Chapter 1 of 1

Chapter 1

町からはなれて、街道の片ほとりに一軒の鍛冶屋がありました。朝は早くから、夜はおそくまで、主人は、仕事場にすわってはたらいていました。前を通る顔なじみの村人は、声をかけていったものです。

長かった夏も去って、いつしか秋になりました。林の木々は色づいて、日の光は、だんだん弱くなりました。そして枯れかかった葉が思い出したように、ほろほろと、こずえから落ちて、空に舞ったのであります。

もうこのころになると、この地方では、いつあらしとなり、あられが降ってくるかしれません。百姓は、せっせと畠に出て、穫りいれを急いでいました。鍛冶屋の主人は、仕事の間には、手をやすめて、あちらの畠や、こちらの畠の方をながめたのです。そして、天気がよく、ほこほことして、あたたかそうに、秋の日が平和に、林の上や、とび色に香った地の上を照らしているときは、なんとなく、自分の気までひきたって、のびのびとしましたが、いつになく曇って、うす寒い風が吹くと、これからやってくる冬のことなど考えられて、ものうかったのです。

ある日の晩方から、急にあらしがつのりはじめました。落ち葉は、ちょうど、ふいごを鳴らすと飛ぶ火の子のように、空を駆けて、ばらばらと雨まじりの風とともに、空へ吹きつけたのでした。

「いよいよ、このようすだと、二、三日うちには雪になりそうだ。」と、主人は、独り言をしました。

女房は、勝手もとで、用をしていましたが、彼は暗い奥の方をわざわざ向いて、

「晩には、雪が降るかもしれないから、みんな外に出ているものは、取りいれろや。」と、大きな声でいって、注意をしたのでした。

彼は、やがて、女房と二人で、そこそこに夕飯をすましました。ふたたび、仕事場にもどって、鉄槌で、コツコツと赤く焼けた鉄を金床の上でたたいていました。戸の外では、あらしがすさんでいます。彼は、思わず、その手をやめて、あらしの音に聞きとれたのでした。

このとき、戸の外で、だれか呼びかける声がしました。

だれだろう? この暗い、あらしの晩に、しかも、いまごろになって声をかけるのは……と、主人は考えました。きっと、村の人が、なにか用事があっておそくなり、そして、いま帰るのだろう……と、こう思って、彼は、立って雨戸を細めにあけて、のぞいたのです。

戸のすきまから、ランプの光が暗い外へ流れ出ました。そこには、まったく見知らない男が立っていた。主人は、目をみはりました。すると、その男は、

「私は、旅のものですが、知らぬ道を歩いて、日が暮れ、このあらしに難儀をしています。宿屋のあるところへ出たいと思いますが、町へは、まだ遠いでございましょうか?」と、たずねました。

主人は、その知らぬ男のようすをしみじみと見ましたが、まだ、それは若者でありました。どう見ても、ほんとうに、困っているように見られたのです。

「それは、お気の毒なことです。まあ、すこしこちらへはいって休んでから、おゆきなさい。」と、人のよい主人はいいました。

若者は、喜んで、あらしに吹かれてぬれた体を、家の内へいれました。この若者も、性質は、善良ですなおなところがあるとみえて、二人は、やがて打ち解けて話をしたのであります。

「私は、事業に失敗をして、いまさら故郷へは帰れません。私の故郷は、ここから遠うございます。どこかへ出かせぎでもして、身を立てたいと思って、あてもなく、やってきたのです。」と、若者は、いいました。

鍛冶屋の主人は、それは、あまりに無謀なことだと思ったが、すべて、成功をするには、これほどの冒険と勇気が、なければならぬとも考えられたのでした。

「それで、これから、どこへいきなさるつもりですか。」とたずねました。

「私は、北海道に知人がありますので、そこへ頼っていきたいと思います。しかし、それにしては、すこし旅費が足りません。それで、死んだ父の形見ですが、ここに時計を持っています。いい時計で、父も大事にしていたのでした。これを町へいったら、手ばなして、金にしたいと思っています……。」と、いうようなことを、若者は、話しました。

主人は、なんとなく、この知らぬ旅人の正直そうなところに、同情を寄せるようになりました。

「どれ、どんな時計ですか?」といった。

若者は、時計を出して、主人に見せました。小型の銀側時計で、銀のくさりがついて、それに赤銅でつくられたかざりの磁石が、別にぶらさがっていたのでした。その磁石の裏は、般若の面になっています。

「なるほど、いい音だ。これなら、機械は、たしかだろう……。」

「まだ、その時計にかぎって、機械の狂ったことを知りません。」

「すこしくらいなら、私が、ご用立てをしましょう。そのかわり、いつでもこの時計は、あなたにお返しいたします。町へいって、お売りになるのなら、それくらいの金で、私が、おあずかりしてもいいですよ。」と、主人は答えました。

若者は、どんなに、うれしく思ったかしれない。じつは、ここへくるまでに、他国の町で見せたことがあった。しかし、あまり安かったので売る気になれなかったのですが、若者は、そのことも打ち明けました。すると鍛冶屋の主人は、

「その値に、もうその値の半分も出したら、どうですか?」といった。

若者はよろこんで、それなら北海道へゆくのに余るほどだといって、主人に時計を買ってもらうことにしたのでした。

「これは、あなたのお父さんの形見だ。いつでも、ご入用のときは、さし上げた金だけかえしてくだされば、時計をおかえしいたします。」と、主人は、重ねていいました。

戸の外には、あらしが、叫んでいました。つるしたランプが、ぐらぐらとゆらぐほどでありました。若者は、厚く礼をのべて、教えられた方角へ、町を指してゆくべく、ふたたび、あらしの吹きすさむ闇の中へ出て、去ったのであります。その後を、しばらく主人は、だまって見送っていました。

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