Chapter 1 of 4

1

その子は、ぼくを嫌っています。いや、たしかに憎んでいるのです。

今子供と言いましたが、もう子供じゃないのかも知れない。戦後子供の背丈がにょきにょきと向上して、どこで大人と子供の区別をつけるのか、どうも判らなくなって来たようです。言うことは子供っぽくても、身長が百八十センチもあったり、あるいは逆に、恰好は子供子供としているのに、言うことだけはぺらぺらと悪達者だったり、けじめのつかない場合がしばしばある。ぼくはもう三十七歳になって、彼等の世界と相渉ることがないので、どうでもいいようなもんですが、やはりけじめのつかないということは、良いことじゃありません。

先年先輩のお伴をして、九州へスケッチ旅行に行きました。いろいろ見たり聞いたり描いたりして来ましたが、驚いたのは向うの食用植物の大ぶりなことですな。ビールの肴にするから、モロキュウを呉れと頼んだら、一尺近いキュウリがでんと皿の上に乗って出て来る。びっくりして、も少し細いのを、と頼むと、

「こっちの方がおいしかとです。花のついて痩せたのは、栄養はなか!」

ナスもそうです。東京で煮物に使う長いナスが、姿を変え形を改めては、皿の上に現われる。ふしぎに思ってわけを聞いてみると、向うでナスビと言えばこれで、丸っこいのは特別に巾着ナスと言うのだそうです。関東では丸っこいのが普通で、長いのを長ナスと呼ぶでしょう。つまりその反対ですな。考えの基本が違う。

近頃の子供(または半大人)は、この九州のキュウリやナスに似ているような気がします。こちらの食慾や理解を頑強に拒否するようなものを、たしかに持っている。何に由来するのか、ぼくはよく判らない。特に判りたいとも思わない。

その子の名前は、平和と言うのです。平和と言うからには、終戦後に生れたのに違いありません。何が何でも勝ち抜くぞの時代に、自分の子供に平和なんて名がつけられる筈はないですからねえ。

平和君の声は、ぼくは前から聞いていました。私の斜めうしろの家に、亀田さんという家があります。そこへ二日に一度、三日に一度ぐらい、少年の声が遊びにやって来る。

「亀田クーン」

「亀田クーン」

亀田家に到る小路の、ドブすれすれにぼくの画室は建っている。けれどその路に面したところは、一面の板壁になっていて、明り取りが上の方に小さくついているだけで、ぼくの方からは全然見えない。ただ声を聞いているだけで、どんな顔の、どんな身なりの少年かは、ぼくは見たことがありません。でも、少年が友達を呼ぶ声は、その抑揚や発声法には、一種の感じがありますねえ。

「亀田クーン」

のクーンにアクセントをつける。春の日の昼下りに、竿や竿竹、の呼び声を聞く時や、夜更けに耳に届いて来るチャルメラの響き、そんなのと趣きは違うけれど、何か郷愁を伴ったような、妙な哀感がある。

その少年の声が、この間からすこしずつ変って来ました。もちろん呼び方や抑揚は同じですが、声の質が変化したわけです。以前は澄んでよく徹る声だったのに、妙に濁って乾いて来たのです。

「ははあ。奴さん。風邪を引いたんだな。早く薬でものんだらいいのに」

画業を続けながら、あるいは即席ベッドに寝ころびながら、ぼくはそんなことを考えていました。

「ひどくなると大変だぞ。学校じゃワクチンなんかやって呉れないのか」

ところがそれは、風邪じゃなかったんですな。声変りだったのです。風邪声にしちゃ、少々野太いと思った。風邪ならやがて直るのに、この濁りはなかなか取れないだけでなく、そのまま定着して行く傾向がある。

