一
月のいゝ晩がつゞく。月がいゝとわたしは団扇を持つて縁先に出る。こんなわたしにしろ、また隣の二階家の四角な影の二尺ばかり上に照る月にしろ、月を見れば空想ぐらゐはする。わたしはきつと娘の事を考へる。
許嫁の男の両親のもとに家事見習に行つてゐるその娘から、このところ一寸便が来ない。このわたしを忘れて、目新らしい生活に夢中になつてゐるのかしらん。それならばまあいゝのだが、先日「今年の夏も」と男の子どもにせびられるに任せて、大磯で法外な値をつけられた貸別荘をどうやら借りた。其処へ若い二人も呼んで、賑やかな、わたしの心の保養になる夏を過さうと計画むで、此の間娘にその由を知らせてやつたのだが、何の音沙汰もない。先方の青木家で、わたしの遣り口を出過ぎてゐるとでも思つてゐるのではないか。万事質素な家なのだから。そして娘まで一所にさう思つてゐるのではないか。
わたしはどうも青木の家、殊にあの鷹雄といふ、聟になる筈の若者に対しては、つい神経過敏になつてしまふ。それはこの婚約が、わたしが最初不承知で、それからイヤ/\納得したものであるからだ。この婚約がわたしの昔の空想――娘の秋子がまだやつと小学校に行く頃から空想したやうな結婚とは、まるで違つたものとなつて現はれたものであるからだ。
それはわたしも金持をめがけて娘をやらうとはしてゐなかつた。しかし今度の場合のやうに或る若い男が娘を見初めて、それを自身の両親に打明けて、さて話の第一歩が当方に向けられたといふやうな成立の婚約は、どうもわたしのやうな昔者の胸には納まらぬのだ。あくまでキチンとした婚約でなくては、子供達を残して死んだ妻にも済まぬやうな気がするのだ。だがわたしも人の父親だ。娘も気がすゝんでゐるのを知つては、気もくじけて万事承知した。そして仲人には先方の父親にもわたしにも等しく恩人である、市ヶ谷の先生御夫婦が立つて下さるといふのである。わたしは名誉に感じた。先生のお宅ですべて話がまとまつた時、わたしは人前で涙もこぼした。
が、それから後、わたしは自分の胸に父親として大切に残しておいた最後の楽しみが、それも無残にこはされた事を知つたのだ。それは鷹雄といふ若者が、話にも聞いてゐたがそれ以上の文学者流の神経質で、「俗物」のわたしを見下してゐるのを、この眼で見知つたことだつた。初対面の挨拶の時、わたしの義理の子ともならう筈の若者は、いかにもムツツリと構へてゐて、ひと通りの礼儀としての挨拶も碌々せぬのだ。わたしは自分が最初この縁組に不承知だつた事を先方で知つてゐる、その互ひの工合わるさ――かういふ目出度い席には禁物の工合わるさをどうかして水に流さうと、自分よりも四十も若い男に向つて、いろ/\と愛想を述べたのだが、あまりのムツツリした不作法に、世馴れたわたしでさへ取り附く島がなかつた。わたしが何かの話の工合で、先方の父親に兜町の景気を一寸噂した時、若者が露骨に厭な顔を見せたことも、わたしは見逃さなかつた。そして母親は母親で、「こんなカラキシ子供でございまして」と、わが子に対する一通りでない盲目さを、半分は隠しながら半分は見せびらかしてゐる。こんな状態ではと、わたしはその時既に秘かに思つたのだ。聟が第二の息子となつて、年老つて行く義父に涙のこぼれるやうな世話をしてくれる。かういふ美しい光景をわたしは幾つか見て来た。そしてその通りの事がわたしの昔の空想だつた。昔からの大切な空想だつた。それが無残に壊はされたのだ。そして壊した者は、これまでのわたし達の水入らずの生活には赤の他人であつた若者ではないか。
息子は帝大出なのだ。その帝大出であつて学問中心主義の息子が、わたしに向つて傲然と構へてゐるのを見た時に――今になつて何もかもわたしの愚かさを正直に云ふのだが――わたしは三十余年前に、わたしがまだ私立大学の聴講生で下宿屋にゴロ/\してゐた頃、本郷通りなどで出逢ふ帝大生の群に対して抱いた、ある弱々しい羨望をふと思ひ出したのだ。何しろその頃は世の中がもつと官学崇拝だつたから……。この記憶はわれ乍ら不快な記憶には違ひない。其後わたしは学歴の方は思ひ断つて、腕一本と、豪傑流な態度と、大先生のお蔭とでまあ/\こゝまでやつて来た。いくつかの事業もし、小金も溜めた。だがわたしは何十年振りかで、あの鷹雄の傲然とした態度に相対すると、昔ながらの学歴のない事につい妙なこだはりを感じるではないか。娘に恥を掻かせずにすむ親でありたいゆゑもある。ともかく実力主義の筈だつたわたしが、話の一つ/\にどうも自分の無学を自覚してしまふのだ。わしはその点を彼に軽蔑されはしまいかと恐れた。――そして事実、その通りに軽蔑されたのだ。
しかし娘さへ心から幸福ならばわたしはさう思つてゐる。が、その当の娘も、あの息子の神経質とあの両親の子煩悩では?――こんな風だから娘から少し消息が途絶えると、わたしは本能的にイラ/\して来る。酒もうまくない。これは誇張ではない。二三日うちに大磯問題の返事を聞き旁々、青木家を訪ねて見ようと思ふ。一体わたしがあまり行く事は、なるべく遠慮してゐるのだが。