Chapter 1 of 193

七月、もうすっかり夏であるべきはずだのに、この三日ばかり、日の目も見せず、時々降る雨に、肌寒いような涼しさである。

今も、小雨が降っている。だが空はうす白く、間もなく雨も降り止みそうな光が、ただよっている。

新子は、ぼんやり二階の居間から、外を眺めている。

路次の水たまり、黒い小猫がぴょんぴょんと水溜をさけて、隣の生垣の下をくぐった。茶色の雨マントを着た魚屋が、自転車に乗って来て、共同水道のわきで、雨にぬれながら、切身を作り始めた。

豆腐屋のラッパ、まだ午前なのである。

「あーあ!」新子は、かるい欠伸をした。

とたんに、階段の下から、甘えかかった、

(新子姉さまア!)という声が、弾み上り、ドタドタとかけ上って来る足音がして、勢いよく襖が開いた。

あまり成育しない前に、熟れてしまった果物のような、小柄な、身体全体が、ピチピチした――深々とした眼、小さい鼻、小さい唇の、生々とした新子の妹、美和子である。

「何よう!」新子は、無愛想に、広い聡明な額のうすい細い眉をひそめて、そちらを振りむいた。下顎骨が形よく精巧に発達していて、唇が大きかった。のどかそうな、それでいてひどく謎めいている大きな目が、無愛想な言葉を、やわらげるように、ニヤニヤ妹へ笑いかけていた。

「ストッキングが、みんなどれも満足なのがなくなっちゃったのよ。」

「日曜くらい、お家にいらっしゃいよ。それに、もうご飯よ。雨は降っているし……」

「だってえ、家にいたら、呼吸がつまりそうなんですもの。渡辺さんとこへ行くって約束してあるんですもの。一時の約束よ、もう支度しなければ、遅くなるわ。」

「じゃ着物になさいよ。」

「意地わるっ! こんなに、ちゃんと着てしまっているのに――」クリーム色のピケで、型ばかりはひどくハイカラだが、お手製らしいワンピースを、大仰に手を展いて見せた。その胸に、大きな乳鋲のように正確な半球が二つ、見事に盛り上っていた。

「少しくらいの穴、かがってはいていらっしゃいよ。」

「かがれるだけは、かがってよ。もう、その余地がないのよ。ほら!」美和子は、姉の膝にストッキングを落した。脚の型のまま、だぶだぶにふくらんでいる膝のあたりに、虫の喰ったくらいの丸い穴があいている。

「これくらい、大丈夫よ。マニキュアのエナメルを塗っておくと、毛が抜けないから。洋服でかくれちゃうわ。」

「うん、そうする。でも、帰りに新しいのを買って来なくっちゃ、お金頂戴!」

「この間上げた五円、どうなったの?」

「少し残っているけれど、ストッキングを買えば、バスにも乗れないわ。」

「チェッ!」笑いをふくんだ舌打ちをして、ねめすえて、五十銭銀貨を二つ出してやると、美和子は現金によろこんで、階下へ降りて行った。

台所へ降りて、昼の支度をと思っていると、

「新子ちゃん!」と、すぐ隣の部屋で、姉が彼女を呼んだ。

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