原編集者序文(1921)
ウィリアム・オスラー卿が1913年4月にイェール大学シリマン財団で行った講義「近代医学の興隆」の原稿は、刊行するためにイェール大学出版会にすぐに渡した。組版をしてギャリー校正版を彼に送り、かなりの中絶はあったが校正版をいくらか直し訂正したところで、世界大戦が始まった。戦争が進むにつれて彼は軍および公的な任務に力を注いていたので、校正および計画している変更を完了することはできなかった。ウィリアム卿が初期に行った注意深い校正から見ると、講演は目によって最終的な構成にしたものではなく、まず最初に口頭発表のための大ざっぱなメモを口述筆記させ、後になってから論理的な連続性を通して、彼の特徴である動きのある(con moto)文体にするつもりだったようである。従って講演を刊行のために校正するにあたって、編集者は注意深く、しかるべき畏敬をもって、ウィリアム卿自身が初期の校正において行った指示を遂行することに努力をはらった。記載されていない日付や引用を加えるにあたって、彼が好む版と書物を心に留めた。目で読むためにテキストに少しばかりの変更を行ったとしても、本来の新鮮さから何も除かないようにした。
編集者の1人への手紙で、オスラーはこの講義は「時代を通しての医学の進歩を飛行機で飛ぶ」ものである、と書いた。実際にこの講義は広範な全分野をパノラマのように眺めるものであって、広い領域を急速ではあるが著しく種々な問題を詳細にカバーしている。魔除け、治療神や病気の悪魔をもっている原始人の臆病な迷信的な精神状態から、明晰な眼を理想とする合理主義に至るまで、進歩が遅く骨が折れる医学の進歩は、信頼と穏やかな連続性によって続いている。人間にたいして実行が可能であり有効なアイディアと発見をした人たちは価値のある人たちである、とはっきりと著者は観察し深く感じていた。彼は偉大な名前を目立たせたが、それほどでもない人たちの重要な仕事を無視することはなかったし、面倒な大発見のいきさつや声高い先取権の問題で取り乱すこともなかった。色々な医学の「系統」を区別する彼の能力については、それぞれの部門において独自の証言がある。幅広い教養および医学において得られている最高の文献を支配しているオスラーの能力は、ギリシア医学の豊富なエーテルについても、土地に縛り付けられている今日の学派についても、同じように優れた記載を行った。この著者と読者の間にペダントリーの生垣は無い。疑い無く彼は挿絵を最後まで最初と同じように完璧にしようとしていたが、彼の残して帰ったままであり、一部は図の説明が無いので何の挿絵であるか判らないので惜しいことに省略したものもある。ガリソン、クッシング、ストリーターが異なった視点から最初のギャリーの校正を行った。後になりマッカル(サヴァナ、Ga)は手数のかかる引用および参考文献のチェックを行った。彼の熱意および粘り強さはどんなに評価しても高すぎることはない。
幾つかの重要な変更を行ったが大部分は最初の原稿に基づくものであり、オクスフォードのW・W・フランシス博士、ロンドンのチャールズ・シンガー博士、E・C・ストリート博士、L・L・マッカル氏その他によって行われた。
この著作は元来は素人の聴衆および一般人のためのものではあるが、野心的な医学生および忙しい開業医にとって、青空への上昇であり医学進化の「ピスガ山(*モーセが約束の地カナンを眺めた場所)からの眺め」であり、医師の献身、忍耐、勇気、能力がこの進歩のために果たした達成であり、我々の天職が科学全般の発展にたいして行った名誉ある達成である。
すべての現代の医師のうちで最高に均整がとれ最高に有能であり最も賢明で最も親愛な医師の最も特徴的な著作として、この講義を医学専門家および一般読者に提供することに我々編集者は躊躇を持たない。
F・H・G.(*Fielding H. Garrison:医学史家)
しかし私は言う。古い医術はあらゆる点で正確でないしこれまでしかるべき基礎を持って来なかったし持っていなかった理由で、古い医術を斥けてはならない。それどころか推理によって最高の正確さに到達してそれを受け入れ深い無知の状態から偶然ではなくて立派で正しいものに達したその発見に、驚嘆することが出来るからである。(ヒポクラテス「古い医術について」)
真であり合法的な科学の到達点は次のもの以外ではない。人生が新しい発見と力を与えられることである。(フランシス・ベイコン「ノーヴム・オルガヌム」格言)
世界史を通して金の糸が通っている。次々と続いている時代の最高の人々の一貫し連続的な仕事である。点から点に糸が通っていて、貴方の近くでは明るく鮮明に感じ、偉大な心が感ずるときには真理の投げかける激しく堪えることができない光を感じる。(ウォールター・モクソン「ピロケレウス・セニーリスその他の論文」)
何となれば、精神ですら気質および身体臓器の条件に依存するので、現在までよりも人間を一般により賢くしより巧みにすることができるとしたら、それは医学に求めるべきであると私は信じている。現在のところ世間に行われている医学は効用がほとんど無いことは事実である。しかし侮辱する気ではまったく無いが、医学の研究を専門としている人たちのあいだにおいてすら、現在に知られている全ては、これから知られるであろうことに比べると殆ど無に等しいということを、誰1人として告白しないものはないであろう。そしてもしも我々がそれらの病気の原因、および自然が我々に準備してくれている全ての治療法について、充分の知識を持つことができるとしたら、我々が肉体および精神の無数の病気およびたぶん老衰からも免れることは確かである。(デカルト「方法論序説」)