た。昨日来浅草の親戚へ泊つて、方々歩いて見たが、思はしい口も見当らない。兜町の仲買屋に書記が入用との話ゆゑ、行つて見ると最う新しい人が入つて居た。「運の悪い時は何所まで行つても駄目です。」と悄げ切つて居る。実体な気の弱い男で、借金の言訳にさへ始終まごついて居る。

「為方がないさ、まア緩り探す事です。」と湯村は鷹揚に云つた。

「でも、何時々々まで斯うして御厄介になるのもお気の毒でして、どんな所でも口さへあれば勤めて見る気で居ます。」

「何有、関はんさ、お互の事だもの。」

「然し夫婦連れですからな。それに、御覧の通り気の廻らん奴ですから、嘸、お気に合はぬ事もありませうと思つてな。」

「だつて、僕にや妹だもの。」と笑つた。然し目は不安さうに相手をはかつて居た。

膳拵へして妹が持つて来た。二人はお先に済ましたからとて、湯村だけ膳へ向つた。ランプの心を高く上げさせた。

妹は最う先刻の事をケロリ忘れたやうに、夫の傍へ坐つて活々した話振である。油井は又途中見て来た色々の話をして聞かせる。下町の物価の高い事、風俗の派手になつた事、三軒が三軒見て来た芝居の木戸留であつた事、秩父縞の月賦売が却つて格安の事や何かを話して聞かせる。妹はそれを聞いて、何時か一度是非その下町へ連れて行つてくれとせがんで居た。妹は二月前に東京へ来たなり、未だ一度も外へ出掛けた事がないのである。

「何れ連れて行くよ。その内には、芝居も見せてやるよ。」と油井は答へた。

「貴方のその内は的にならないから、その内/\つて最う二月になりますもの。」と粘つた調子である。

「今度は本当だよ。」

「屹度々々屹度ですよ。」と念を押す。

「う、好い/\。」と笑つてゐる。

湯村は箸を投げるやうに置いて、「陸さん」と呼ぶ。陸三郎は油井の名である。

「陸さんは感心だな、これを連れて電車へも乗る気か。紡績の女工と云はれるよ。」

「ヘツヘツ。」と煙管で頭を掻いて、「でも為方がアせんもの。」

「好い気だよね、二人共。」と湯村は書斎へ引込んだ。

Chapter 6 of 7
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