Chapter 1 of 72

1 奇怪な噂

もはや「火星兵団」の噂をお聞きになったであろうか!

ふむ、けさ地下鉄電車の中で、乗客が話をしているのを、横からちょっと小耳にはさんだとおっしゃるのか。

――いや全く、こいつは冗談じゃないですぞ。これはなにも、わしたち科学者が、おもしろ半分におどかしたがって言うのではないのですわい。今われわれ地球人類は、本気になって、そうして大いそぎで戦闘準備をしなくちゃならんのだ。しかるに、わしのいうことを小ばかにして、だれも信じようとはしない。これでは、やがてたいへんなことになる。わしは今から予言をする! 地球人類は、一人残らず死んでしまうだろう。第一「火星兵団」という名前を考えても、その恐るべき相手が、どういうことをしでかすつもりだか、たいがい想像がつくはずじゃと思うが――。

と、そういう話を、地下鉄電車の中で聞いたと、おっしゃるのか。

ふむ、なるほど。

そのことばづかいから察すると、そう言って自分一人で赤くなって興奮していた人というのは、からだの小柄の、頭の髪の毛も、顎のさきにのばした学者鬚も、みんな真白な老紳士だったであろう。

それに、ちがいないと言われるか。

ふむ、そうであろう。やっぱり、そうであった。その老紳士こそは有名な天文学者で、さきごろまで某大学の名誉教授だった蟻田博士なんだ。

さきごろまで名誉教授であったと言ったが、つまり蟻田老博士は、今では名誉教授ではないのだ。博士は、さきごろ名誉教授をやめたいと願い出て、ゆるされたのだ。

そういうことにはなっているが、その実蟻田老博士は、奇怪にも大学当局から、辞表を出すように命令され、むりやりに名誉教授の肩書をうばわれてしまったのだ。そんなことになったわけは、ほら例の「火星兵団」にある!

あのように「火星兵団」のことを、世間に言いふらさねば、大学当局は、なにもあの老齢の蟻田博士から、名誉教授の肩書をうばうようなことは、しなかったであろう。

まあそれほど、大学当局では、老博士が言いふらしている「火星兵団」が、ありもしないでたらめであるとして、眉をひそめていたのである。

「火星兵団」に関する老博士の第一声は、今から一カ月ほど前、事もあろうに、放送局のマイクロホンから、日本全国に放送されたのであった。その夜の放送局内の騒ぎについては、すぐ記事さしとめの命令がその筋から発せられたので、世間には洩れなかったが、実は局内ではたいへんな騒ぎで、局長以下、みんな真青になってしまい、その下にいる局員たちは、仕事もなにも、手につかなくなってしまったほどだった。

その夜の蟻田博士の講演放送というのは、なにも「火星兵団」のことが題目になっていたわけではない。そんなものとはまるで関係のない「わが少年時代の思出」という立志伝の放送だった。

ところが、その途中で、老博士は急に話をそらせ、講演の原稿にも書いてないところの「火星兵団」について、ぺらぺらしゃべりだしたのであった。

つまり、こんな風であった。

――ええー、ところでわしは、最近重大な発見をした。それはわれわれ地球人類にとって、実に由々しき問題なのである。事のおこりは一昨日の午前四時、わしはまだ明けやらぬ夜空に愛用の天体望遠鏡をむけ、きらきらときらめく星の光をあつめていたが、その時驚くべし、遂に「火星兵団」という意味の光をつかまえたのである。おお「火星兵団」! このことばは短いが、この短いことばの中には、いよいよわれわれ地球人類に対し、あの謎の火星の生物が、今夜のうちにも――。

その時放送は、とつぜん聞えなくなった。

「火星兵団」について、一生けんめいしゃべっていた蟻田博士の放送が、なぜその時、ぷつんと聞えなくなったのであろうか。

それは、放送局が停電したわけでもなく、また機械が故障になったわけでもない。放送の監督をしている逓信局が、博士の放送がおだやかでないのに驚いて、がちゃんとスイッチを切ったのである。逓信局では、いつでもこうして、おだやかでない放送はすぐさま止める。

放送室の蟻田博士は、マイクのスイッチが切られたこととは知らない。だから、日本全国の人々が自分の話を聞いているものと思い、気の毒にも、額からはぽたぽた汗をたらして、一生けんめいに、その後をしゃべり続けたのであった。

博士が、その後、どんなことをしゃべったか、それは放送が止ってしまったのであるから、外に洩れなかった。だから、ここにはなんにも書くまい。

博士が、放送を終えて室を出ると、そこには、その筋の掛官が待っていた。おだやかでない博士の放送を聞いて、すぐさま自動車で駈附けたらしい。

博士は、その場からその筋へ伴なわれていった。そうして大江山課長という掛官で一ばんえらい人から、「しゃべってはならない」と命令された。

「なぜしゃべっては悪いのですかな。わしは苦心の末『火星兵団』という意味の光を空中に発見した。そうして、それはまさに人類にとって一大事だ。それをしゃべって悪いと言われる貴官の考えがわしにはわからん」