「とうとう変声期が来たのか」

そう気が付いた時、いくらかの衝動と感慨がありました。衝動とは、向うが変声期にまで成長したことは、ぼくがそれだけ馬齢を重ねたということでしょうか。でも、このような人間関係は、ぼくは好きです。板壁の向うの人生で、顔も姿も知らぬ少年が、それまでに成長した。友達を呼ぶ声だけで、ぼくがひそかにそれを知っている。向うから犯されることなく、こちらからも邪魔することなく、一方交通的に、そこはかとなくつながっている。そんな人間関係を、人間同士の乾いたつながりを、ぼくは嘉しとするんですがねえ。たとえば水族館に行くとします。ガラスの向うには魚たちがそれぞれの姿体で、泳ぎたいやつは泳ぎ、じっとしていたいやつはじっとしている。見物は見物でガラスのこちらから、それをぼんやり眺めている。――そんな関係が、ぼくは割に好きなのです。だからぼくは日頃から、自分に言い聞かせている。自分から動くな。働きかけるな。身を乗り出すな。これが三十何年かかってぼくが身につけた、趣味と言いますか、処世法と言うか、まあそう言ったものですな。しかし現実には、そうそううまくは行きませんね。絹の布で坊主頭を撫で廻すようなもので、どこかが引っかかったり、けばだったり、ささくれだったりしてしまう。ままならぬものです。

こういうしゃべり方では、話がいっこう緒につかないようですね。語り口を変えましょう。あなたは、

「ちッ、けッ、たッ!」

という言葉を知っていますか? いや、ちッ、けッ、たッ、の件は後廻しにしましょう。

御存じのように、ぼくの画室は、ある家の離れを改造したもので、ぼくはここにもう五年近く住みついています。家主はぼくの遠縁に当る老婦人で、割合わがままがきき、また気楽なものですから、つい根を生やしてしまったような次第です。

離れの独り住居ですから、世帯を張っているのではなく、と言って居候というわけでもない。中ぶらりんな身の上で、それがかえってぼくにはラクなのです。町内との交渉も限られていて、たとえば銭湯、タバコ屋、惣菜屋、八百屋や酒屋、その他ぼくの生活の幅だけのつき合いで、あとは無視してもよろしい。無視すると言っても、強いて眼をつむるのではなく、ぼくも生身の人間なので、見える部分はやはり見る。かき分けてまで見ようと思わないだけです。つまり水族館のガラス越しみたいなものですな。

しかし世間では、ぼくのような生き方を、どうもまともなものとして受取って呉れないようです。かげでは変人呼ばわりをしている向きもあるらしい。ぼく自身は、ぼくが一番まっとうだと思っているんですがねえ。それが陽の形や陰の形であらわれて来ます。陽の場合は、

「独りでは不自由でしょうねえ」

とか、あるいはもっと、

「自炊もたいへんでしょうから」

と、菜っ葉や肉を押しつけがましくおまけして呉れたりする。ぼくは別段おまけは欲しくはないが、呉れるものを拒否するほどの気持もない。にこにこしながら、受取ってしまう。おそらくぼくは彼等にとって、水族館の魚じゃなく、魚籠の中の魚みたいに見えるのじゃないでしょうか。眺めるだけにあき足りず、つついて見たり、ちょっと鰓をあけて見たり、どうもそんな風なのです。先ずはオセッカイと言うべきでしょう。受けている当人がそう思うのですから、これは間違いはありません。好意か親切か余計なオセッカイか、それは発する者が決めるんじゃなく、受取る方で決めるものだからです。

「そろそろ身を固めたらどうなの。あんた」

ぼくはわらうだけで、原則として返事をしない。返事する必要がないし、すれば事がけばだつだけのことですから。――その返事をしないことだけでも、ぼくは変人ということになっているらしい。変人というよりは、もっとひどいことが、陰の形で流布されている気配もある。面と向ってはっきりと言う人はあまりないようですが。

「あんな棺桶みたいな家に、ひとりでガマガエルみたいに住んでいるから、病気になるんだよ」

ぼくの画室は離れの古家を改造して、天井を高くした関係で、ちょいと見には四角な形をしています。しかし棺桶みたいに細長くはない。

「わしが魚釣りに行く時、誘ってやるから、いっしょに来なさい。君はもっと日光に当る必要がある。鬱屈しちゃいかん。なに、釣竿は用意しないでもいい。うちにあるのを貸して上げる」

