Chapter 1 of 22

自序

此類の書は序文なしに出版せらる可き性質のものではない。自分は自分の過去のために、小さい墓を建ててやるやうな心持で此書を編輯した。自分は自分の心から愛し且つ心から憎んでゐる過去のために墓誌を書いてやりたい心持で一杯になつてゐる。

此書に集めた數十篇の文章は明治四十一年から大正三年正月に至るまで、凡そ六年間に亙る自分の内面生活の最も直接な記録である。之を内容的に云へば、舊著「影と聲」の後を承けた彷徨の時代から――人生と自己とに對して素樸な信頼を失つた疑惑の時代から、少しく此信頼を恢復し得るやうになつた今日に至るまでの、小さい開展の記録である。自分は自分の悲哀から、憂愁から、希望から、失望から、自信から、羞恥から、憤激から、愛から、寂寥から、苦痛から促されて此等の文章を書いた。全體を通じて殆んど斷翰零墨のみであるが、如何なる斷翰零墨もその時々の内生の思出を伴つてゐないものはない。固より外面的に見れば、此等の文章の殆ど凡ては最も平俗な意味に於ける何等かの社會的動機に動かされて書いたものである。經濟上の必要や、友人の新聞雜誌記者に對する好意や、他人の依頼を斷りきれない自分の心弱さなどは、外から自分を動かして、此等の文章を書くための筆を握らせた。併し此等の外面的機縁は自分の文章の内容を規定する力をば殆ど全く持つてゐなかつた。自分は此等の外面的、社會的必要に應ずるために、常に内面的衝動の充實を待つてゐた。さうして内面的衝動の充實を待つて始めて筆を執つた。從つて自分は屡經濟上の窮乏を忍んだり、締切の日に後れて他人に迷惑をかけたり、口約束ばかりで半年も一年も引張つて置いたりしなければならなかつた。此等の文章は外面的機縁によつて火を導かれたが、外面的動機の力を以つて爆發したものではない。固より此等の文章は悉く内面に蓄積する心熱の苦しさに推し出されたものだと云ふのは誇張である。併し書くに足る程の内面的成熟を待つて之を記録したと云ふだけの權利は、自分に許されてゐると信じてゐる。自分は此等の文章がまだまだ熱と力に缺けてゐることを熟知してゐる。併し、その時々に自分の人格に許された限りの誠實を盡して、此等の文章を書いたと云ふことだけは憚らない。

とは云へ、誠實の深さも亦人格の深さと始終する。自分は從來に於ける自分の文章を貫く誠實が、甚だ淺く輕いものなことを思ふ時、そゞろに冷汗の流れることを覺える。囘想すれば、事物の眞相に透徹せむとする誠實も淺かつた。自分の生活を深く/\穿ち行かむとする誠實も亦淺かつた。――從來、自分は比較的に論理的客觀的思考の力に富んだ者と、世間から許されてゐるやうな氣がしてゐた。さうして自分も亦深い反省なしに、茫漠として此評價を受納れてゐた。然るに、その實、自分の思想は、現在刹那の内面的要求をのみ基礎として、事物の一面にのみ穿貫し行く部分觀に過ぎないものが甚だ多かつた。さうして自分は自分の内面的要求が特にその阻遏さるゝ點に於いて燃え立つことを經驗した。從つて自分は常に自分の要求を阻遏する一面にのみ極度に強い光を投げて、自然と人生と自己とを觀じて來た。自分の思想は、自然に就いても、自己に就いても、靜かに深い客觀性を缺いた少年の厭世主義が主調をなしてゐた。而も此厭世主義を自己に適用するに當つて、自分は解剖の一面にのみ熱して、開展に向ふ努力の一面を忘れ勝であつた。自分は自分の解剖が穿貫の力を缺いてゐるとは今でも思つてゐない。さうして現在と雖も、實相の凝視、解剖、並びに嫌厭を、無意味にして呪ふ可き事だとは少しも思はない。併し自分の人格は、何と云つても解剖の一面に停滯して、靜かなる包容と、根強き局面開展の力とを缺いて居た。自分は過去の自分を囘顧する時、此點に於いて自分が憎くて恥かしくてたまらない。殊に自分は今自分の内生が徐々として轉向しつゝあることを感じてゐる。從つて過去の自分に對する愛着は、次第に冷淡と憎惡とに變化しつゝあることを感じてゐる。自分は今此變化し行く心を以つて過去の文章を見る。さうして自ら生み、自ら育てて來た此等の小さい者に對して、流石に愛憐の情に堪へない。自分の此書を編輯するこゝろは捨てる子のためにその安息の處を――その墓を準備してやる母親のこゝろである。