と、蟻田老博士は不満をうったえた。

「いや、その――『火星兵団』という意味の光を空中に発見した――というのが、困るのです。そんなばかばかしいことが、出来るとは思われない。火星を警戒しろというのはかまわないが、あなたが観測中に何を知ったか、その内容については、後で解除命令のあるまで、誰にもしゃべってはなりませんぞ」

大江山課長は、きつい顔で申し渡した。

ふしぎな謎の言葉「火星兵団」!

蟻田博士の放送によって「火星兵団」のことは、日本全国津々浦々にまでつたわった。そうして、その時ラジオを聞いていた人々を、驚かしたものである。

ここに一人、蟻田博士の放送に、誰よりも熱心に、そうして大きなおどろきをもって、耳を傾けていた少年があった。この少年は、友永千二といって、今年十三歳になる。彼は、千葉県のある大きな湖のそばに住んでいて、父親千蔵の手伝をしている。彼の父親の手伝というのは、この湖に舟を浮かべて、魚を取ることだった。しかしどっちかというと、彼は魚をとることよりも、機械をいじる方がすきだった。

「ねえ、お父さん。今ラジオで、蟻田博士がたいへんなことを放送したよ。『火星兵団』というものがあるんだって」

千二は、自分でこしらえた受信機の、前に坐っていたが、そう言って、夜業に網の手入をしている父親に呼びかけた。

「なんじゃ、カセイヘイダン? カセイヘイダンというと、それは何にきく薬かのう」

「薬? いやだねえ、お父さんは。カセイヘイダンって、薬の名前じゃないよ」

「なんじゃ、薬ではないのか。じゃあ、うんうんわかった。お前が一度は食べたいと言っていた、西洋菓子のことじゃな」

「ちがうよ、お父さん。火星と言うと、あの地球の仲間の星の火星さ。兵団と言うと、日中戦争の時によく言ったじゃないか、柳川兵団だとか、徳川兵団だとか言うあの兵団、つまり兵隊さんの集っている大きな部隊のことだよ」

「ああ、そうかそうか」

「お父さん、『火星兵団』の意味がわかった?」

「文字だけは、やっとわかったけれど、それはどういうものを指していうのか、意味はさっぱりわからぬ」

千蔵は大きく首を振るのだった。

「おい千二、その『火星兵団』という薬の名前みたいなものは、一体どんなものじゃ」

父親は網のほころびを繕う手を少しも休めないで、一人息子の千二の話相手になる。

「さあ『火星兵団』ってどんなものだか、僕にもわからないんだ」

「なんじゃ、おとうさんのことを叱りつけときながら、お前が知らないのかい。ふん、あきれかえった奴じゃ。はははは」

「だって、だって」

と、千二は口ごもりながら、

「『火星兵団』のことは、これから蟻田博士が研究して、どんなものだかきめるんだよ。だから、今は誰にもわかっていないんだ」

「おやおや、それじゃ一向に、どうもならんじゃないか」

「だけれど、蟻田博士は放送で、こんなことを言ったよ。『火星兵団』という言葉があるからには、こっちでも大いに警戒して、早く『地球兵団』ぐらいこしらえておかなければ、いざという時に間に合わないって」

「ふふん、まるで雲をつかむような話じゃ。寝言を聞いているといった方が、よいかも知れん。お前も、あんまりそのようなへんなものに、こっちゃならないぞ。きっと後悔するにきまっている。この前お前は、ロケットとかいうものを作りそこなって、大火傷をしたではないか。いいかね、間違っても、そのカセイなんとかいうものなんぞに、こっちゃならないぞ」

「ええ、大丈夫。ロケットと『火星兵団』とはいっしょに出来ないよ。『火星兵団』を作れといっても、作れるわけのものじゃないし、ねえおとうさん、心配しないでいいよ」

「そうかい。そんならいいが……」

と、父親も、やっと安心の色を見せた。

だが、世の中は一寸先は闇である。思いがけないどんなことが、一寸先に、時間の来るのを待っているかも知れない。千二も父親も、まさかその夜のうちに、もう一度「火星兵団」のことを、深刻に思い出さねばならぬような大珍事に会おうとは、気がつかない。

