Chapter 1 of 6
一
我国維新以後の教育の進歩は実に目覚ましいもので、其中でも初等教育は他の程度の教育に比して、遙に優つて居るとは教育雑誌上で度々承り及ぶ所であるが、之は誠に悦ばしい次第である。然るに我らから見ると、今日の初等教育には一つ極めて大切なことを全く忘れて居るのではないかと思はれる点がある故、此所に聊か、其の大要を述べて見やう。
現今の小学校で授ける課目は何れも教師が教へ聞かすことを其まゝに児童が信ずる仕組に成つて居る。修身のことは暫く措き、読本でも、地理でも、歴史でも、又は理科でも、書物に書いてあること、先生の話して聞かせることを其まま児童に信ぜしめる様な教授法を用ひて居る如くに見受ける。掛図、標本、器械などを教室に持ち出すことは有つても、之は、たゞ言葉で説明し足らざる所を補ふため、或は教へ聞かす事柄を実物で示すためであつて、詰まる所、児童をして聞いたことを信ぜしめるための方便物たるに過ぎぬ。また問答法によつて生徒に発言せしめることは有つても、実際は生徒の口を借りて教師の予期して居る答を云はせるのであるから、一種の八百長とも見做すべきもので、時間を費す割合には児童をして頭脳を自発的に活動せしめることが甚だ少ない。要するに今日の初等教育に於ては、生徒は聞かされて信ずるか若しくは聞かされ見せられて信ずるか、何れにしてもたゞ信ずる様にのみ養成せられて、疑うて掛かる心の働きを練るべき機会が少しも与へられてない。我らが、特に不足に感ずるのは、此の点である。