Chapter 1 of 8

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一月末から一ヶ月半ほど、私は東京に出てゐた。こんなことは今度が初めてと云ふわけではないので、私はいつものやうにFは學校へは行つてゐることと思つてゐた。ところが半月ほど經つて出したお寺からの手紙には、Fは私が出た後全然學校を休んで、いくらすゝめても私が歸るまで學校へは行かないと云つて、困るから、私に早く歸るやうにと云つて來てゐた。またその後だつたが、東京の或る友人から、君の子供が鎌倉で憂欝病にかゝつてゐると云ふことだが、君は知つてゐるのか――と、どこからそんな噂が傳はつたものか、弟のところへ宛てて葉書で私に注意して呉れた。

二月十六日に私は東京を發つて、疲れ切つた暗欝な氣分をいくらかでも換へたいつもりから、東北地方を汽車で一りして來た。郷里の妻を訪ねて、Fが東京の中學へ入學出來たら郊外へでも世帶をもたうと云ふそんな下相談などして、二十三日に歸つて來て、その手紙や葉書を見たので、二十四日に弟の二階に居る文科受驗生の井出君を鎌倉にやつた。

「仕樣がない奴だ。兎に角Fをつれて來て下さい。云ふことを聽かなかつたらひつぱたいてもいゝから……」と私は井出君にいひつけてやつた。

その晩寺に泊つた井出君は、Fは叱られるからどうしても厭だと云ふのを、淺草の活動寫眞を見せると云ふ約束で、東京まで引つ張り出しさへすればどうにかなるだらうと云ふのでつれ出したのだが、結局活動の見せ損で、Fに新橋から歸られ、井出君ひとりでぼんやり歸つて來た。で私はいよ/\腹を立てて翌日更に井出君を引返してやつたが、心元なく思はれたので、夕方勤め先から歸つて來た弟に、「井出君ではやはり駄目らしいから、お前行つてつれて來て呉れないか。剛情で仕樣がない奴だ。何もかも分つてゐて、あゝ横着を極め込んでるんだから、癖になるから……」と、急き立てゝ出してやつた。間もなくやつぱし井出君ひとりで「どうしても厭だと云つて何と云つても聽かないもんですから……」と云つて歸つて來た。それから日が暮れてFは食事や一切の世話をして呉れてるS屋の娘――と云つても二十三になるおせいといつしよに、怯けた顏してやつて來た。行違ひになつた弟は遲く終列車で歸つて來た。

そんな譯で、Fはかなりひどく叱られねばならなかつた。翌日は雪が降つて、私は熱があつて床の中へ這入つてゐたが、貴樣のやうな人間は小僧にでもなつちまへ!」と云つて、新聞の廣告を見て、井出君に外へつれ出させようとまで思つたが、弟夫婦や昨年の暮から出て來てゐる老父に取做されて思ひ止つた。尤も小僧と云ふのは言葉だけの威嚇なんだが。

その日の午後Fは井出君といつしよに寺に歸つた。井出君は晝間は自分の勉強をし、晩はFの遲れた學課を見て呉れることになつた。

それからも私は東京に引かゝつてゐて――金の都合が出來なかつたので――三月十四日に、一ヶ月半ぶりで、弟のところから老父を誘ひ出して二人で寺に歸つて來た。脚の不自由な老父は、玄關わきの二疊で、暮れに産れた弟たちの赤んぼの寢床のわきに、脊を丸くして火鉢にあたりながら、終日新聞を讀んだりして所在ない日を送つてゐた。ひどく億劫がるのを、私は手を引張らんばかりにして、つれ出したのであつた。

老父は私よりも酒が強かつた。閑靜な寺の座敷を悦んで、老父は朝から私相手に飮んで、二晩泊つて十六日の午後少し時間が遲かつたが醉つた身體を井出君に介抱されながら、初めての江の島につて歸ると云つて、元氣で出て行つた。その日は特にFに學校を休ませて送らせた。三人は江の島の棧橋の手前の茶店で榮螺の壺燒や丼などたべて、藤澤に出て、Fだけが大船で別れて乘替へて來たのだが、寺へ歸つたのは十時半頃だつたので、少し時間が遲過ぎると思つたが、格別氣にも止めなかつた。十七日はいつもの時間通り、豫習をやつてゐるので七時頃歸つて來た。十八日の晩は二時過ぎまで私は起きて待つたが、たうとうFは歸つて來なかつた。十六日の晩の時間の遲過ぎたなど考へ合はされて、いろ/\に氣をして見たが、結局私の永い留守の間にFは不良少年に取つかれたのだらうと云ふ疑惑が、私の心を慘めに昏迷さした。小僧と不良少年――斯うした暗示が最後までFに利用されて、私に祟つた。

