Chapter 1 of 2

老人形師

小説家大江蘭堂は、人形師の仕事部屋のことを書く必要に迫られた。ブリタニカや、アメリカナや、大百科辞典をひいて見たが、そういう具体的なことはわからなかった。

蘭堂は、いつも服をつくらせている銀座の洋服屋に電話をかけた。そして、表の店に飾ってあるマネキン人形は、どこから仕入れているのかと訊ねた。

マネキン問屋の電話番号がわかったので、そこへ電話した。こちらは小説家の大江蘭堂だが、人形師の仕事部屋が見たい。なるべく奇怪な仕事部屋がいい。一つ変り者の人形師を教えてくれないかと云うと、先方は電話口で、エヘヘヘヘヘと気味わるく笑った。

「あなたさまは、あの恐ろしい怪奇小説をお書きになる大江蘭堂先生でございますか。エヘヘヘヘヘ、それでしたら、ちょうどおあつらえむきの老人の人形師がございますよ。名人ですがね、そのアトリエには、だれもはいったものがございません。秘密にしているのです。しかしね、先生、先生でしたら見せてくれますよ。伴天連爺さんは、いえね、これがその人形師のあだ名でございますが、その伴天連爺さんは、あなたさまが好きなのです。あなたさまの小説の大の愛読者なのでございます。いつも、いちど先生にお目にかかって、お話がうかがいたいと申しております。先生のことなら、きっと喜んで、秘密のアトリエを見せてくれますよ」

ひどくお愛想のいい店員であった。伴天連爺さんのアトリエは世田谷の経堂にあるのだという。ぜひ、その爺さんに紹介してくれとたのむと、電話で、先方の都合を聞いて見ますから、しばらくお待ち下さいといって、いちど電話を切ったが、間もなく返事が来た。

「先生、先方はよろこんでおります。今晩七時ごろに手がすくから、その頃おたずねくだされば、お待ちすると云っております。先生にくれぐれもよろしくと申しました」

そこで、大江蘭堂は、その晩、経堂の伴天連爺さんを訪問することにした。

経堂の駅で電車をおりて、教えられた道を十丁ほど行くと、街角に大きな石地蔵が立っていた。その向うは森になっていて、森のわきを歩いて行くと、生垣や塀ばかりの屋敷町で、ところどころに草の生えた空地があった。ボンヤリした街燈をたよりに、やっと目的の家にたどりついた。ガラスの割れた門燈が「日暮紋三」という表札を照らしていた。これが伴天連爺さんの本名なのである。

とびらもない門をはいって行くと、草の中に古い木造の洋館が建っていた。

こちらの足音を聞きつけたのであろう。玄関のドアがひらいて、赤い光の中に小柄な老人のシルエットが浮き出した。赤い光はチロチロ動いていた。老人は燭台を自分のからだのうしろに持って、こちらをじっと見ているらしかった。

「大江蘭堂先生でしょうな? どうぞ、おはいり下さい。お待ちしておりました」

何かの鳥がさえずっているような、妙に若々しい声であった。

「わたしがバテレンじじいです。よくおいで下さった。さア、こちらへおはいりください」

手をとらんばかりにして、廊下のドアをひらき、書斎らしい洋間に請じ入れた。

部屋にも電燈はなかった。爺さんはあたりの様子を見せるように、太い蝋燭の燭台をふりてらしてから、それを机の上に置いた。

書棚にえたいの知れぬ古本がならんでいた。壁には、レオナルド・ダ・ヴィンチの人体解剖図の大きな複製がベタベタ貼りつけてあった。村役場にあるような粗末な木机と木の椅子、蘭堂はその一つにかけさせられ、爺さんも向かいあって腰かけた。

これはすばらしい。これはもう、そのまま怪談の材料になる。蘭堂はホクホクしていた。爺さんも蘭堂に会えたのが、ひどく嬉しいらしく、

「よく来て下さった。なんでもお見せします。なんでもお話しします。じゃが、その前に一ぱい如何ですな。上等のコニャックがあります」

そういって、本棚の古本のあいだに入れてあった、変な形の酒瓶とグラスを二つ持って来て、酒をついだ。蘭堂がグラスを取って、嗅いで見ると、なるほどすばらしいコニャックだ。チビリとやって、爺さんの顔を見ていると、爺さんもチビリとやって、ニヤニヤと笑った。

「人形師の秘密がお知りになりたいのですな、小説にお書きになる?」

だんだん蝋燭の光が目に慣れて来た。爺さんは、六十五六歳に見えた。黒いダブダブの洋服を着て、痩せて、顔におそろしく皺があった。目は澄んでいた。茶色の瞳だった。顔にも老年のシミが目立っていた。

「マネキン人形は鋸屑と紙を型にはめて、そとがわにビニールを塗るのですか」

「そういうのもあります。いろいろありますよ。しかし、わたしは、ショーウィンドウのマネキンなんか造りません。そんなものは、弟子たちにやらせます。わたしは本職の人形師です。子供の時分に、安本亀八に弟子入りしたこともある。日本式の生人形ですよ。桐の木に彫るのです。上から胡粉を塗ってみがくのです。これは今でもやりますがね。しかし、なんといっても蝋人形ですね。ロンドンのチュソー夫人の蝋人形館のあれです。わたしは今から二十年ほど前に、ロンドンへ行って、あの人形を見て来ました。日本の生人形も名人が造ったやつは生きてますが、チュソー夫人の蝋人形と来たら、まるで人間ですね。生きているのですよ。死体人形なら、ほんとうに死んでいるのですよ。大江先生はロンドンへおいでになったことは……?」