その夜ふけに、千二は釣の道具を手にして、ただひとり家を出かけた。湖には、たいへんおいしい鰻がいる。千二は、その鰻をとるために出かけたのだった。

出かけるときに、柱時計は、もう十二時をまわっていた。

外は、まっくらだった。星一つ見えない闇夜だった。

だが、風は全くない。鰻をとるのには、もってこいの天候だった。

千二は、小さい懐中電灯で、道をてらしながら、湖の方へあるいていった。

「なんという暗い晩だろう。鼻をつままれてもわからない闇夜というのは、今夜のことだ」

でも、湖に近づくと、どういうわけか、水面がぼんやりと白く光ってみえた。

「こんな暗い晩には、きっとうんと獲物があるぞ。『うわーっ、千二、こりゃえらく捕ってきたな』と、お父さんが、えびすさまのように、にこにこして桶の中をのぞきこむだろう。今夜はひとつ、うんとがんばってみよう」

千二は、幼いときに母親に死にわかれ、今は親一人子一人の間柄だった。だから、父親千蔵は、天にも地にもかけがえのないただひとりの親だった。千歳は、千二のためには父親であるとともに、母親の役目までつとめて、彼をこれまでに育てあげたのだ。なんというたいへんな苦労であったろうか。しかも父親千蔵は、そんなことを、すこしも誇るようなことがなかった。千二は少年ながら、そういういい父親を、できるだけ幸福にしてあげたいと思って、日頃からいろいろ考えているのだった。できるなら、ひとつ大発明家になって、父親をりっぱな邸に住まわせたい……

そんなことを考えながら歩いていた千二は、とつぜん、

「おや!」

といって、立止った。それはなにかわからないが、きいんというような、妙な物音を耳にしたのである。

きいん。

妙な物音だった。あまり大きな音ではなかったけれど、何だか耳の奥に、錐で穴をあけられるような不愉快な音だった。

「うーん、いやな音だ。一体何の音かしらん」

暗さは暗し、何の音だか、さっぱりわからない。その音のしている見当は、どうやら頭の上らしいが、またそうでもないような気もする。

その怪音は、やがて更にきいんと、高い音になっていったかと思うと、そのうちに、すうっと聞えなくなってしまった。

「あれっ、音がしなくなったぞ」

音はしなくなったが、千二は、前よりも何だか胸がわるくなった。腐った物を食べたあとの胸のわるさに、どこか似ていた。千二は、さっき家を出る時に食べた、夜食のかまぼこが悪かったのではないかと思ったほどである。

しかし、これは決して食あたりのせいではなかった。いずれ後になってはっきりわかるが、千二が胸が悪くなったのも、もっともであり、そうしてそれは食あたりではなく、原因は外にあったのである。

千二は、ついにたまらなくなって、道のうえに膝をついた。

とたん、さあっと音がして、雨が降出した。この時冷たい雨が千二の頬にかからなければ、彼はその場に長くなって、倒れてしまったかも知れない。だが、幸運にも、この冷たい雨が、千二をはっと我にかえらせた。

「うん、これはしっかりしなければだめだ」

雨のおかげで地面が白く見え、彼のすぐ近くに、大きな鉄管が転がっているのが眼についた。彼は雨にぬれないようにと思って、元気を出してその中へはいこんだ。

その時であった。ずしんと、はげしい地響きがしたのは!

ずしん!

たいへんな地響きだった。

千二のはいこんでいた大きな鉄管が、まるでゴム毬のように飛びあがったような気がしたくらいの、はげしい地響きだった。

はじめは、地震だとばかり思っていた。

が、つづいて何度もずしんずしんと地響きがつづくので、地震ではないことがわかった。

千二は、そのころ、もう立上る元気もなくて、鉄管の中で死んだようになって横たわっていた。

その時、彼は、何だか話声を聞いたように思った。どこでしゃべっているのか知らないが、さまで遠くではない。

話声のようでもあり、また数匹の獣が低くうなりあっているようでもあった。

ひゅう、ひゅう、ひゅう。

ぷくぷく、ぷくぷく。

そんな風にも、千二の耳に聞えた。そんな風に聞えるのは、彼の気分が悪いせいだとばかり思っていた。

そのうちに、その話声は急に声高になった。

「何を言っているのだろうか。あれは誰だろうか」

この時千二の頭は、かなりぼんやりしていたが、あまりに気味のわるい叫び声であるから、鉄管の中でじっとしているわけにもいかず、鉄管から首をだして、声のする方を眺めたのであった。

その時の彼の驚きといったら、言葉にも文字にも綴れない。

千二のいるところから、ものの二十メートルとは離れていないところに、大きな岩があった。それは湖の中へつきだしている、俗に天狗岩という岩にちがいない。その岩の上に、とても大きな爆弾のようなものが、斜に突刺さっているのだった。その爆弾様のものは、表面からネオン灯のようなうす桃色の光を放っていたので、その輪郭は、はっきり見えた。

それは一体何ものであろうか。

Chapter 1 of 72