Chapter 1 of 3

田園の破産

学生の時分、暑中休暇に田舎へ帰って、百姓に接したときは、全くそこに都会から独立した生活があったように感じられたものです。

彼らの信じている迷信というものも、その人たちにとっては、不調和ということがなく、却って、そこに営まれつつある生活が、都会における物質的な文明から独立して、何ものか深い暗示と一種の慰藉を人生に与えるもののごとく感じられたのでした。

それは原始的にも神を怖れ、信じ、また忍従するものであって、やがてその精神は、相互扶助の道徳を生み、生長のいかんによっては、自治体をすら造らるべきものであったに相違なかったのです。

殊に今日田舎へ帰って見た時に、いっそう、当時が追懐されてなつかしさを覚えられたほど、いまは全く様子が変わってしまったのでした。それは、都会からずっと離れている処ならばいざ知らず、日に幾回となく汽車が通過して、そのたびに都会から流行品や、新聞、雑誌のようなものは勿論、また人間が降りたり乗ったりするのでは、常識的に考えても、田舎がいつまでも田舎の面目を保たれるということがない。

一国の景気、不景気は、中心の大都会も、田舎の小都市もほとんど同時に波動することからして、思想的にも経済的に、諸般の現象がいつまでも異なっている筈がなければ、またその対策の如きも同じからざるわけがなかったからです。

村から学校へ通う女学生の風俗すら、その時分と比較してみれば変わりようも甚だしければ、また弁当箱を下げて、近接した町の小会社や、工場へ通勤する青年の数も多くなったのに驚かされます。

これを見る時に、やがては田園は破産して工業化してしまうであろうと思うことは仮に早計であったとしても、資本主義化されつつあるのを感じないわけにはいかないのです。

真理の進行というものが、一定の段階を踏んで行くものであり、飛躍することもないかわりに、また何人の力をもってしても、その行進を停めることができないとしたら、またそのことが、すでに真理であるなら、今日の農村が、ふたたび原始的の状態に帰るものではないといわれたことがうなずかれる。

古い夢の減じつつある農村には、いまや新しい希望が生まれなければならぬ時に際会しています。その新しい希望は決して、無智と無自覚が幸福であった、その時代の生活ではない。いかに人類が共通せる悩みと苦痛から脱れうるかという問題にほかならないでありましょう。

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