併し此の如き未練愛着のこゝろは、舊稿を編輯する理由にはなつても、之を公表する理由にはならない。自分は何の權利があつて、敢て此書を公表するのであるか。自分の信ずる處では、自分は二ヶ條の理由によつて、此權利を享受する資格があるやうである。自分は此二ヶ條の理由によつて、此書の出版が現在の思想界に對して多少裨補する處ある可きを信じてゐる。

第一に此書に輯められたる文章には未熟、不徹底、其他あらゆる缺點あるに拘らず、眞理を愛するこゝろと、眞理を愛するがために矛盾缺陷暗黒の一面をもたじろがずに正視せむとする精神とは全篇を一貫して變らないと信ずる。此書の大部分を占めてゐる内容は、自分の矛盾と缺乏とに對する觀照である、從つて自分は此觀照の記録によつて他人のこゝろを温め清めることが出來るとは思つてゐない。此書は恐らくは讀者を不愉快にし陰氣にする書に相違あるまい。併し自分は自分の文章が徒らに、理由なくして、他人を不愉快にし陰氣にするとは信じてゐない。讀者が此書によつて陰氣になり不愉快になるならば、それは陰氣になり不愉快になることが、讀者その人の必ず一度は經過しなければならぬ必然だからである。自分はその人を往く可き處に往かしめるために、之を不愉快にし陰氣にすることを恐れない。矛盾を正視すること、矛盾の上を輕易に滑ることを戒めることは、凡ての人を第一歩に於て正路に就かしめる所以である。若し此書を貫く根本精神が多少なりとも生きてゐるならば、讀者の胸中に、矛盾を正視しながら、而も其中に活路を求むるの勇氣を鼓吹する點に於いて、幾分の裨補がない譯はないと思ふ。

第二に此書は單純なる矛盾と暗黒との觀照ではない。同時に暗黒に在つて光明を求める者の叫である。さうして又、實際、暗黒から少しづつ光明に向つて動きつゝある心の記録でもある。固より自分の心は魔障の多い心である。自分には、僅に一歩を進めるためにも、猶除かなければならぬ千の障礙がある。自分は千鈞の魔障を後にひいて、人生の道を牛歩する下根の者である。此六年の日子を費して自分の歩いた道は恐らくは一寸にも當らないであらう。併し、兎に角に、自分の内生は此間に多少の開展を經て來た。自分は道草を喰ひながら、どう/\りをしながら、迷ひながら、躓きながら、どうにかして此處まで歩いて來た。その間の勞苦は、自分にとつて決して小さいものではなかつた。假令個々の部分を形成する思想内容には見るに足るものが極めて少いにしても、此小なる開展の跡を貫く微かなる必然は、神と人との前に全然無意義なものではあるまい。自分が此書を編むに際して經驗する心持は、必ずしも羞恥の情のみではないのである。

自分は此小さい經驗の報告が、それ/″\の道を進みつゝある現代の諸友に、多少なりとも參考になるやうにと切望してゐる。自分は過去に對する未練と愛着とによつて此書を編んだ。願くは之が同時に、現在並に將來の思想界を幾分なりとも裨補するの書ともならむことを。

大正三年二月十一日谷中の寓居にて阿部次郎

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