そう言って呉れるのは、町内に住む赤木医師です。赤木さんはもう六十を越えた、でっぷり肥った医者で、何でもアメリカに渡って苦学力行して、医術を勉強したんだそうです。当人の言ですが、町内の一部にはちょっと眉つばだという噂もある。出身は北国の寒村で、ぼくの画室を棺桶みたいだというのは、あながちこじつけではなく、子供の時に見た座棺を連想するのかも知れません。この老医が何故ぼくを病気だと思うのか、そう決めてしまっているのか、よく判りません。彼には彼なりの根拠があるのでしょう。

赤木医師は風貌に似ず狷介な性格で、気に入らないとがみがみ叱ったり、診察を拒否したりするものですから、町内の評判はあまり良くないようです。だから患者の数もごくすくないのですが、老医は、

「なんだ。町内の連中におれの腕が判るものか」

と歯牙にもかけない。すくなくともかけていないポーズを取っています。それに齢が齢なので、ごしごし働く気もないし、息子もそれぞれ独立して大病院に勤めていて、後顧の憂いは一応ないからでしょう。一日三人か五人の患者を見たら、それで店じまいです。もっとも老医はここらでは草分けの医院で、古い門構えになっていて、ちょっと入りにくい趣きがあるのです。門柱は傾いていても、形はいかめしいし、それをくぐって植込みを縫い、暗い玄関の式台を上るのは、ここらの人にはやはり抵抗を感じるのではないでしょうか。で、町内の連中はここを敬遠して、近頃出来の瀟洒な診療所風の医院におもむき、乾いたスリッパをつっかけて、日射しの明るい待合室でテレビなどを見ながら、辛抱強く順番を待っている。

そこで老先生は暇なので、魚釣りに行ったり、太いステッキを突いて散歩したり、そのついでにぼくの画室に立寄ったりするのです。退屈しのぎなのか、何かぼくに関心があるのか。

ぼくが赤木医院の門を初めてくぐったのは、二年ほど前のことです。ある日、ふと大根おろしが食べたくなって、八百屋から大根を買って来て、シラス干しをたっぷりふりかけ、勢い込んで食べようとしたら、箸が妙な具合にピョンとはねて、シラス干しが一匹大根おろしをお伴につれて、いきなりぼくの眼の中に飛び込んだのです。びっくりしましたねえ。びっくりと言うより、眼玉がキリキリと塩辛く、ぼくは思わず飛び上った。

急いで眼を洗ったけれど、まだ塩辛さが残っていて、それにごろごろと異物感がする。医者に見せた方がいいと判断して、早速赤木医院にかけ込んだわけです。赤木医師は眼科じゃないが、そんなことを考えている余裕はない。他の医院じゃ、待たせられますからねえ。シラス干しが眼の中で泳いでいるなんて、一見風流なようですが、当人としてはメクラになるかも知れないぞと、気が気じゃない。運よく赤木医師は在宅していました。瞼をひっくり返したり、懐中電燈で照らしたりして探したが、シラス干しはいないとのことでした。

「大丈夫だよ。人間の眼なんて、そんなにかんたんに失明するもんじゃない」

眼薬をさして貰って帰ろうとすると、老医はぼくを呼びとめて、ついでにタダで健康診断をしてやると言う。老先生もよほど退屈していたんでしょうな。平素のぼくなら、この種のオセッカイはお断り申し上げるのですが、その時はつい応じる気になった。タダということの魅力も若干はあったようです。診察の結果、血圧は異常なし、肝臓が少々肥大しているとのことで、

「あまり酒タバコは過さない方がいいよ」

その日はそれで帰り、半月ほど経って画室でひとり酒を飲んでいたら、妙に顔が熱っぽくなり、へんだなと思っていたら、心臓がゴトンゴトンと早鐘のように打ち始めました。母屋の人に頼んで、赤木医院に電話をかけ、その間ぼくはベッドに横になって、はあはあとあえいでいました。やがて赤木医師は大きな鞄を提げてあらわれました。

「大丈夫だ。心悸亢進で死んだ例は一つもない」

かんたんな診察の後、そう言って、何か注射をして呉れました。亢進がおさまるまで、老先生は画室の中を歩き廻ったり、描きかけの画を眺めたり、そして不審そうな声で言いました。

「君、これ、画かね? わしにはどうも画とは思えんが」

Chapter 1 of 4