前の晩だつたが、Fが次の室の寢床に這入つて間もなく、彼の睡入らないのを知つて故意に彼に聞えるやうに、私は酒を飮みながら、彼の性質のよくないことをおせいに話して、殊にこの前井出君につれられて東京に出て、淺草で活動を見さしたり御馳走させたりした上、井出君に鼻を明かして自分ひとり新橋から歸つて來た――私はそのことを非難した。Fはそのことだけはまだ私に明かされてゐないことと思つてゐたらしかつた。彼は寢床の中でそれを聽いてゐた。そして心を傷めた。後になつて考へて見ると、その晩のことが事件の動機を作つたやうなものであつた。後に新聞に――學校退出後活動寫眞に入り歸宅の時間遲れし爲め父に叱られるを氣遣ひ云々――などと出たが、それは間違ひだつた。

兎に角Fは私と二人きりになつて、ひどく脅えてゐた處だつた。東京でひどく叱られたと云つても、私と二人きりではなかつた。十六日に老父に歸へられ、十七日の晩は――私はいつも面罵一方の方なんだがその晩はどうかしてそんなことだつたし、十八日の朝いつものやうに私の枕元で行つて參りますと挨拶した時、いつものやうに互ひの視線がピツタリ感じが合はなかつた。それがFにも感じられた。でその日も彼は時間通りに歸つて來たのであつたが、すぐ這入れずに、雨戸を締めた濡縁の外に立つて、しばらく中の樣子をうかゞつてゐた。そのうちに時間が經つて、私が雨戸を明けて手洗鉢で手を洗つた時、Fの方では私が彼の立つてる姿に氣がついた筈だと思つたが、私は氣がつかなかつたのでそのまゝ雨戸を締めたが、それで彼はやはり私が前の晩のことを怒つてゐるものと思ひ込んで、二時間も外に立つた後そつと物置きに忍び込んで、翌朝の五時頃晩飯も朝飯も食はず、そつとまた學校へ出て行つたのだつた。……

十九日は日曜だつた。が豫習生は日曜も休まないことになつてゐるので、若しやと云ふので、お寺の婆さんも心配して下の方丈の電話を借りて學校へかけて呉れたが、受持ちの教師が出て來て、Fはいつもの通り學校で勉強してゐると云ふ返事だつた。で早速おせいに迎ひに行つて貰つた。ゆうべはどこに泊つて、どこで飯を食つて――さう思ふと、私には唯不良少年の場合のみ慘めに聯想された。由比ヶ濱の小學校までは二十町からあつた。私はじつと部屋の中に坐つてゐるに堪へない氣持で、寺の前の高い石段の上を往つたり來たりした。日曜の天氣で、石段の下の通りは、半僧坊詣りの客で賑かだつた。Fを郷里からつれて來て一年半程になるが、此頃になつてだん/\、斯うした父子二人きりの不自然な生活からの神經の傷害――それがお互ひに堪へ難いものに思はれて來た。Fは一昨年の春流行感冒から重い肋膜を患つて危い命を取止め、引續き夏休みにかゝつて、十月に奧州の山の中からつれ出して來て十一月から由比ヶ濱の小學校へ通はせたのだが、さう云ふわけで、學課の方も健康もひどく鈍つてゐた。二冬の海岸の小學校生活――濕氣の強い山の上の寺は、彼には寢るだけの場所だつた――は、彼の身體をかなりしつかりさせた。後れてゐた學課の方もぼつ/\取返して來たやうに思はれた。が彼の性質はだん/\陰欝になり神經質になりいろ/\な點から注意が必要になつて來てゐた。斯うした生活状態がいけないのに違ひなかつた。私も氣がついて、幾度か郷里の妻の許に歸さうと思つたのだ。最後は、昨年の十一月だつたが、東京から弟を態々呼んで、Fの行李まで擔ぎ出さしたのだが、丁度獨りの老父が郷里の家を疊んで出て來たのとカチ合つた爲め、その時もお流れになつた。そして卒業式も後幾日と云ふところまで來てゐたのであつた。

私は石段の上で彼等の歸つて來るのを待つてゐた。近所の男の子が石段を駈け上つて來た。

「小父さん、今ね、せいちやんがね、Fちやんをそこまで伴れて來たんですがね、門の中まで來てFちやんがまた遁げ出したさうですから、せいちやんが小父さんにすぐ來て下さいつて……」

