Chapter 1 of 4

一、はしがき

わが日本は地震の國といはれてゐる。また火山の國ともいはれてゐる。地震や火山が多いからとて御國自慢にもなるまいし、強い地震や激しい噴火が度々あるからとて、外國に誇るにも當るまい。實際この頃のように地震、火災、噴火などに惱まされつゞきでは、却つて恥かしい感じも起るのである。たゞわれ/\日本人としてはかような天災に屈することなく、寧ろ人力を以てその災禍をないようにしたいものである。かくするには地震や火山の何物であるかを究めることが第一である。所謂敵情偵察である。敵情が悉くわかつたならば、災禍をひき起すところのかの暴力を打ち碎くことも出來よう。この目的を達してこそわれ/\は他國人に對して恥かしいといふ感じから始めて免れ得られるであらう。

火山や地震は強敵である。強敵を見て恐れずとは戰爭だけに必要な格言でもあるまい。昔の人はこれらの自然現象を可なり恐れたものである。火山の噴火鳴動を神業と考へたのは日本ばかりではないが、特に日本においてはそれが可なり徹底してゐる。まづ第一に、噴火口を神の住み給へる靈場と心得たことである。例へば阿蘇山の活動の中心たる中岳は南北に長い噴火口を有し、通常熱湯を湛へてゐるが、これが數箇に區分せられてゐるので北の池を阿蘇の開祖と稱へられてゐる建磐龍命の靈場とし、中の池、南の池を、それ/″\奧方の阿蘇津妃命、長子たる速瓶玉命の靈場と考へられてあつた。丁度イタリーの南方リパリ群島中の一火山島たるヴルカーノ島をローマの鍛冶の神たるヴルカーノの工場と考へたのと同樣である。更に日本では、火山の主が靈場を俗界に穢されることを厭はせ給ふがため、其處を潔める目的を以て時々爆發を起し、或は鳴動によつて神怒のほどを知らしめ給ふとしたものである。それ故にこれ等の異變がある度に、奉幣使を遣して祭祀を行ひ、或は神田を寄進し、或は位階勳等を進めて神慮を宥め奉るのが、朝廷の慣例であつた。例へば阿蘇の建磐龍命は正二位勳五等にのぼり、阿蘇津妃命は正四位下に進められたが如きである。

天台宗の寺院は、高地に多く設けてあるが、火山もまた彼等の選に漏れなかつた。隨つて珍しい火山現象の、これ等の僧侶によつて觀察せられた例も少くない。阿蘇の靈地からは火の玉が三つ飛び出たともいひ、また性空上人は霧島の頂上に參籠して神體を見屆けたといふ。それによれば周圍三丈、長さ十餘丈、角は枯木の如く、眼は日月の如き大蛇なりきと。鳥海又は阿蘇の噴火に大蛇が屡現れるのも、迷信から起つた幻影に外ならないのである。ハワイ島の火山キラウエアからは女神ペレーの涙や毛髮が採集せられ、鳥海山は石の矢尻を噴出したといはれてゐる。神話にある八股の大蛇の如きも亦噴火に關係あるものかも知れぬ。

火山に關する迷信がこのように國民の腦裡を支配してゐる間、學問が全く進歩しなかつたのは當然である。昔の雷公が今日我々の忠實な使役をなすのに、火山の神のみ頑固におはすべきはずがない。火山地方の地下熱の利用などもあることだから、使ひ樣によつては人生に利益を與へる時代もやがて到着するであらう。

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