「ありません。しかし、チュソー夫人のことは本を読んで知ってますよ。僕もあの蝋人形は好きですね。皮膚がすき通って、血が通っているようでしょう」

「そうです、そうです。血が通っています。死体人形なら、脈がとまったようです」

「で、あなたは、蝋人形を造っておられるのですか」

「そうです。今は蝋人形がおもです。医学校や博物館の生理模型ですよ。病気の模型が多いのです。だが、それはただ金儲けのためです。美術とは云えません。わたしは模型人形で暮らしを立てて、一方で美術人形の研究をしているのですよ。大江先生はむろんご承知でしょうが、ホフマンの『砂男』に出て来る美しい娘人形、オリンピア嬢でしたかね。あれがわたしの念願ですよ。おわかりでしょう。世の中の青年たちが真剣に恋をするような人形ですね」

伴天連爺さんは、なかなか物知りであった。ホフマンのナタニエル青年は、生きた娘よりも、人形のオリンピアに命がけの恋をしたのである。

「それでは、ジェローム・ケイ・ジェロームの『ダンス人形』をお読みになったことがありますか」

蘭堂はつい誘いこまれて、西洋小説の話をはじめた。すると爺さんはニコニコして、

「読みましたとも、あれはわたしの一ばん好きな小説の一つですよ。娘たちのダンスの相手として、いつまで踊っても疲れない鉄の男人形を造ってやる人形師の名人の話でしょう。わたしはああいう名人になりたくて、修業したのですよ。あの鉄の人形も、生きて動き出したのですね。一人の娘を抱いたまま、無限に踊りつづけたのですね。実にいい話だ。ああいう小説を読むと、人形師の生き甲斐を感じますよ」

ジェロームの「ダンス人形」は訳が出ていないはずだから、この老人形師は外国語も読めるのであろう。あらためて書棚の古本を眺めると、英語でもフランス語でもドイツ語でもない背文字があった。蘭堂はなんだか気味がわるくなって来た。目の前の皺だらけの小さな老人が、奥底の知れない人物に感じられて来た。

「蝋人形はどうして造るのですか。やはり型にはめるのですか」

「粘土で原型を造ることもありますが、直接実物からとる場合もあるのです」

「実物からとは?」

「食堂のショーウィンドウに並んでいる蝋製の料理見本をごらんになったことがあるでしょう。あれは実物に石膏をぶっかけて、女型をつくることが多いのですよ。そこへ蝋を流しこんで固め、彩色するのです。人間でも同じことです。ただ石膏がたくさんいるだけですよ」

「じゃあ、人間の肌に石膏をぬるのですね」

「そうです。ごらんなさい。ここに見本がありますよ。ホラ、これがわたしの手です。実物と見くらべてごらんなさい」

やっぱり本棚の古本のあいだから、ひらいた人間の手を取り出して、机の上においた。手首のところから切りとった手の平である。老人形師は、自分の手をひらいて、それとならべて机の上にさし出した。小さな皺の一つ一つ、しなびた老人の手の色合が、そのまま出ている。どちらが本物かわからないほどであった。

「これは、わたしの手に石膏をぬって、女型をとったのです。全身をとるのも、りくつは同じですよ」

「では、ほんとうの人間からとった全身人形も造ったことがあるのですね」

「ありますとも、画家がモデルを使うように、人形師もモデルを使うのです。モデルはドロドロの石膏にうずまるのですから、あまり気持がよくありませんがね。顔をとるときは、鼻の穴にゴム管を通して、息ができるようにしておくのです。たいていの娘はいやがりますが、なかには、石膏にとじこめられ、抱きしめられるような気持が好きだといって、進んでモデルになる娘もいますよ」

伴天連爺さんは、歯の抜けた口をあけて、ニヤニヤと笑った。

「そのアトリエを見せていただきたいものですね」

「むろん、お見せしますよ。では、これをすっかり飲んでから、アトリエへ行きましょう、今晩はうすら寒いですから、からだをあたためてからね」

老人はそういって、グラスを取りあげ、グッとのみほした。蘭堂もそれにならった。強い酒が腹にしみわたって、からだがほてってくるようであった。

老人は机の上の燭台を持って、先に立った。そのとき、蝋燭の光の加減で、机の上にほうり出してある蝋製の手首が少し動いたように見えた。それから、まっ暗な廊下を三間ほど行ったところで、老人は何かカチカチ云わせている。ポケットから取り出した鍵でドアをあけようとしているのだ。

「このあいだ電燈会社と喧嘩をしてしまいましてね、電燈がつかないのです。少々暗いが、我慢して下さい。もっとも、わたしは夜は仕事をしませんから、電燈がなくても、べつに差支えありませんがね」

弁解をしているうちに、ドアがひらくと、彼は燭台をヌッとこちらへさし出して、しばらく、じっと蘭堂の顔を見つめていた。

「びっくりしてはいけませんよ。なにしろ蝋人形というやつは、ちょっと気味のわるいものですからね」

警告するように云って、部屋の中へはいって行った。蘭堂は年甲斐もなく、少し怖くなって来たが、それがまた、たまらない魅力でもあった。彼はオズオズと老人のあとにつづいた。

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