「さうですか、どうも有難う……」と云つたが、私はすぐ駈け出して行く氣になれなかつた。どこまで手古擦らす氣なのだ、罰當り奴!……と云ふ氣がした。

「それではね、おせいちやんにね、いゝから構はないで歸つて呉れつて、さう云つて呉れませんか。ほんとに仕樣がない奴だ……」と、私は男の子に云つて、がつかりした氣持になつて家にはひつた。

おせいは息を切つて歸つて來た。

「どうだつた?」

「いえね、やつぱしゆうべはそこの物置に歸つて來て寢たんですつて。學校歸りに途中で他所の子と喧嘩して、顏に傷したからお父さんに叱られるから歸らなかつたと云つてね、さうかと思ふと井出さんと活動を見たことをお父さんが怒つてるから歸らなかつたんだとかね、そんなこと云つてね、途中も歸るのは厭だ/\と云ふのをやう/\そこまで引張るやうにして伴れて來たんでしたが、………」と、おせいは申譯なささうに云つた。

「ご飯はどうしたんだらう?」

「ゆうべも今朝も喰べてないんですつて。お辨當も空でしたわ」

「ぢやあまた日が暮れたら歸つて來るだらう。いゝ氣になつてあゝしてゐるんだらうから、ほつて置け。仕樣がない奴だ」

その晩はそつと寢鳥でも押へる氣持で、時を置いて物置や軒下や、下の建長寺の山門のまはりなど提灯つけて見つたが、夜更けになつても影も見えなかつた。

「それではやつぱし不良少年のところへでも歸つたんだらう。ゆうべ物置きへ寢たと云ふのも嘘かも知れない」と、私はすつかり暗い氣持になつた。

「さうですかねえ。そんなものに取つかれたんですかねえ。そんなFちやんでもないやうですがねえ……」

「いやさうかも知れないよ。そんなものがあつて學校を休んでゐたのかも知れないし、さうでなかつたら、おやぢを送つて行つた晩は時間が合はないやうだからね、あの晩の歸りにでもどうかしたのかも知れないね。兎に角唯事ではなささうだから、弟のところに電話をかけて呉れないか。……Fが見えなくなつたから金を少し仕度して明日早く來て呉れつて」斯う云つて、東京の弟の近所の酒屋から弟を呼び出さして、方丈の電話を借りておせいに云はした。

翌朝九時頃やつて來た弟と二人で、兎に角學校へ行つて見ることにした。

「多分この邊の山だらうと思ふが、山のどこか洞穴見たいなところにでも潜んでゐるんだらうと思ふが、何しろ飯を食つてないんだし、夜は冷えますからね、今頃はもうフラ/\で動けなくなつてゐるんだと、時が經つてはなんだから、町を一りしたら早速僕は半僧坊の山からその邊を搜すことにしませう。町の方ではありませんね……」と、弟は歩きながら云つた。

「それとも、昨日は下の方へさがつたさうだからね、お前のところへでも歩いて行くつもりで、横濱への道はこの一月乘合自動車で往復して知つてるからね、東京まで歩くつもりでフラ/\行つたかも知れないね」

「さうでせうか。そんなだと、兎に角山を搜して見て見つからなかつたら、私は東京まで歩いてもいゝ、途中行倒れにでもなつてるんだと、警察へでも訊くと大抵わかるでせうから……」と、弟は東京までもひとりで歩かうと云ふつもりだつた。

學校で受持の若い先生に會つたが、この頃のFの樣子に別に變つたところも見えないと云ふ話だつた。Fと席を並べてゐる生徒を教室の廊下へ呼び出して、Fがこの頃活動でも見に云つたやうな話をしてゐなかつたかと、訊いて呉れたりしたが、そんな話は聽かなかつたとその生徒は云つた。一昨日も昨日の朝も平生と變つたことがなく、冗談なぞ云つて遊んでゐたと、無邪氣な目をしてその生徒は云つた。先生は成績簿を出して見せて呉れた。どうやら七點平均には行つてるやうだつた。操行は甲だつた。

「學校へ來てはよく眞面目に勉強する方でした。成績も學期毎に少しづつは好くなつて來てゐます。唯これと云つて特に優れた點のないのはお氣の毒ですが……」と、先生は同情を持つて云つて呉れた。

「私はまたもつとわるいのかと思つてゐました。自分でもさう思つて氣がひけてゐたのか、この一二學期は通信簿を私には見せなかつたやうです。東京の中學は迚も受からないと自分でも思ひ込んでゐたやうで、だん/\日が迫つて來るし、そんなことからもだいぶ氣を痛めてゐたのかも知れませんが、大體無口な方なもんですから……」

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